第25話 がっついたらいけないんだって

 サキュバスとは。


 もうそれについて語る必要はないんじゃないかと思うけど、それでは須田春彦の存在意義がなくなってしまうので一応説明する。


 女淫魔、または夢魔と書けばわかるように、夢の中に現れて男を惑わしてエッチなことをする、悪魔の一種。


 彼女たちは超がつく美人の姿で現れるそうで、どんな男手あってもその手にかかれば虜となり、サキュバスを求めてしまうとか。


 しかし、悪魔との性行為にはリスクがあり、段々と精気を吸い取られ、健康状態が悪化し、最後には死ぬと言われている。


 そんな悪魔が、今俺の目の前にいる。


「……ってことは、俺を誘惑すると?」

「ええ、霊力の強い奴だけが見える特別な結界を張ったこの店に入ってきた男を誘って、そのエネルギーを奪っちゃおうかなって。でも、冴えない見た目なのにあっちのほうはすごいのね。お姉さん、興奮してきたわ」


 そう言って、唇をペロッと。

 俺はごくりと、生唾を飲む。


「そ、それってつまり、今ここで俺を襲うって、ことか?」

「ええ。あなたの精気がすっからかんになるまで吸い尽くすつもりよ。多分あなたの霊力なら丸三日はかかるかしら。楽しみねえ」


 また、ぺろりと唇を舐めて、今度は指をくわえる。

 

「お、俺は死ぬのか?」

「ええ。腹上死っていうのかしら。でもね、快楽にまみれながら素敵な夢の中で死ねるわ。悪くないでしょ?」

「……」


 この状況は、吸血鬼や雪女と対峙した時とはくらべものにならないくらいのピンチだ。

 このサキュバス、ものすごい妖力を持っている。

 妖子さんといい勝負かもしれない。そんな相手に俺は勝てるわけがない。


 ……いや待てよ。

 吸血鬼に噛まれそうになった時は、結局何もしてもらえずに血を吸われて終わりだと言われたから嫌だったわけで。

 雪女に氷にされそうになった時だって、ずっと氷の中にいるだけだと言われて、やはり何もしてくれないから嫌だったわけで。


 でもこの女、やらせてくれるんだよな?

 俺、死ぬ前に童貞卒業できるんだよな?


「お、お前、本当にさせてくれるのか?」

「あらあらその気になってきた?ええ、そうしないとあなたの力、もらえないもの」

「もう一度だけ聞く。それって、ちゃんと挿れさせてくれるのか?」

「あはは、もちろんよ。私だって、霊力の強い人との行為は嫌いじゃないし。大丈夫、ちゃんとリードしてあげるわ」

「……」


 俺は一応考えた。

 この場でこいつに抵抗して、勝ち目のない勝負を挑んだ挙句何もされずに殺される未来と、この女に三日三晩好き放題にされて、幸せそうに逝く未来と。

 どっちがいいかを一応考えた。


 でも、考えるまでもなかった。


「よろしくお願いしまぁあす!!」


 もう、望むところだった。

 こんな美人に抱かれて死ぬのなら本望である。

 もう、童貞を捨ててから死ねるのであれば、本懐である。


「あ、あら随分と威勢がいいわね。じゃあ早速」

「お願いします!好きにしてください!」

「え、ま、まあ待ちなさいって。ここじゃなんだから奥に」

「嫌ですここでしてくださいじゃないと絶対に嫌です!」

 

 俺史上最大級にぎらついていた。

 サキュバスとの出会いなんて、他の人間からしたら不幸なのかもしれないが俺からすれば宝くじが当たった並みに幸福な出来事だ。


 もう、快楽に身をうずめて死にたい。

 どうせ死ぬならそうでありたい。


 そう願った。 

 そうであれと懇願した。


 しかし。


「え、なにこいつ、めっちゃがっつくんだけど……え、どうしよ、え?」


 なぜか。

 サキュバスがドン引きしていた。


「え、ダメなんですか?俺としないんですか?」

「い、いやだって、あの、あんた死ぬのよ?それ、わかってる?」

「知ってますよ!でもその前にやらせてくれるんなら本望なんですって!なんなら最初の一発終わったら殺してくれていいですから!」

「え、なにこいつ、めっちゃ怖いんだけど……」


 死ぬかもしれないなんてことに焦りはなかった。

 戸惑いも、不思議となかった。

 でも、このチャンスを逃すかもしれないという絶望が、俺を襲ってくる。


「お願いしますお願いしますって!散々他の妖怪に好き放題されてそのくせ誰も何もさせてくれなくてしかも毎回死にそうな目にあって、もう嫌なんですよー!せめてお姉さんに優しくされながら死なせてくださいよー!」


 別に自殺願望があるわけではないが、変な事件に巻き込まれて死ぬよりはずっとまし、という賢明な選択だった。

 しかし、童貞の圧力というものは時にどんな悪魔であっても退けるだけの、そんな気持ちの悪い力があったようです。


「え、ごめん、なんかすんごくごめんけど、やめといても、いいかな?いや、あのね、そんなつもりじゃなかったというかさ、ええと、うん」

「……え、俺じゃダメなんすか?」

「いやあ、ダメじゃないけど無理というか、まあ悪魔だし、程よく死に対して絶望してくれてないと萌えないというかさあ。そんなに前のめりだとちょっと……」


 ダメだった。

 俺は、サキュバスにも見放されてしまった。


 それこそ絶望だった。


「お、俺……やっぱりダメなんだ。ああ、期待させやがってこのくそ淫乱悪魔め!」

「ご、ごめんって。わたしだってそういうつもりじゃ」

「お前もここで寝てる雪女たちと一緒だよ!クソッ、選びたい放題だからって健全な童貞男子を弄んでいいわけないだろ!」

「だ、だから怒らないでって。あ、パスタ食べる?」

「いるか!」


 この後、俺はつららが目を覚ますまでの十数分間、ずっと目の前のサキュバスにねちねちと嫌味を言い続けた。

 

 そして、つららが目を覚ました時に、


「あれ、須田っちなんで泣いてんの?」


 と言われて初めて泣いている自分を自覚した。


 須田春彦、十八歳。


 美女にお預けを喰らって男泣きする午後の昼下がりだった。

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