第5話 ホテル、行かない?
自分の金ではないし別にいいのだけど、どうしてあんなに散財してしまったんだと家に戻ってからめちゃくちゃ悔やんだ。
ついあの妖狐の陽気さに誘われてストッパーが外れてしまった。
こんなことで俺、ちゃんと仕事をやっていけるのだろうか……
ちなみに妖子さんは一緒には帰らず、やることがあるからといってどこかに消えた。
まさか、まだ遊びまくってるんじゃないだろうな。
いや、あり得る。あり得るというかそうに違いない。
しかもその金も、どうせあこぎなことをして稼いだ金だろう。
ほんと、世の中ってつくづく美人に甘いよな。
妖子さんにまた少しイライラしていると、気が付けば外はすっかり暗くなっていて、俺は銭湯に向かう準備をする。
ここのアパートには風呂がなく、大学と反対方向にしばらく歩いたところにある銭湯に行くしか体を洗う方法がないのだ。
全く、不便な場所に住まされたものだよと、夜道を一人歩きながらしげぴーの策略にはまった自分を嘆いていた。
そして、銭湯の灯りが見え始めたその時。
その前に、一人の女の子が立っているのを見かけた。
……綺麗な子だ。
金髪の、少し瞳の色が赤みがかったはっきりした顔立ちの美人。
それに背も高く、まるでモデルのようだ。
その立ち姿に、思わず足を止めた俺は、何気なく彼女の方をじっと見てしまう。
そして、向こうも俺の視線に気づいたのか、こっちを見てきた。
「あの……何か?」
「え、いや、すみません。き、綺麗な髪、だなって」
とっさにそんなことを言ったが気まずい。
それに気になった相手をジロジロ見てしまうのは俺の悪い癖だ。
もちろんかわいい子をつい目で追ってしまうのは男の本能ともいえることだが、俺の場合、何か霊がついていないかと、必要以上に相手を覗き込む癖があるのだ。
そのせいで昔、好きでもなんでもない女子に「ぬーげーが私のこと視姦してくるー」なんて騒がれた。
あのブス、まじで自意識過剰だったよな……ムカつく。
まあ、俺も目つきがいい方ではないし、人外のものにピントを合わそうとすると、目を見開いたり細めたり、寄ってみたり引いて見たりとすることがあるので、挙動が変な俺にも問題があるわけだが。
……って昔を振り返ってる場合か。早くこの場を去らないと。
「す、すみません急に。では」
そのまま銭湯の暖簾をくぐろうとしたその時、がしッと俺の手が誰かに掴まれた。
「え……あ、あの?」
見るとさっきの金髪の子が、俺の手首辺りを掴んでいた。
そして下を向いたまま動かない。
「あ、あの?」
「……すみません、少し私のお願い事を聞いていただいてもいいですか?」
「は、はい?」
謎の美女が俺にお願い事をしたいと言ってきた。
これはどういう状況だ?
まさか、この子も……
「な、なんですか?」
恐る恐る、彼女の方を見ながら俺がそう聞くと、彼女は言いにくそうに一言、俺に告げる。
「私と……ホテル行きませんか?」
◇
サーっとシャワーが流れる音を聞きながら、俺は今ホテルのベッドに腰かけている。
……待て。待て待て待て。落ち着け俺!
一旦何が起こっているのかを整理しよう。
まず、銭湯の前で金髪の美女と会話になり、呼び止められた後ホテルに行かないかと誘われて、ついて行ってそのまま一緒にホテルに入って、彼女が先にシャワー浴びてくると言って今に至るんだよな。
つまりこれって……逆ナン!?
いや、そうだよそうに違いない。
どういうわけか知らないけど、そんなん知ったこっちゃない。
俺はこの後、あの子とエッチするんだ。
さすが都会だ。こんな劇的な展開が待っているなんて。
ラブホテルというものには初めて入ったが、なんか薄暗くてエッチなムードがむんむんと漂って仕方ない。
それに、枕元にあるあれは……ど、どうやってつけるんだ?
クソッ、こんなことならもっと予習しておくべきだった。
なんならあの妖狐からエロ本でも借りておけばよかった。
とまあ落ち着かない自分をなんとか鎮めようと他のことを考えてはみるが、全然落ち着くわけもない。
やがてシャワーの音が止まった。
か、彼女は下着姿で出てくるのだろうか。それともバスタオル一枚で……
いや、もう裸なのかもしれない。そのまま「抱いてください」なんてことも。
くふぉー、もう我慢できない。
早く、早くきてくれ。
「お待たせしました」
と、金髪の美女は部屋に戻ってきた。
見るとさっき来ていた服を着直していたので、少しがっかり。
でも、慌てることはない。ここは密室だし鍵もかかっているんだ。
「え、ええと。俺もシャワー浴びてきますね」
「いえ、そのままで。私、男性の汗の匂い、好きなので」
「ほ、ほほう」
ホテルに来るまでは少し遠慮気味で大人しそうな雰囲気だったのだが、今は目がぎらついているように思える。
それに赤く大きな瞳がより一層輝いている。
これは、もう戦闘モードということでよろしいのですか?
「じゃ、じゃあ、ええと」
「はい、早速始めましょう。脱いでくださる?」
リードの仕方も何もわからない童貞の俺を引っ張るように彼女はそう告げた。
もちろんとばかりに俺は、着ていたTシャツを慌てて脱ぎ捨てた。
今ここに、須田春彦の童貞喪失劇が開幕す……
「あ、あれ……体がうご、かない」
「うふふっ、私の目を覗き込んだのだから当然ですよ」
「な、なにをいって……」
どういうわけか、体が硬直して全く動かなくなった。
そして急に、怪し気に笑いだす彼女は、うろたえる俺に名乗る。
「私、カミラ・ローザといいます。実は私、吸血鬼なんです」
吸血鬼。
それもまたあまりに有名な怪異なので敢えて説明するまでもないだろう。
そう。
吸血鬼は。
「あなたの血を、いただきます」
その名の通り血を吸うのである。
「ま、待て待て!お、俺の血なんてうまくないぞ?」
「あら、あなたすっごくいい匂いがしますわ。何か特別な、とても霊力の強い血をお持ちのようで」
「そ、そう、なの?」
「ええ。なので私、久しぶりに興奮してしまいましたの。血を断ってから十年余。そんな私の禁断症状を目覚めさせたのはあなたですもの」
「い、いや、俺はなにも……」
「さてと、雑談はこの辺りにしてさっそくいただきます」
「こ、ころさ、ないで……」
「さて、どうでしょう。久しぶりなので私、吸い過ぎてしまうかも、ですね」
「ひっ、ひ……」
彼女が薄ら笑いを浮かべると、そこにはきらりと光る大きな八重歯が。
いや、あれは牙だ。あれで俺をガブリといって、そして……
ああ、今思えばつまらない人生だった。
変な家系に生まれたせいで幼少期からいいことなんてなくて、それでもせっかく大学にきて自分の力の使い道とやらを見出せそうになって、ようやく何かが変わると思っていたのに。
それに、童貞のまま死ぬなんて。今度生まれ変わる時は、絶対に普通の人間にしてほしい。そして初体験はさせてほしい。
そう願いながら、俺は覚悟した。
その時。
「ちょっと待ちなさい。その男は私の犬よ」
内側から鍵がかかっている扉がなぜか開き、聞き覚えのある声が。
「よ、妖子、さん?」
「あらあら、だらしない上半身を晒して何をしてるのかと思えば吸血鬼の餌にされそうとはね。いいざまだわ」
「い、いやこれはだな」
「どうせホテルに誘われて鼻の下のばしてシャワーを待つ間にキモい妄想繰り広げてアソコを固くしながら待ってたせいで彼女が吸血鬼だと見破れなかったんでしょ。ほんと、童貞ってもはや犯罪ね」
なんでそこまでボロッカスに言われないとならないんだよ。
童貞が犯罪?それなら男は生まれた瞬間みな犯罪者だよ!
「あなたは……そう、妖狐ですか」
「ええ、私は怪異のキング。いえ、レディだからクイーンかしら。で、あなたはヴァンパイア、それもハーフね」
「……邪魔しないでください。私はこの人の血を」
「こんなゴミの血なんて飲み干して干物にしてから川に捨ててしまって結構と言いたいところだけど、まだ彼には働いてもらう必要があるのよ。だから、返しなさい」
「嫌です。この人の血は他にない唯一のものです」
「そんな素敵なものなわけないじゃない。こんなチンカス野郎の血なんて飲んでも病気になるだけよ」
硬直したまま妖子さんと吸血鬼の会話を訊いていて思うことがある。
……ひどくないか?
「おい狐!お前俺が動けないからって言いたい放題言うな!」
「口だけマヒしないとはさすがお喋りくそ野郎ね。さっさと全身硬直して死ね」
「死ねって言っちゃったよ!お前、助けに来たんならさっさと助けろ!」
はっきりいってここまでくそみそに言ってくる妖子さんに助けられるのは癪だった。
なんならもう俺を必要としてる吸血鬼の彼女に血をあげて死んだ方が幸せなんじゃないかとも考えた。
でも、やっぱり死にたくなかったので助けを求めてしまう。
「頼む、まだ死にたくない」
「わかったわ。ふん」
「うげっ」
「え?」
彼女は吸血鬼にデコピンした。
すると。
吸血鬼は意識を失って倒れた。
「はい終わり。さて、帰るわよ」
「え、雑っ!吸血鬼ってもっと、ほら十字架とかニンニクとか使って退治するんじゃ」
「私の親戚に鬼がいてね、ちょっと鬼の血が入ってる私は鬼を御する力も兼ね備えてるわけ。吸血鬼も一応鬼だから例外じゃないわ。ほら、帰るわよ」
彼女が俺の肩に触れると、さっきまで動かなかった体が急に力が抜けたように元通り動くように。
そしてさっさと部屋を出ていく妖子さんに、慌てて服を着てついて行く。
「で、でもあの子置いてってよかったのか?」
「いいわよ。それより、気をつけないとあなた、童貞失う前に命なくすわよ」
「……反省してます」
美人の色香に惑わされてのこのことホテルについて行って罠にかかって命を落としたなんて、洒落にもならない。
しかし、やっぱり怪異はそこら中にいるのだということだけは、改めてしっかりと認識させられた。
「ではあなたの反省会を兼ねてどこか食べにいくわよ」
「た、確かにお腹すいたな。どこ行くんだ?」
「居酒屋で朝までフィーバーよ」
「お前、未成年だよな……」
なにはともあれ俺は彼女のおかげで一命をとりとめた。
しかし、こんな事件などまだ序の口に過ぎなかったと知るのはもう少しあとになってのこと。
もちろんそんなことを知る由もない俺は、妖子さんについて行き呑気に二人で居酒屋の暖簾をくぐるのであった。
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