第24話 何度読んでも泣けるあの詩



 私は広島で生まれ育った訳でもなく、原爆に遭った訳でもありませんが、戦争も原爆も知らない私でも、読むたびに泣いてしまう詩があります。


 ごめんなさい。タイトルを書こうとしたら、もうそれだだけで、目がうるうるしてきました。


ご存知の方も多いと思います。

栗原貞子さんの

「生ましめん哉 」なのですが、

半分はフィクションであると知っても、

なお、心に迫るものがあります。


敢えて現代語の散文にしてみました。

(栗原さま、ご無礼をお許しください)


こわれたビルディングの地下室の夜であった。

原子爆弾の負傷者達は

暗いローソク一本ない地下室を

うずめていっぱいだった。

生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。

その中から不思議な声がきこえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄のような地下室で今、若い女が

産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が助産師です。私が生ませましょう」と言ったのは、

さっきまでうめいていた重傷者だ。

こうしてくらがりの地獄の底で新しい命は生まれた。

こうして朝を待たずに助産師は血まみれのまま死んだ。

生ませてあげたかった。

生ませてあげたかったのだ。

自分の命を捨ててでも。


 なお感動的ではありますが、やっぱり詩の格調高さが無くなってしまいます。多少、分かりやすくはなるとは思いますが。


 この詩には、-原子爆弾秘話-と言うサブタイトルがつけられています。

 原文の詩で読んだとしても、難解な現代詩よりはずっと分かりやすくて、何度読んでも泣けます。

 栗原貞子さんの、後世に語り継ぎたいと言う切実な願いがひしひしと伝わってくるからかも知れません。

 その思いが、人々の感動を呼び覚ますのでしょう。

 この詩と比べて、ますます難解になっていく風潮の現代詩に、置いてけぼりにされてしまう感覚を持つのは、私ひとりなのでしょうか?



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