ドラゴンキラー!!

 あれからどれくらい歩いたっけ。


「すみません、そこのカナブンさん。ここは一体……」


 手当たり次第見つけた虫に片っ端から声を掛ける、などという馬鹿らしい行為もこれで何度目か。


「ったくもう」


 何度目の失敗か。アイツらは『私』の羞恥心などお構いなしで、声を掛けるなりすぐに、飛び去るか地中に隠れてしまう。虫が話せるならばと思い、虫以外の動物も何度か見かけて声を掛けるも、結果は同じ。


 であればこの、木はどうか。


 勿論試した。同じように優しく声を掛けても返答が無かったので、試しに触れてみたのだ。すると、


「っ、わ、わかったわよ……」


 ぶるぶる、このように大量の葉を撒き散らして『さわんな』と、たかが木の分際で身を震わせて拒まれている。なるほど『私』はどうやら、この森に無視されているらしい。そう理解するのに時間は掛からなかった。


 おまけに蚊が話していた「街」とやらも一向に見つからない。


 このまま闇雲に歩き回っても良いのだろうか。いたずらに体力を消費するだけだ。サバイバルの心得も、水も食料もないのに。


「ん?」


 なんだろう。木々の隙間から、きらきらと僅かに何かが光っている。


 突然現れた視界の変化に、諦めかけた『私』の足は自然と歩き出していた。舗装されていない場所を歩く辛さも忘れ、根や蔦を踏み越えて、なんなら小走りで。


「ホントになんなの、ここ」


 そうして抜けた先。光の正体は反射だった。


 底さえ見える程透明で、宝石のように青緑に輝いている──湖。ほとりに足を踏み入れると、足裏の感触が土から、硬い石へと変わる。水源は見当たらないので恐らく雨水が溜まったモノ、だろうか。


 つくづく不思議な場所だ。


 開けた視界。こんなに明るいのに、見上げてもどこにも太陽がない。雲もない。おっと、魚はいるようだ。


「お、おーい」


 しゃがみ込んで、指先で水面に波を立てながら、魚に呼びかける『私』。もし仮にこれが夢であったとしても、この馬鹿げた行動は生涯家族や友人にも話せないだろう。


「はいはい。だめってことね」


 加えて独り言も増えてきた。健闘虚しく、どうやら『私』は森だけでなく湖の住人にも嫌われているらしい。もしかしてさっきの蚊はこの森の支配者だったりしたのだろうか。


 最早溜息すら溢れない。


 さて次はどうするかと、『私』は立ち上がった。


「あ」

 

 立ち上がって視界に入った影に、『私』は一瞬硬直する。湖を挟んで対面に、ポツンと1つ。『私』は『私』が最も探し求めていたものを確認したのだ。

 

「人、だ」


 はっきり見えない筈なのに、どうしてかそうだと直感した。あの縦長のシルエットは間違いないと思ったのだ。


「あ、あのっ!! すいませ──」


 あ、これ、まずい。


 思わず呼び掛けて、しかし途中で口を噤んだ。


 湖の対面の人影が、じっと『私』を見つめている気がした。


 そうして一歩、淵に沿って右に人影が歩き出した。決して早くないが、断じて遅くはない速度。


 正面から横向きに変わって、人影が右手にしているが目に入った。


 これだけ探し回っても動植物しかいなかった森。人の形跡が一つもない、こんな森に人影。だとすれば『私』の行動はあまりにも軽率。目先の希望に囚われていた。


 さっきあの蚊は、なんと言った?


 背筋が凍った鳥肌が立った、という言葉を今ほど痛感したことはない。もしかしたら違うかもしれない。でもそんな、かもしれないは駄目だ。


 だって『私』は、もっと警戒するべきだった。


「っ、どうする」


 あの人影が『殺人鬼』であるという可能性を考慮するべきだったのだ。


 幸いまだ距離はある。湖を迂回して来ているのだから、今なら全力で走れば逃げられるだろう。


 だがどこに? 


 一体『私』はここから、どこへ逃げればいい?


 突如、足元がふらつく程に地面が揺れ、水面に大きく波が立った。


「こ、こんなの」


 それはによってもたらされた振動だとは、すぐに理解出来た。暗くなった視界は、『私』が巨大な影に覆われたからだと。


 すぐ近くの左、開けた場所に降り立ったモノ。


 地鳴りのような咆哮、蚊が言っていたもう1つ。漆黒の鱗、巨大な体躯に見合った牙。爬虫類と同じ目。感じた熱は、それの口元から溢れている炎から。


「嘘、でしょ……」


 実際に見た経験は無い。だって現実にはいない空想の怪物なんだから。それでもこれは他に言い様がないくらい『ドラゴン』だ。可能性を考慮すべきとか、逃げられるとか、全部吹き飛んでしまった。『私』にはもう、ただ足を竦ませて立ち尽くし、身を委ねる以外選択肢が無いじゃないか。


 こんなわけの分からない森で、こんなわけの分からない状況で、


「ああ、もう」


 死ぬんだ。


 左は口を大きく開けた『ドラゴン』の、喉奥から眩い光。右はいつの間にやら距離を縮めた『殺人鬼』が刃物を振り上げている。


 痛みがありませんように。苦しまずに済みますように。訪れる終わりに対する精一杯の抵抗として、『私』は瞼を強く閉じた。


「あなたの願い、しかと聞き届けました」


 そうして聞こえたのはドラゴンでも殺人鬼のものでもない。


 聞き覚えのない──少女の声だった。

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