第44話 地獄に落ちたのか?(後編)
「なんだここは……?」
着水の感覚はあったのに、気がつくと暗闇に立っていた。
靴にはごつごつとした岩場の感触。だが手を伸ばしても岩壁はない。声の反響具合からしても、かなり広い空間のようだ。
八淵川に飛び込んだ先にある空洞。まさかここは――
「よう、迫水辰。なんでお前が来るんだか」
暗闇の底の方から響く男の声。聞き覚えがあった。こいつはいつも、声だけで現れる。
「都築の……!何故生きてる?」
「お前が頭吹き飛ばされても動いてるのと同じ理由」
「…………」
「ご存じない?相応の手順を踏まないと殺せない状態だ」
あの時、吹き飛んだはずの頭。新しく細胞分裂して生えたというよりは、狙撃が無かったことのように肉片が元に戻った感覚があった。こいつの体も元通りになったのか。
「オレが死なないって、分かっててやったのか」
「こっちは20分割だ。痛み分けってことで多めに見てほしいね」
「…………もっと念入りにやればよかった」
「あれより?挽き肉かよ。
そうやって挑発に乗りやすいから、利用されんだぞ。こっちは助かったけどな」
「利用?」
「お前を怒らせて魂を送ってもらうのが、この場所に至るのに、一番てっとり早かったのさ」
腹立たしい。こいつの思い通りに怒ってしまう自分の弱さが。
「……こんな所じゃなくて、地獄に送るつもりだったのに」
「こわいなぁ」
ぶつけるのは、これで終わりにしよう。今は
「それで、この空間が八淵の地下空洞なのか?」
「ああ。お前が立ってるのが、噂の龍の
だが、俺がいるのはもう少し下の階層。八淵の底は深いんでね」
「お前、やっぱり地獄にでも落ちたのか?」
「…………さぁ?ま、気分の良いところじゃないのは確かだ」
この下に何があるというのか。
問い詰めようとしたが、都築の男は話を続けた。
「この場所に来ないと敵の最終目的、八淵の霊力の完全な使用権は手に入らない。ならどこの誰か分からなくても、ゴールで待っていれば向こうから来るだろ?
仮に来れないまま、大昔の呪いを掘り出して使われても、ここが元栓だ。地上に悪性がばら撒かれるのは阻止できる。
これが俺の計画。まぁ、
「マサキ……!彼は何をしたんだ?」
あの部屋にいろ、なんて命令は破られるのは分かっていた。むしろそうして欲しかった。
怖い思いをたくさんしたはずのマサキが、あの黄金の柱の何に関わっているというのか?
「はぁ……。お前の反省会のほうが先だよ。
せっかく解放されたのに、助走つけて自殺するやつがいるか」
都築の男の心底呆れた、ため息。
『反省会』という軽い響きの言葉尻は、挑発と分かっていても腹立たしかった。
そんなのじゃない。断じて、この想いは軽く受け取られるべきじゃない。
「自殺じゃない。オレはそんな簡単に死ねないって、お前だって教えてくれただろ。
八淵川はオレの力の源だ。
少しでも水の流れをおさえて、被害の少ない所に流す……お前と喋ってる暇だってないんだ」
「ふん、でも他に期待してた可能性があるだろ?」
「…………」
「自分の命で水は落とせないのかって」
「…………それだって、当然の
否定など、できなかった。
自分の罪深い命で払えるなら安いものだ。
「都築
だが、俺がこの場所に至っているなら話は別だ。水を落とす術式を再構築できる」
「本当に!?」
「あとは上の水の処理だけだ。一度にこの量だと一般人なら普段の3倍はいるが、まぁお前なら霊力高いし、代金には十分足りるだろう」
「なら……!」
「でもやらない。なぜなら家に帰るから。
俺がここで術式を使うと、上に戻れる保険がきかなくなってね」
気持ちが起き上がった瞬間に叩かれて、体から力が抜ける。
勝手だと分かっていても、失意が隠せない。体を八つ以上に裂かれても街を守る覚悟があったことを、少し見直していたのに。やらないなら、何も言わなければいいのに。
「……オレが死ぬだけじゃどうにもならないのか?」
「ならない。最初から、お前がどうにかできることなんてない。
そういうの、もうやめろ。お前は逃げてるだけだ」
「………………逃げてない……」
「お前のせいじゃない、お前は何もしなくていいというのは、逃げじゃなく事実だ。
それを否定するほうが逃げの態度だろうが」
それだけ言い放って、男は口を閉じた。
重たい沈黙が、オレの答えを待っていた。
「…………じゃあこの苦しみはいつ終わる?」
吐き出した思いは、悔しいことに指摘通りだった。自分の罪じゃないなら償えない、償えないなら終わりは来ない。
「さぁ、知らないな」
「……突き落としたいんだか、
「都築久城がはじめたこと、都築の罪の落とし前は、復興への
お前は、一人で出来ることがまだあると思うか?」
あればよかった。あると信じたかった。
その結果がどうだ。このざまだ。
受け入れろ。自分の無力さと、終わりのこない罪悪感を。償いは安い命ひとつ投げ出すことじゃない、避けられない長い道のりの中にあると。
「とれない責任に気を取られて、出来ることすら取り
例えば、お前に助かってほしい正城の気持ちとか」
マサキは本当にそう思ってくれているだろうか。オレがここで考えても答えは出ない。彼に全てを明かして謝り、結果を受け入れるしかない。
「じゃあ反省会終わり。こっからが本題だからな。正城の現状についての話だ」
都築の男は、沈黙を肯定だと受け取ったようで、とっとと話題を切り上げてしまった。正直ありがたいし、マサキの話のほうが重要だ。
「あいつは単独で動いて堰根が犯人だと特定。追いかけた先の八淵病院で異能を開花させて、市内全域の呪いを一旦解除してくれた。
お前のほうが綺麗に見えたんじゃないか?地下には光が届かなかったのが残念だ。
まぁ、調子に乗りすぎて最後にいらんピンチをひきよせてるんだが。まったく……」
「ピンチって、マサキに何が!?」
「お前ん家の裏山に入って、そこで堰根に捕まった。堰根の行き先はお前もよく知ってる泉で間違いないだろう。八淵川の水源のひとつ、霊的には
詳しい説明は省くが、都築久城が今のシステムを作る前、八淵洞から霊力を引き上げる方法は、あの泉から生贄を落とすことだった。堰根はそれを利用する気だ。
今の異能に目覚めた正城を生贄にできたら、ここを取りに来れるだろうな。
もちろん、正城の身も無事じゃすまない」
「助けにいかないと!」
「威勢が良くて嬉しいね。だが堰根と会ったら、命の取り合いになるって分かってるか?」
前のめりになった気持ちに、水をかけられる。正義感なんかで覆い隠して、人殺しをしてきた自分の罪を自覚したばかりだというのに。
「それは……捕まえるだけだって……」
「法も警察もない術師の世界でどこに突き出すんだ?入れとく
まぁ、会えばすぐにわかるだろうが、アイツには情状酌量も
堰根、奴が黒幕と言われれば、それもそうかとしか言いようがない。親身になってくれる先生だと
ただ、今の脳裏に浮かぶのは保健室の穏やかな姿だけだった。それ以外の面はまだ知らない。
「正気に戻ったら人殺しは怖いか?」
「…………」
「どうしても殺しが嫌なら、俺がここからアイツを仕留めてやるよ」
「……そしたら、家に帰れなくなるんだろ」
「よく覚えてたねー」
「うるさい。やってやるから、いちいち煽るな。オレはどっちでもいいけど、お前に死なれたらマサキがちょっと泣くかもしれないし」
「ちょっと?いや大泣きしてくれるね」
この掛け合いは何だ?向こうの声色が少し機嫌がよくなっているのがイラッとくる。マサキのためなのに。
家の事情やらを抜きにしても、こいつと話すのはやっぱり好きじゃない。
早くここから立ち去ってマサキのところへ向かいたい……いや、待て
「ここからオレが出るのに、魔法はいらないのか?」
「神様が
「……いや、具体的には?」
「泉を目指す意識を持って歩けばつく」
「はぁ?」
もはや、わざと意味が分からないように言われている気がする。
まさかマサキに危機が迫ってる状況で適当なことを言う奴ではないだろうが。
深呼吸をする。
待ち構えている敵と、これからやることへの覚悟を決めて。これまでずっと、もがきながら同じ
彼との思い出の場所への一歩を踏み出す。
「――じゃあ、また」
「ああ、任せた。お前にとっても決着だ。格の違いを見せてやれ」
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