第2話 振り返ると狐
彼女は一体なんだったのだろう。
玉藻妖子。妖怪だって言ってたけど。
実際この世に妖怪が実在するなんてな。
田舎のか弱い幽霊くらいしか見たことのなかった俺にとって、彼女の存在はあまりに衝撃的だった。
名乗ったあと、彼女はすぐにどこかへ歩いて行ってしまった。
話をしようなんて言ったくせに随分そっけなかった。
それに、後を追いかけようと思ったのに俺は何故かしばらくそこから動けず、しばらくしてようやく足が前に出て、空腹など忘れて部屋に戻ったところで今に至る。
夢じゃ、ないよな。
いや、幽霊がいるんだから妖怪がいても不思議な話ではない。
しかし、あれほどまでにはっきり人の姿をして、人の言葉を話す怪異には初めて会った。
だからにわかに彼女の話は信じがたい。
あの耳だって、何かの見間違いか、コスプレの一種だったのではとも考えた。
しかし動いてた。
彼女が話すとぴょこっと。
……学校で出会ったら、声をかけてみようか。
いや、そんな度胸が俺にあるだろうか。
結局部屋に戻ったあと、ずっと彼女のことを考えていると一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。
◇
「ああ、もう明るいな」
大学生活の初日となる今日は、学校に出向いて講義の登録をしなければならない。
大学は自分である程度受ける授業を選べる。
ただ、登録しなかったり不要な単位を取得してしまうと卒業できなくなってしまうのでまず最初に、きちんとどの授業を選択するか決めておくことが重要なのだ。
だから寝てしまってはいけないと、体を起こした時にドアをノックする音が。
「すみませんお届けものでーす」
宅配?
何か頼んだ覚えはないんだけど、親からの仕送りかな。
「はい?」
「玉藻様宛、雑誌ですがここで間違いないですか?」
「え、玉藻?いや、違いますが」
どうやら間違いだったようだ。
しかし配達の人が発した名前、聞き覚えがあるぞ?
「あ、それ頼んだの私」
声がした。
聞き覚えのある声だった。
しかしどこから?
と、振り返ったらそこには銀髪の美女が。
「うわっ!」
「朝から大声出さないで。はい、いつもありがとう」
「まいどー」
ポンとシャチハタを受領書に押すと、嬉しそうに茶封筒を受け取り当たり前のように俺の部屋に戻っていく。
「さてさて、じっくり読もうっと」
「待て待て!なんで勝手に人の部屋に入り込んでるんだ?いや、どこから入った?」
「え、ベランダ」
「いやダメだろ普通に!」
「いちいち細かいわねー。男ならもっとズッシリ構えてなさいよ」
細かいとかそういう問題か?
しかし彼女は俺のことなど気にも留めず封筒の中身を取り出す。
「な、何買ったの?」
「え?エロ本だけど」
「人の家で読むな!ていうか人の家に変なもの届けさすな!」
「だって、自分の部屋で読んだら部屋が汚れるでしょ?」
「何するつもりだよ!」
と、勢いでツッコんでからすぐに彼女を見ていかがわしい妄想をしてしまう。
まさか彼女、エロ本を読みながら俺の部屋で……
「今、変なこと考えたでしょ」
「そ、そんなことないぞ……いや、考えたとしてもそれは俺の責任じゃない!」
「これだから人間の男は嫌ね。いえ、童貞は嫌、の間違いかしら」
「か、勝手に人を童貞扱いするな」
いや、正解だけどさ。
「童貞よ。どうせ今までモテないのを自分の異能のせいにしてキモい言動を治そうともせずに生きてきて大学では彼女作るぞーとか意気込んでる童貞なのが丸わかりよ」
「な、なんでそこまで……って、いやなんで俺の力、知ってるの?」
俺の力。
異能。
霊や怪異が見える。触れる。
そんな話、した覚えないけど。
「見たらわかるわ。それに、私のキュートなお耳、見えるみたいだし」
と言って、わざとらしく頭から獣の耳をぴょこんとだして、これまたわざとらしくその耳をぺこぺこさせる。
「や、やっぱりお前、妖怪なのか」
「ええ。正確には半妖。九尾の狐の末裔よ」
それはあまりに有名な妖怪なので敢えて説明はしないが、しかしその妖怪はどの創作物でも妖怪の王、ボスとして描かれる最強の妖怪の一人。
そんなものの末裔が彼女だというのか?
「驚いた?でも事実よ。ほら、尻尾も」
「うわっ。ほ、ほんとだ」
今度は背中を向けて、ぴょんと尻尾を生やす。
しかもちゃんと九本ある。
「そ、そんな妖怪の末裔が一体俺になんの用だってんだよ」
「用?そんなものないわ。エロ本を堂々と読める場所探してたらちょうどいいところにあなたがいたから」
「いやだからなんでエロ本なんだよ!妖怪とはいっても女子大生だろお前」
「女子大生がエロ本読んだらダメって誰が言ったの?」
「い、いやまあそうだけど……」
「あーやだやだ、そういう偏見が差別になって、私たち妖怪が隅っこに追いやられていくのよねー。あーあー、あんただってそれで苦労してきたくせにねー」
偏見や差別。
たしかに俺はそんなものを受けて育ってきた。
小さい頃から人には見えないものが見えた俺は、それに向かってよく話しかけていた。
もちろん周りからは独り言を呟く気味の悪い子供にしか見えなかっただろうから、随分と近所の人に疎まれたものだ。
それに学校でも、よかれと思ってやったことが全て裏目に出て、結果的にはいじめられていたようなものだった。
こんな異能に理解を示せとは言わないが、他人に気味悪がられる辛さを知ってる俺なんだから、彼女のことを差別するようなやつには……
「って別に差別関係なくない?女子がエロ本読むのどうなのって話だよ!」
「うるさいわねいちいち。読書の邪魔よ」
「エロ本鑑賞を読書というな!帰れよ」
「あーもうわかったわよ。じゃあ帰る」
頭から生えたケモミミの方を小指でほじりながら、彼女はだるそうに立ち上がりエロ本片手にそのまま部屋を出て行く。
やけに聞き分けがいいなと、彼女が出て行った後すぐに玄関を開けて様子を伺うと、彼女はアパートの出口の方、ではなく奥の部屋の前にいた。
そして鍵を出して扉を開ける。
……
「え、そこ住んでるの!?」
「あら、なによ私のプリティな後ろ姿に惹かれてつい見にきちゃったの?」
「い、いやそうじゃなくてだな」
「私の部屋はここよ。じゃあまたね、お隣さん」
パタリと扉がしまり、彼女は部屋の中に消えていった。
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