第二層 平和

 危うく気持ちが持っていかれるところだった。案外『私』にもまだ幻想を抱く心が残っていたらしい。そしてアリスは「9つの層」と言った。信じられないが、まだあんな場所が他にも。


「とうちゃーくっ!!」


 地面を抜けた先、また『私』は空の上に居た。最早浮かぶことも、飛ぶことも慣れて来そうで怖い。


「ここが第二階層の『平和』で御座います!!」


「……ここが?」


「ここが、です!!」


 アリスがあまりにも自信満々に胸を張るので、再度目を凝らして確認する。


 しかし何度見たところで、結果は同じだ。


 同じ。見知った建物、光景、何ならあの学校も──日本だ。まんま日本。何もかも知っている場所。何ならこの上空からの景色なんて朝のニュースか天気予報で見たんじゃないかと思える。


「日本を再現した層、なの?」


 正直言って、これなら1層目の方が遥かに胸が躍る。


「現実を再現した層、ですよ。海の向こうには勿論外国もあり、銀河系も可能な限り再現しています。魔法もありませんし、物理法則も法律も文化も同様」


 何が面白いんだそれは。


「おや、不服そうな顔をされていますね。この『平和』はお客様の満足度も人気度も共に一番なのですよ? 何せ『平和』ですからね」


 アリスがステッキを振ると、ガラス張りのエレベーターが出現する。と言ってもどこにもケーブルが無い、このままではただの箱なのだが。


 扉が開き、ご案内された『私』、そして後に続いてアリスが乗り込む。するとエレベーターは降下を始め、アリスは「下に参ります」と、悪戯な笑みを浮かべた。入り口付近に設置された、オレンジに発光するボタンは1から9までの数字が刻まれ、今は2が輝いている。


「この『平和』の基本は『混沌』と同様です。名前と容姿、ここでは職業を自由に選択して頂きます。勿論学生でも、ニートでも可能で御座います。衣食住も最低限の補償完備付きの安心設計!」


 地面に到着すると、そこには見知った、あの交差点が広がっていた。『私』がここに来る前、現実でいたあの。


 青に変わった信号機の配置や、建物も同じ。せっかくこんな訳の分からない場所まで来たというのに、こんな訳が分かっている場所では嫌でも、色々思い出してしまう。


「しかし最も違う点は、この『平和』には生と死の概念が無いことです。年齢さえも自由に選択可能です!」


 だが、ここには憂鬱な顔をした者が誰一人もいなかった。皆、与えられた『平和』の中で、この場所こそが現実だと、楽しそうに。


「生死が、ない?」


「味覚はありますが空腹も、病気も、痛覚はありますが怪我も、老いもありません! 死に繋がるような事故、事件、その他の出来事が決して起こらないよう常に監視し調整しているのです。簡単に言えば、法律を犯すような行いが不可能。害意を持った行動は即時対処で永久追放だと、事前に説明していますので!」


「それなら医者も警察も要らないことになるけど。職業の選択は自由って言ったよね?」


 アリスは『私』の指摘に、軽く鼻を鳴らした。


「一部を除き、と言いました。完璧な『平和』には軍人も医者も、残念ですが存在を許していません。ああ、探偵と警察官はいらっしゃいますよ。殺人は起こりますからね。但し、殺されるのはわたくし達が用意した──人形ですが。他にもちょっとしたイベントやドラマチックな展開が起こるよう、わたくし達で細工をしてあります。車に轢かれそうな女の子を助けるとか、曲がり角で転校生と衝突するとかね」


 なるほど。確かにそれは、ありえない程に──理想郷だ。


「完璧で完全な秩序を再現した『平和』で、存分に『ありえそうな現実』を堪能して頂くのが、この階層のセールスポイントなのです!」


 平和、というより平和の強制じゃないか。


「そんな現実楽しいだけだよ。生も死もない? 職業も自由? そんな現実で誰が頑張るの? やりがいも生きがいも失うわ」

 

「いけませんか?」


「少なくとも私は否定する。だってここには家族も友人もいない。与えられた幸福があるだけだもの。現実とは違う。ただの夢、ごっこ遊びだよ」


「それはあなたが恵まれているからです。理想から目を逸らしている」


 アリスは軽く笑うと、3のボタンを押した。


「現実で家族が元々居なかった人、病気で死を待つだけだった人、周囲から孤立し、自殺を選んだ人。あなたはそれらの人々を否定出来ますか? やりがいや生きがいを得るための頑張りが足りていませんか? あなたの言う現実は、それらの人々に手を差し伸べるほど優しいものでしたか? 幸福を、否定出来ますか?」


 アリスの問いに、『私』は口を開けなかった。


「生も死も、許されるのは恵まれているからです。生きがいなんてのは、生きているから、死なないために仕方なく見つけている。無ければ無いで見つける必要もない。その証拠に、ここの人達はほら──みんな幸せそうでしょう?」

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