第23話 世界の始まりとソフトボイルド・ディズニーランド
誓って言う。何の誇張でもなく、僕の人生において、すべての世界の始まりは、アメリカで初めてできたふたりの友人…シャオとニコラスとともに行ったディズニーランドで起きた事件だった。
それは、全然ハードボイルド、つまり固茹でのゆで卵ではなく、むしろソフトボイルド、ちょうど僕の好みの半熟玉子みたいな、ちょっとまどろっこしい、でもとろりと口の中で溶ける食感がたまらない、そんな出来事だった。
当時の僕は、ロスの小学校の3年生で、シャオもニコラスもキンダーガーテン以来の友人だった。
シャオは中国系のアメリカ人で、ニコラスは僕と同様、親の仕事の都合でロスに駐在しているスウェーデン人だった。
僕が家族とともに、日本に帰ることになり、
「じゃあ、お別れにまたもう一度、アナハイムのディズニーランドに行きましょうよ」
と、言い出してくれたのは、ニコラスのお母さんだった。
こうして、僕たちと僕たちのそれぞれの母親、総勢6人でディズニーランドを訪れたのは、僕が帰国する直前の7月の終わりのことだった。
ニコラスはその頃、もう既に身長が5フィートつまり150センチ以上くらいになっていて、小柄なシャオのお母さんや僕の母親を追い越しそうになっていた。
ギャングエイジの僕たちは、3人集まると、お互いに手に持ったペットボトルを奪い合う遊びをしたり、バッグパックファイティングをしたりと、その辺を飛び回るハエみたいな子どもたちだった。
「前に一緒に来たときは、ここまで野生化していなかったわよね」
と、シャオのお母さんが嘆くように言った。
「ひとりひとりは、いい子なのに3人揃うと、どうしてこんなにヤンチャになるのかしら」
と、僕の母親もそれに同調した。
「その通り。ニコラスは家ではいるのかいないのかわからないくらいおとなしいのよ」
と、ニコラスのお母さんは、両手を大きく広げて言った。
そう、僕たちはひとりでは何もできなくて、むしろクラスでも控えめな存在に成り果てるのだが、3人揃えば、ひとりひとりの10倍、100倍のパワーを発揮するようなギャング集団になれるのだ。
その1日の楽しかったことと言ったら、他に例えようがなかった。
朝から暗くなりかけるまで1日中過ごして、お目当てのアトラクションを乗り尽くしたとき、ニコラスのお母さんが言った。
「やはり、最後の締めは前回と同じ、イッツ ア スモール ワールドね」
僕たち3人は、
「もう以前のようにチビではないんだぞ」
なんて口々に言いながらも、言葉とは裏腹に、そのアトラクションにいそいそと向かった。
ただボートに乗っていれば、世界中の主だった国のディスプレイを回って行ける、どちらかと言えば、地味なアトラクションである。
僕たちを乗せたボートは、ヨーロッパからスタートし、アジア、アフリカ、中南米、南太平洋といった世界中を巡って行くはずだった。
前に来たとき、このアトラクションから出ると、ニコラスだけがえらく憤慨してたんだ。
「中国や日本はあるのに、なぜスウェーデンだけがカットされてるのか」
ってね。
だから、ニコラスは今回は、ダーラナホースと呼ばれる赤い木彫りの馬をバックパックに忍ばせていた。ヨーロッパのコーナーを回る時に、スウェーデンのシンボルのダーラナホースを置いてやるんだって。
僕たちは、あえて母親たちとは別のボートに乗り込んだ。先に母親たちを行かせて、僕らは念のためにその2つ後のボートに、3人だけで乗り込んだんだ。
ヨーロッパは、アトラクションの最初の方にあるから、僕たちは最初から緊張していた。でも、その緊張を悟られまいとして、3人ともが普段通りにふざけあっていた。
「馬、馬、馬。ニコラス、ビビってないか?ちゃんと見てしっかり、なるべく目立つところに置けよ」
「大丈夫、こんなのバッターから三振を奪い取るより簡単さ」
そう言ってニコラスは、手でボールを投げる仕草をした。
ところが、いざ投げる段になって、思わぬドジを踏んでしまう。
ニコラスが投げた赤い馬は、ヨーロッパ大陸に着地するどころか、途中の水の中に落ちてしまったのだ。いや、正確に言うと落ちたけれど木でできてるから、沈まずにプカプカ浮かんでいた。
「ヤバい!しくっちまった」
ニコラスが手を伸ばしても、それは到底、届く距離ではなかった。ボートはゆっくりだけど、流れに沿って進んで行く。
じれったそうにニコラスの様子を見ていたシャオが、たまらずボートから身を大きく乗り出して、何とか赤い馬を手にしたが、それと同時にボートが大きく傾いて、僕たち3人は水しぶきをあげて、水の中に落ちてしまっていた。
水は思ったより深くて、一番背の高いニコラスでさえ、足を着くことができなかった。
ボートはどんどん離れて行き、僕たちは仕方なく何とか泳いで、ヨーロッパのコーナーにたどり着いた。
フランスやイギリスの人形たちが、ずぶ濡れの僕たちを見て笑っていた。
「こんなちゃちなおもちゃたちに笑われちゃおしまいだな」
シャオが赤い馬を彼らの間に置きながら、自嘲気味に言った。
「そうさ、こんな子どもだましの世界で満足するなよ。大きくなったら、本物の世界を飛び回って、必ずスウェーデンにも来いよ」
そう言うニコラスの頬が、水に濡れた以上に濡れていた。
それを見たシャオまでもが、なぜか大声でわんわん泣き始め、つられて僕もヒックヒックと嗚咽していた。
やがて、空のボートだけが帰って来たのを見て青ざめた母親たちが慌てて係員を呼び、スタッフたちに救助された僕たちは、母親たちから大目玉を食らい、ディズニーランドのオフィスで始末書を出す羽目になったのだった。
それは今だに僕の中でとろりととろける半熟玉子のように、たまらなく幸せな思い出となっている。あれ以来彼らとはネットの世界でしか繋がっていない。
でもコロナが終わったら、世界中を旅してやろう。ニコラスとシャオに会うために。
18歳になった僕にとって、あれは紛れもない、世界の始まりとソフトボイルド・ディズニーランドだった、と彼らに改めて宣言してやりたいんだ。
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