第39話 革の記憶をたどって

 不思議な革工房を訪ねたのは、昨年の今頃だった。関東から移住してきた若い夫婦が、隣町にある古民家を改造して、革工房を開いていたのだ。

 古い家屋がこうも生まれ変わるのか、と目を見張った。

 梁も天井も遠い時代の存在をそのまま残しながら、革を縫うための新しいミシンが並び、壁には様々な工具が一枚の絵画のように美しく整列し、塗料や薬剤などの小瓶が化学実験室を思わせた。

 夫婦には3人の子どもがいた。上のふたりは小学生、3人目は生まれたばかりの赤ちゃんで、工房に続く和室に寝かされていた。

 玄関には、男女それぞれの大人の靴、大きさの違う2足の子供用の靴があった。

 そして作品を陳列した棚には、ファーストベビーシューズ、すなわち赤ちゃんが初めて履く小さな靴があった。        すべてが一針一針丁寧に縫われた手作りの靴だった。

 これらの革製品はきちんとケアをしながら使用すると、より深い味わいを醸し出すそうだ。

 革に関して苦い経験のある私には耳の痛い言葉だった。

 アメリカから帰国するとき、革のソファを買って帰った。日本で求めるより半値以下でしかも、免税品扱いになると言うので、黒い水牛の革のソファをセットで買ってしまったのだ。

 日本の家に入れてみると、大きすぎて一つしか入らず、大きい方は夫の実家に預けた。

 そして小さな方はと言うと、日本の夏の湿気にやられ、子供たちが跳び跳ねた拍子に背もたれの部分に十数センチの亀裂が走ってしまった。

 家具職人さんに見てもらったところ、張り替えるなら新しいのが買えると言う。

 結局クッションを置いてごまかしながら使うことにした。

 そのソファでうたた寝をすると、よく水牛の夢を見た。水牛は、皮だけが残されて途方にくれていた。そしてその亀裂は、白血病で亡くなった後に病理解剖された父の傷痕と重なり、否が応でも死が身近にあることを感じないではいられなかった。


 今日、ステージⅣの食道がんで大学病院に入院している兄を見舞った。癌は既にもう手がつけられなくなり、心臓や肺に水が溜まるようになったので、今週になってそれを抜きながら栄養点滴をしている。兄の姿はそのままかつての父の姿と重なり、私が病室で明るい声を出せば出すほど、兄の目は暗くなるのだ。


 帰宅して疲れた体をソファに横たえた。すとんと地の底に落ちてゆく感覚があり、大きく柔らかな手のひらに受け止められていた。 

 おずおずと瞼を開けると水牛の哀しい目が私を見下ろしていた。水牛は途方にくれた私をしばらくの間見つめ続けていたが、やがて黒く濡れた瞳を閉じ、見えない力に導かれるように遥かな国へと還って行った。

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