第25話 犬はやっぱりお説教好き

 久しぶりに犬の図書館に行った。犬は緊急事態宣言前よりも、ずいぶんと物腰が柔らかくなっていた。

「講座を開講されたそうですね。この図書館でも、参考にして頂ぎたい良い本を取り揃えましたので、ぜひご覧になってください」

 こんな言葉を犬からかけられるとは、思ってもいなかった。やはり、犬にも休養が必要だったのだ。


 私はいそいそと詩歌のコーナーに向かった。途中、犬のお巡りさんのメロディーに乗せて

「図書館をご利用になる方は、入り口での検温と消毒、加えてマスクの着用をお願いいたします」

と、館内放送が流れた。

 それに書庫の至るところに、

『不審者を見かけたら、すぐにカウンターにご連絡ください』

と言う貼り紙が貼られている。

 やれやれ、やはり犬の図書館らしいな、と思いながら、お目当ての詩歌のコーナーにたどり着いた。

 うん?何か違和感がある。


ー犬死にたもうなかれー

ー子どもと読む犬の本ー

ー心に響く犬集ー


 詩歌のコーナーのすべての本のタイトルに、犬の文字があるのだ。

 これ何かの冗談よね、と思いながら、お隣の小説のコーナーをチェックしてみると、こちらは何の変化もない。ちゃんと、

ー人間の証明ーだの、

ー天使と悪魔ーだの

元のままのタイトルなのに、

ーゲーテ詩集ーと来たら、

ーゲーテ犬集ーとなっているではないか!

 しかも中をめくってみると、犬の品評会のような犬の写真ばかりである。

 怒り心頭となった私は、カウンターの犬に詰め寄った。

「何で、詩歌のコーナーにだけあんな嫌がらせをするの?何かわたしに恨みでもあるの?」

「いえいえ、恨みなんてとんでもない。だけど、昨日のカクヨムにアップしたあの言葉は、頂けませんね。現代詩から置いてけぼりにされてるだとか」

「置いてけぼりの何が気に障ったの」

「多和田葉子さんは、こんな試みをなさったと、群像8月号で巣鴨友季子さんは書いておられます。多和田氏の役割は、あるドイツの村で子どもたちに、日本語で書いた散文詩を音読して聞かせること。意味は教えない。子どもたちは、自分が聞き取った音を声に出してみる。『もちろん誤解は大歓迎』だと彼女は言う。『その声に対して、今度は他の子どもが楽器の即興演奏で答える』という形でパフォーマンスが作られていった、のだと」

 そこまで一気に言い終えると、犬はフフンと得意気に鼻を鳴らした。

 私は思わず後ろにのけぞった。

「わかりました。私のような若輩者が、大変失礼なことを申しました。つまり、私のように現代詩の日本語がわからない者は、犬の写真でも見ておけ、と」

 犬に言い負かされた私は詩集ではなく、犬の写真集を両手いっぱいに抱えて、すごすごと帰宅するしかないのだった。

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