Track 1:feel my soul(2)

   ***


『天才中学生シンガーソングライター、現る』

 そんな宣伝文句だったろうか。

 おれがamaneの音楽に初めて出会ったのは3年前、中学2年生の夏のことだ。

 当時所属していた吹奏楽部の課題曲の音源を買いに新宿のCD屋に行った時に、たまたまインストアライブをやっていたのがamaneだった。

 人気アーティストであればCDを買った人だけが見られるようなものだったのだろうが、売り出したてのamaneのライブには特に仕切りなども設けられておらず、店に来た誰でも無料で見ることができた。

 課題曲のCDを買って、その姿を横目に通り過ぎようとしたおれの耳に、

「『ねえ 自分にしか出来ないことなんて たった一つでもあるのかな』」

 透明感の中に芯のある歌声で紡がれた冒頭のフレーズが突き刺さった。

 バッとそちらを見ると、おれの足は、目は、耳は、もう少しもそこから動けなくなってしまっていた。

 たった2曲のライブが終わっても呆然と立ち尽くしていたおれは、しばらく経ってやっと我に返り、すぐさまamaneのCDを持って再度レジに並ぶ。

 家に帰ってずっとリピート再生した、2曲入りのシングル。

 彼女が自分と同い年だと知り、悔しさと嫉妬と羨望と憧れで、どうにかなりそうだった。

 もしかしたら、おれにも作れるかもしれない。作ってみたい。

 それから、元々吹奏楽部でやっていたドラムに加えて、コードを覚え、ギターを練習した。

 機材さえあれば、自分で叩いたドラムに合わせて自分でベースを弾いて……と、音を重ねて録音出来るということを知った。それを、『たくろく』と呼ぶことも。

 だが、その半年後。

 いまかいまかと新曲を待ちわびたおれのもとに飛び込んできたのは、amaneの無期限活動休止のニュースだった。

 シングル一枚しかリリースしていないamaneの活動休止は一部ネットメディアで数時間だけ露出したあと、人々の記憶からすぐに流れ去っていった


   ***


「……本当に驚いたんだ。高校に入ったら、あのamaneが同じ学校にいたんだから」

「……そっか」

「あの、さ」

 おれは自分でも正しいことか分からないまま、それでも、そっと言葉を吐き出した。

「もう、ここまで来たら、ずっと聞きたかったことがあるんだけど……いいか?」

 分かってるよ、という感じでうなずいてから、市川は困ったように微笑む。

「なんで私が……amaneが引退したか、だよね?」

「……うん」

 だよねえ、と小さくつぶやき、

「あのね、」

 市川はふうー、と息をついて、眉をハの字にしたまま告白した。

「自分の作った曲を歌おうとするとね、声が出なくなっちゃったんだ」

「は……?」

 耳を疑った。声が出ない……?

「それは、どうして……?」

「多分ね、余計なものを見ちゃったからだと思う」

「余計なもの……?」

 おれが眉をひそめると、

「……これ」

 市川は自分のスマホを軽く胸元に掲げた。

「ネットの世界って怖いよね。こっちに生身の人間なんていないみたいに、みんな好き勝手言うんだから」

 彼女は苦笑いをしながら続ける。

「『良い曲』とか『泣ける』とか、嬉しい感想もあったんだけどね。段々『こんなののどこが天才なの?』とか『ただのパクリの寄せ集めじゃん』とか、そういうネガティブな感想ばかり目につくようになっちゃって……。それでね、私が決定的に心を折っちゃったのが、」

 そこまで言ってから、覚悟を決めるように下唇を噛んで、口にするのも苦くてたまらないものをそれでも口にするように、そっとつぶやいた。

「『こんな曲、この世に生まれなければ良かったのに』って」

 血の気が引いて、心が冷え切っていく。

「ああ、私、この世にない方が良いものを作っちゃったんだ、って思ったからかな。それを見てからはもう、自分の曲を作ることも、歌うことも出来なくなっちゃって……それで引退するしかなくなっちゃったんだ」

 そして、また、儚い笑顔を浮かべた。

「でも、おれはamaneの曲が……」

 好きなのに、と言いかけた言葉はなぜか喉元で詰まって出てこない。

 その代わりに、

「……じゃあもう、amaneの曲をamaneの声で聴くことは出来ないのか?」

 おれは子供じみたわがままを吐き出していた。そんなこと、市川に言っても仕方ないことだと、言ってはいけないことだと分かっているはずなのに。

 市川は、また困ったように笑ったあと真顔になって、

「ねえ、小沼くん」

 と、やや唐突におれの名前を呼び直す。

 そして、おれの人生を変えてしまう、決定的な一言を告げた。


「小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?」


「……へ?」

 自分でもあきれるほどに間抜けな声が出た。

「おれの曲を市川にって、どうして……?」

 おれの質問に、市川が制服のスカートをぎゅっと握り込む。

「私ね、本当はまた歌えるようになりたいんだ。伝えたいこととか、形にしたいこと、たくさんあって……。毎日毎日、歌えるようになってないかなって歌おうとしてみるけど、やっぱりダメで……。でも、もしかしたら、誰かの曲を自分の曲だって言って歌ったら、その曲は歌えるかもしれないから。その……リハビリみたいなことが、してみたくって……」

「市川……」

 突飛にも聞こえるそのアイデアを飲み下そうと眉間にしわを寄せていると、その仕草を否定だと取ったのだろう。

「……なんてね、そんなずるいのダメだよね」

 市川は冗談っぽく撤回しようとした。

「小沼くんが一生懸命作った曲なんだから……。ごめんね、忘れて?」

 そして、顔を上げて、またハの字眉の笑顔を浮かべる。

「……わかった」

 なんでだろう。

「おれの曲を市川に渡そう」

 市川のその笑顔を見た瞬間、それ以外の選択肢なんかはじめから存在しなかったみたいに消え失せてしまった。

「……本当にいいの?」

 意外そうに目を丸くする市川に、おれはうなずきを返した。

「だけど、二つ条件がある」

「条件?」

「そう。一つは、おれが作った曲だとは、ずっと言わないで欲しい」

「私はいいけど……どうして?」

「……どうしてもだ」

 胸が痛む。……まだ痛いのかよ、くそ。

「……うん、分かった。それで、もう一つは?」

 首をかしげる市川に向かって、おれはそっと伝える。

「遠い未来でもいい。いくらでも待つ。だから、」

 きっと、そのためにおれはこんなリスクのある依頼を受けることにしたんだろうから。

「いつかamaneの曲を、amaneの声で聴かせて欲しい。もう一度、amaneが歌う姿が見たい」

 勢いづいたおれは、この3年間ずっと抱えていた気持ちを口にしていた。


「amaneは、おれの憧れなんだ」


 少しうつむいた市川の耳が赤くなっていく。

「……あんまり、私の下の名前を何回も呼ばないでもらえるかな?」

「下の、名前……?」

 何を言われてるのか一瞬理解できず眉根を寄せたおれに、赤い顔を上げた市川が潤んだ目をしてつぶやく。

「憧れって、だってそれ、告白みたいだよ……?」

「ち、ちがっ……!」

 その市川の表情を見て、ここ数分でおれの口から出た数々の恥ずかしい言葉が今さら襲いかかってきた。

「お、おれは、あくまでミュージシャンとしてのamaneのことを……!」

 ていうか、まじか、うわあ……! いや、なんか、あれなんだって、あまりの状況にアドレナリンが出まくっちゃっただけで……!

「でも、じゃあ……」

 心の中で言い訳をしまくりながら耳を熱くしているおれに、市川は、それこそ告白の返事をするみたいに、はにかんで笑った。


「よろしくお願いします、小沼くん」

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