第16話 陰性の証明と野生の証明
私は私の町の周囲にある、4つの図書館を利用している。
猫の図書館は、繁華街の中ほどにあり、交通の便も良いのだが、古く手狭な上にいつも混んでいる。
ただ、長年通ううちに猫と親しくなったので、返却期限をかなり融通してくれる。
鳥の図書館は、海辺の町にあり、広くはないが海が見渡せて、解放感がある。
ただ、鳥は気忙しいので、閉館時間間際に行くと、露骨に嫌な顔をするのだ。
犬の図書館は、住宅地の中にあり、利用客は上品で、蔵書量も他の図書館より群を抜いて多い。
ただ、犬ときたら生真面目で本の扱いにうるさく、私がちょっとずさんに借りた本をバッグに放り込もうものなら、うるさく注意してくるのだ。
熊の図書館は、郊外の森の中にあり、新しく清潔で、森の自然に囲まれた環境もとても良い。
熊は、開館当初こそ人の扱いに慣れていなくて戸惑っていたようだが、最近では人と話すことも苦ではなくなっているようだ。
ところが、新型コロナウィルスが流行して、緊急事態宣言が出されると、どの図書館も閉館してしまった。
図書館に行くことが3度のご飯より大好きな私は、2週間程度なら我慢できたのだが、さらに宣言が2週間延長されると決まったときは、あまりのショックで、微熱が出て咳が止まらなくなってしまった。
念のために、猫の図書館の近くに設けられたPCR検査場で検査してもらったが、陽性ではなかった。
猫の図書館のそばを通ると、体がウズウズしたが、街中に長くいるのは感染予防上良くないと思い、急ぎ足で家に帰った。
そしてふと思いついて、熊の図書館に電話をしてみた。
「厚かましいお願いだとは、わかってるんですが、書庫の本のお手入れやお掃除など、ボランティアでいいので、手伝わせて頂けないでしょうか?こんなに長いこと図書館に行けないでいるせいで、どうも体に変調をきたしてしまってるんです。でも、コロナではありません。ちゃんとPCR検査も受けて来ました」
と、電話に出た熊に泣きついてみた。
熊は突然の私の申し出に、何と答えていいかわからないのか、しばらく無言で何か考えているようだったが、
「うー、わかりました。うー、そう言うことでしたら、特別に許可しますので、うー、今からいらしてください」
と、口ごもりながらも快諾してくれた。
山道を30分ほど車で走り、森の中の熊の図書館に着いた。
エンジン音が聞こえたのか、熊がいそいそと出迎えてくれた。
入り口の消毒液で手指の消毒をすると、熊が私の額にピッと非接触型の体温計をかざし、熱を測ってくれた。
体温は36.5度で問題なかった。
「うー、自分は今パソコンで仕事中なんで、うー、終わるまで自由に本を見ててください」
と、熊が言うので、遠慮なくそうさせてもらうことにした。熊は何だか前より、獣臭くなった気がした。
書庫に行くと、私は大きく深呼吸をした。森の木々の湿った香りや、少しカビ臭くなった本の匂いが、私の心を満たしていった。
誰ひとりいない図書館では、耳を澄ますと、本たちが微かな呼吸をするのさえ聞こえた。
その時パタンと音がした。
振り向くと、1冊の本が書架から落ちて来ていた。行って手に取って見ると、日本の小説のコーナーの前の床にあったのは、「人間の証明」と言うタイトルの本だった。
その書架の裏側から、またパタンと音がした。
今度は、詩歌その他のコーナーから 「ゲーテ詩集」が落ちていた。
さらにまた、別の場所からパタンと音がした。
行ってみると、外国文学のコーナーの前の床には「天使と悪魔」と言うタイトルの本が落ちていた。
私はそれらの3冊の本の表紙を凝視した。
そして、タイトルを見て青ざめた。私は車のキーの入ったバッグを手に取ると、森へと続く図書館の裏口のドアに向かって駆け出した。
車のエンジン音を聞きつけて、熊が飛び出して来た。手には肉切り包丁を持っていた。
熊は、長く人間と接しないうちに、野生の本能に目覚めたのだろう。
アクセルを吹かして、車を急発進させると、がっくりと肩を落とした熊の姿が、バックミラーの中で小さくなっていった。
私は本たちに感謝した。
3冊の本のタイトルの最初の文字を繋げると、「に・げ・て」と言うメッセージになったいたのだ。
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