第一章 海辺の町、新しい生活(2)
※※※
「にしても、なかなか珍しい名前やな。めざしって」
果たして私に言ったのか、はたまた独り言だったのか。彼女は口へと運んだ卵焼きを
背中を隠す綺麗なロングヘアに、水色フレームのお
ハムスターよろしく口いっぱいにお弁当を詰め込んでいる白木須さんは、「うんうん」と
「やろ? レアやで、レア。SSレア。ほんま
やっぱり辛かったらしい。白木須さんの目には薄く涙が
今はお昼休みのお弁当どき。どうしてか私は一限目終わりに話したばかりの──と言っても、話していたのは彼女ばかりだったけど──白木須さん、そして彼女の友達である汐見さんとお昼を共にしている。席をくっ付けて一緒にお弁当とか……。あまり友達みたいな関係は作りたくないというのが正直なところ。けど、誘いを断るのはそれ以上に無理だった。
「で、どうすんの? まぁ、聞くまでもないやろうけど」
汐見さんは白木須さんに問い掛けて、その返事を待たずにそうあとを続けた。
「そらそうよ」
白木須さんはニヤリと笑ってそう答える。どうやら汐見さんの察しは合っていたみたい。
すると汐見さんは
「ちゃんと本人に確認したんか?」
なにかを見透かしたようにそう聞いた。対して白木須さんは「え?」と間の抜けた声を零す。
「まだやけど?」
「アカンやん」
間もなにもなかった。そんな汐見さんの刹那の返しに、白木須さんはばつが悪そうに苦笑いを浮かべる。
「大丈夫やって。ほんま凪ちゃんは心配性──」
「なにがやねん」
「……え?」
「なにが大丈夫やねん」
汐見さんはそう厳しい言葉を投げ付ける。まるで子供を𠮟り付けるお母さんみたいに白木須さんのことをキッと見据える汐見さん。そして白木須さんもまた、お母さんに𠮟り付けられている子供みたいにその表情を強張らせている。
「前の学校じゃ、なんの部活にも入ってなかったって……」
「ふーん。で?」
「特に入る予定の部活もないって……」
「ふーん。で?」
「やから……」
か細い声でそう言って、白木須さんは助けを求めるようにこちらを見てくる。その様子はまるで雨に打たれる捨てられた子犬みたいで……。
「……そ、そうですね。私なら平気ですよ」
私はそう言って、白木須さんに助け船を出してあげた。
さっきまでの二人のやり取りを見ていれば、彼女たちがなんの話をしているのかはおおよそのところ察することができる。
恐らく私を自分たちが所属している部活に入れようとしているんだと思う。
あまりに強引が過ぎる白木須さん。そんな彼女のことを汐見さんが
正直言って、そんなものは断りたい思いでいっぱいだ。あまり友達みたいな関係は作らない。それが人間関係で失敗しない最良の手段なのだから。
けど、私は同意した。同意させられてしまった。だって、あんな目……。あんなうるうるした小動物めいた目を向けられてしまったら、どんな人でも同意するに違いない。……まぁ、断るなんて選択肢は私には最初からないのだけど。
まるでしおれていた花が水をもらったみたいに、白木須さんはヒマワリのような
「やんねぇー。そうやんねぇー」
そう嬉々として言う白木須さんは本当に子犬みたいで、実際にはそんなことはしていないのだけど、嬉しそうに尻尾を振っている彼女の姿が見えたような気がした。
「ほら、言うたやろ? 私だっていろいろ考えてんねん」
形勢逆転だと言わんばかりに、白木須さんはそう汐見さんに言ってみせる。対して言われた彼女は納得がいかない様子でこちらを見てくるも、そんな無言の問い掛けに私は笑みを返しておいた。
そのあとも汐見さんは
「まぁええわ」
彼女はそう
「あとで後悔しても知らんからな」
そんな気になることを言ってみせた。
「私はあんたのためを思って」
これも気になる言葉だ。私のため? 後悔? え?
「そんなんするわけないやん。ってか、私がさせへんし」
汐見さんに続いて、白木須さんがそんな宣言をしてみせる。
「ほんまにめっちゃ楽しいから。やから安心して。ね? めざしちゃん」
そんな笑顔で言われても……。一度湧いた不安はどうにも消えてくれない。
私はなにも分からないのに同意した。白木須さんに助け船を出した。だって、そうするしかなかったから。
もういじめられたくない。もう失敗したくない。だから、もう誰にも逆らわない。
そう決めたのだから。けど、後悔とか言われてしまうと……。
「……それで、私はなにを?」
私は聞いた。聞かずにはいられなかった。
断るなんて選択肢はない。ただ、知っておきたかった。これから自分が巻き込まれるのだろうなにか、後悔するかもしれないなにか、それが一体なんなのか。それくらいのことはちゃんと把握しておきたかった。
そんな私の思いなどどこ吹く風で、白木須さんはニヤリと口の端を持ち上げる。その顔はまるで「待ってました」と言わんばかりだ。
「なにって、アングラやん」
「アングラ?」
「うん。アングラ」
分からない私に対し、白木須さんはそんな分からない返事を繰り返す。「うん。アングラ」と言われても……。
アングラ……。私はそう考えを巡らせる。
アングラ……アンダーグラウンド……地下……地下競売……黒服のお兄さん……乱れ降るお札の雨……賭博……暴力……薬物……犯罪……闇……ざわざわ……。
私は背筋に寒気を覚えた。それって、かなりヤバいやつなんじゃ……。
私はおそるおそる白木須さんへと目を向ける。彼女は相変わらずの
人は見かけによらないと言うけど、あまりによらな過ぎている。こんな中学生でも小学生でも通りそうな可愛い見かけの女の子が、実は闇の世界の住人だったなんて……。
──あとで後悔しても知らんからな。
汐見さんのあの言葉が脳裏に響き渡る。ブワッと嫌な汗が噴き出してきた。
「あんた今、ドえらい妄想してるやろ」
不意に投げ掛けられたその言葉に、私はようやく我に返る。そうしてその声の方へと目を向けてみると、そこには
「一つ教えといたる。そんなことは一切ないから」
「……え?」
私はしばしそのまま固まって、それと気付いて慌てて作り笑顔を貼り付ける。
どうやら汐見さんに心の中を
汐見さんは溜息をつく。そうして彼女は眉間に薄く
「椎羅。もうその辺にしといたり。後悔させへんとか偉そうなこと抜かしといて、早速思っきし後悔させとるやんけ」
「えー? なにがよぉー」
白木須さんがふざけた態度で言う。それに対し汐見さんは、
「なにがよぉー、ちゃうわ。キショいねん」
相も変わらず手厳しかった。
「はよ、ほんまの意味教えたり。追川がビビってるやん」
「えー。もうネタばらしとか、ちょっと早くない?」
「早ない」
「早いじゃん?」
「早ない」
「ちょっ、待てよ!」
「はよ言えカス! どつき回すぞ!」
そんな汐見さんの暴言は、関係ないはずの私までをもビクリとさせる。
彼女たち二人が仲が良いことは見ていれば分かるし、そうなる方向に汐見さんのことを刺激したのは白木須さんの方だ。けど、どつき回すぞ! って……。さすがに言い過ぎだと思う。
私は心配に思って白木須さんの様子を見やる。すると彼女は、
「やぁーん。凪ちゃんってば、こーわーいー」
傷付いているかと思いきや、相も変わらずふざけていた。
「うっさい黙れ。あんまふざけとったらマジでしばくぞ」
「ひぇっ……」
「ええからもう。やめろて」
そう言って、疲れ果てたというように溜息をつく汐見さん。すると白木須さんは満足したように小さく笑い、
「はいはい。分かりましたよぉー」
そうあとを続けて、次いでこちらへと目を向けてきた。
「めざしちゃん! 釣りしよ!」
そうして彼女の口から飛び出してきたのは、そんなよく分からない言葉だった。
「……はい? 釣り?」
私はそう思わず聞く。すると白木須さんは嬉しそうに「うん。釣り」と答え、続けてなにやら話し始めた。
「アングラっていうのは、アングラーの略、釣り人って意味な。な?
いえ。私は決して牛乳をかけて食べるあれと勘違いしていたわけではありません。
「ぐりとぐらも無関係やで」
はい。分かってます。
あれこれとよく分からないことを言ってくる白木須さん。けど、分かったこともある。
どうやら白木須さんの言うアングラとは、アンダーグラウンドの略ではなくて、アングラーの略であるらしい。で、私は魚釣りをする? ということ?
そんな足りていない私の理解に補足をするみたいに、
「私ら海釣り同好会やってんねん。女の子だけの同好会で、会の名前はアングラ女子会。メンバーはめざしちゃんを入れて計四人。これからよろしくな」
そう言って、こちらへと手を差し出してくる白木須さん。私は一瞬
「はい。よろしくお願いします」
そう
どうしてこんなことになってしまったのか。なぜか私は魚釣りをすることになってしまった。大丈夫なのかな。魚釣りなんて一度もやったことがないけど……。
「じゃあ、今日の放課後、私んち行こっか。思い立ったが吉日って言うし」
白木須さんはどんどん話を進めていく。対して私はここでも笑って、
「はい」
そう同意するしかなかった。
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