第12話 山火事の夜に

 亜美が全く知らなかった夫の秘密が発覚したのは、山火事の起きた夜のことだった。


 一年を通して乾燥して雨の降らないカリフォルニアでは、昼間の日差しが強く乾燥も激しいので、駐在員の妻たちは肌の手入れに躍起になる。

 亜美は、高校時代の同級生の知世がたまたまロスに住んでいて、日本の化粧品メーカーの代理店に勤務していたので、社員価格で高級な保湿クリームや化粧水を買うことができた。


 そのお返しに亜美も知世に夫の会社のミセス会のメンバーを紹介していた。美しく社交的な知世は、彼女たちにうまく馴染み、知世の勧める化粧品の評判もたいそう良かった。

 駐在員の妻たちにとってもネットで買うよりも、お茶会を兼ねて誰かの家に集まり、賑やかにお喋りをしながら実際に試した上で、市価より少しお得に化粧品を買えることは大きな魅力だったのである。


 同じ28歳とは言え、結婚の早かった亜美は5歳を筆頭に3人の子持ち、片や知世は現地で知り合った彼氏と別れたばかりの独り身だった。

 3人の男の子の子育てに追われ、口紅を引く暇もろくにない亜美とは対照的に、知世は流行のファッションに身を包み、プロだけあっていつも完璧なメイクをしていた。

 亜美にとってたまに会う知世は眩しく輝いていて、メイクやファッションの話をするだけで、独身の頃の華やかな気分をしばし味わえるのだった。


 カリフォルニアの山火事は、夏の乾燥で植物が燃料となり、秋になって強風に煽られ、広大な範囲で燃え広がる。

 9月になって早々に起きた山火事は、ロスの住宅のそばにまで火の手が迫り、亜美は避難の準備をした。夫の一郎は、一昨日日本への出張でロスを発ったばかりだった。3人の子供たちはすやすやと寝息をたてていた。

 亜美は迷った挙げ句、車で十分ほどの知世のアパートメントに身を寄せることを決意した。

 知世にラインすると、「うんいいよ、その方が安全だよ」とニコニコマーク付きの返信があった。

 亜美は寝ている3人の子供たちをひとりずつ起こし、ぐずる末っ子をなだめながら、パジャマ姿のままで車に乗せた。もちろんたちまち必要な着替えや身の回りの物と貴重品一式は一足先に、車のトランクに積んであった。


 夜のフリーウェイを飛ばして、知世のアパートメントに着くと、知世は笑顔で部屋に招き入れてくれた。

 信頼できる友人の顔を見てやっと一安心できた亜美は、急速に疲れを覚えた。

「ありがとう。ひとりでどうしようって、ほんとに不安だったの」

 そう言ってソファに腰を下ろした亜美に、知世はカモミールティーを煎れてくれた。そしてゲストルームには、シングルベッド1つしかないから、ここで親子4人で寝るのでいいかしら、と知世が提案したので、その言葉に甘えてリビングルームのソファに亜美が、床に敷いたキャンプ用のシュラフに子供たち3人が寝ることになった。

 そのようにして、一晩を過ごして朝になった。テレビやネットの情報で、亜美たちの家のある住宅地は、すんでのところで風向きが変わったお陰で無事だと言うことも確認できた。

 亜美がいいと言うのに、知世がおむすびや味噌汁、卵焼きにサラダなどの朝食を用意してくれていた。

 食べ終えて、キッチンに食器を下げに行った亜美は、ふとあるものに目が止まった。梅香屋とラベルに書かれた梅干しの瓶が調味料の棚に置かれていたのである。それは、和歌山にある夫の実家の近所の店の名前で、そこでしか買えない物だった。

 それから洗面所で歯磨きをするとき、亜美が鏡の裏の棚を見てみると、夫の愛用するシャレードと言う名の男性用ローションがあった。 

 決定的な証拠となったのは、見覚えのあるチェックの柄のハンカチーすなわち夫の名前である川瀬一郎のイニシャル入りのハンカチが、洗面台の引き出しの奥に仕舞われていたことだった。


 亜美の頭の中で、すべての事実が一直線に繋がった。夫は長期の出張の度に、おそらくその前後の一泊ずつをここで過ごしていたのだろう。


 リビングルームのテレビには、まだ燃え盛る山火事の映像が映し出されていた。激しく燃える炎の色がそれを見つめる亜美の瞳の中にも、燃え広がっていった。

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