第44話 永訣の秋
大学病院の構内の木の葉が朱色に燃えている。
なぜ美しい秋の日は死の匂いを運んで来るのだろう。駐車場から入院棟に向かうとき、急ぎ足とは裏腹に心が重い。
父が還暦で亡くなった10月に、同じく還暦を迎えた兄が同じ運命をたどろうとしていた。
酸素吸入の管が、無口な兄をなおさら無口にする。スマホを持つこともできなくなったむくんだ手には、赤黒い血の痣がいくつも現れている。
「わしのスマホそこにあるか?」
兄に頼まれてサイドテーブルに置かれたスマホの画面をチェックすると、未読のままのラインメッセージがずいぶんと溜まっている。
「どうする?開いてみる?」
私の問いかけに、兄は力なく首をわずかに横にふる。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
宮沢賢治の詩「永訣の朝」の中で、亡くなりゆく妹が兄の賢治に雨雪を取って来てほしいと言う。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
詩の中で何度も繰り返される呪文のような言葉。
「微糖のコーヒー買うて来てくれんか?」
定まらない視線で天井を見つめていた兄が、唐突に言う。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
お茶碗いっぱいの雪じゃなくて、自販機のコーヒーね。
もう治療法はないので、緩和ケア施設に転院するか、在宅で看取りをと言われているけれど、微糖のコーヒー一杯で息を吹き返すかも知れない。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
あめゆじゅとてちてけんじゃ
病室を出た私は、呪文のようにつぶやきながら、明るい秋の光が満ちた談話室の自販機に向かって歩く。
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