第34話 誕生日プレゼント
大学2年生の僕は二軒の家庭教師の他に、もう一つ別のアルバイトをしている。週に一度七十八歳の祖母の様子を見に行くことだ。
「お金なんて貰わなくてもいいよ」
と親に言ったけれど、
「生活費の仕送りとは別にきっちり月に4回分で2万円あげるから、ちゃんと任務を遂行してちょうだい」
と母親に釘を刺されたのだ。
父親の仕事の関係で両親はアメリカに住んでいる。
僕が、大学生になるタイミングで2度めの駐在が決まったのだ。
「いっくんだけでも日本にいてくれて、しかも広島に来てくれるなんて、死んだおじいちゃんが守ってくれとるに違いないね」
おばあちゃんは仏壇に向かって手を合わせ、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
神妙に唱えていた。
第一希望の大学に落ちて、たまたまこの町に住むことになった僕は、正直ちょっと戸惑いぎみだったけど、おばあちゃんの気持ちに圧倒されて、曖昧に笑ってた。
おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなってから、小さなアパートに引っ越して20年近く独り暮らしをしている。僕が赤ちゃんのときに亡くなった祖父のことは全く記憶にないけれど、 広島のおばあちゃんには小さいときからたびたび会っているから、僕だっておばあちゃんのことは、もちろん大好きだ。
ただ大学生になって、部活動やアルバイト、友人たちとの付き合いなど思ってたより、時間のやりくりが大変になった。
今日もおばあちゃんがお昼に僕の好物のお好み焼きを焼くと言ってくれたけど、夜中まで友人たちと飲んでたせいで、お昼過ぎまで寝てしまってた。
慌てて電話を入れたけどおばあちゃんは、
「いいよ、いいよ、お腹空いてないから待ってるよ。ゆっくりおいでね」
と言ってくれた。
自転車に乗って5分ほどの距離だけど、けっこう頑張ってペダルを漕いだ。
「おばあちゃん、来たよー」
息を切らしてアパートのドアを開けた。でも、返事がない。
「おばあちゃん待たせてごめんね」
と靴を脱ぎ散らかせて部屋に入って行っても、おばあちゃんの姿は見当たらない。お好み焼き焼いてるのかな、と思って台所に行くと、おばあちゃんは流し台の下の床に仰向けに倒れていた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
僕が駆け寄るとおばあちゃんは、微かに目を開けたけど、ぷーはー、ぷーはー、と変な呼吸の仕方になっている。 いっくん、と僅かに聞き取れる声で苦しそうに僕の名を呼んだ。
「すぐに救急車呼ぶからね。しっかりして」
僕は胸ポケットからスマホを取り出して、画面を操作した。繋がった。ちゃんとここの住所も言えた。そして電話で教えてもらった指示どおり、おばあちゃんの体は動かさないで、手を握って声をかけ続けた。
病院に搬送されたときは、まだおばあちゃんは、いっくん、と僕の名前を呼び、弱々しくだけど僕の手を握り返してくれていた。
僕は急いでアメリカの母親に連絡を入れた。
母親は、すぐに飛行機のチケットを手配して帰って来ると言う。
僕はそれからずっとおばあちゃんに付き添っていたが、脳梗塞を起こしていたおばあちゃんは、治療を受けても意識がだんだん途切れるようになり、僕の呼び掛けにも応じなくなってしまった。
何でもっと早く家に行ってあげなかったのだろう。おばあちゃんは僕を待って、台所でいそいそと僕の好物のお好み焼きを準備してくれていたのだ。
翌日の夜に飛行機と新幹線を乗り継いで母親がやって来たときにも、おばあちゃんは目を閉じて眠り続けていた。
「手を尽くしましたが、これ以上治療する術はありません」
医師の言葉に母親は、それでもしぶとく食い下がった。
「やれるだけのことはやってください。お願いします。母は病気知らずの健康そのものだったんです。何とか助けてやってください」
と涙ながらに何度も頭を下げ続けていた。僕は母親にも詫びた。
「ごめん。僕が行くのが遅かったから。もっと発見が早かったら」
「いいよ。いっくんのせいではないよ。これもおばあちゃんの運命だったんだろうし、案外ひょこっと目を覚ますかもよ」
と、母はおばあちゃんの足をさすり続けていた。
だけどおばあちゃんは、倒れてから2週間と3日後の11月3日の文化の日の朝亡くなった。その日は僕の20歳の誕生日でもあった。
「なんでよりによって僕の誕生日に亡くなるの?これから毎年誕生日のたびに悲しいことを思い出すじゃないか」僕はやっぱりおばあちゃんにそう言いたかった。
「いっくんのこと一番大好きだったんだよ。これはおばあちゃんの愛のメッセージよ、きっと」
母親は泣き腫らした目でそう言って、僕の肩を軽く小突いた。
本当のことは誰にもわからない。
とにかく僕はそのようにして二十歳になった。すごく特別な二十歳の迎え方である。僕にとって人生初めての間近な人の死が僕の二十歳の誕生日と重なるなんて。僕の心がついていかなくて、目を閉じても眠れなくて、おばあちゃんのことばかり考え続けた。
お葬式を終えておばあちゃんの家、と言っても二間と台所だけのアパートの一室だけど、を両親と一緒に片付けに行った。
おばあちゃんのタンスの引き出しから編みかけのマフラーが出てきた。IMと僕のイニシャルを編み込んで、ほとんど完成間際まで出来上がっていた。「いっくんへの誕生日プレゼントだったんじゃない?」
と母親が僕に差し出した。
紺色のベースに白く僕のイニシャルの文字が浮かんでいた。
僕はおばあちゃんにはかなわない。おばあちゃんよりこんなにでっかく育っても、やっぱり僕はおばあちゃんを永遠に越せない。言葉にはできないけれど、宇宙よりでかくて、訳がわからないほど純粋で透き通ってるもの、あの小さな体に詰まってたすごいものを僕は首に巻き付けて、自転車を漕ぐ。「まだそんな寒くもないのに、彼女からのプレゼントか」と冷やかす友人たちを尻目に。
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