第43話 地獄に落ちたのか?(前編)
視覚の前に
棘々した下草が体全体に触れている感覚がある。僕は手足を拘束されて、地面に転がされているようだった。
僕の腕を後ろ手に縛るソレは、縄ではありえない、
身をよじってなんとか解けないか試していると、
「あんまり動くと、落ちますよ?」
すぐ近くの頭上からした堰根の声に、動きを止める。
落ちる?僕は高いところにいるのか?
「すごいでしょう」
対岸に古い
いや、水が黒いのではない。無いのだ。
これは穴だ。地面にあいた底なしの陥没だ。
ごうごうと闇の奥から低い音が響く。風が通る音のようで、もっと不気味な気配を帯びている。刺激臭もここから
地面に突然出現した穴は、僕達の世界にあってはいけないエラーやバグとしか思えない異様な光景だった。間違いなく、穴の下にあるのはこの世のものじゃない。
「いやはや良かった。聖地をダムで沈めるなどという、馬鹿げた計画、元々たち消える寸前でしたが、念の為にひと押しして正解でした」
堰根はその光景を自慢するように言った。まだ足りないのか、僕への嫌がらせなのか、一人で話し続ける。
「この地のことを知ったのは、まだ10代の頃でね。ようやくここまで辿り着けた。
本が
あれは便利です。私の異能でも起動できて効率がいい」
堰根はしゃがむと、僕の足に巻き付くモノを指でつついた。予想はつくので見たくはなかったが、おそるおそる確認する。
それは真っ白な人間の
「死体を
病院への道で襲ってきたゾンビは、廃村の術式ではなく、こいつ自身の異能だったのか。
僕の腕を後ろで掴んでいるのも、死者の手なのだろう。あの土砂崩れの現場の白い手のような。みんな命を理不尽に奪われただけでなく、亡くなった後も尊厳を踏みにじられ続けるなんて、あまりにも無念だ。
「ただ、死んでると保存が大変でね。殺す時に手に入る
やはり生者も操れたらと、つくづく思いますね」
「目的は……それか……?」
再び立ち上がり僕を見下ろす堰根に、回らない舌でなんとか問い返す。
「目的?ええ、その通り。
あの書にあった意識操作の術式を試せば、生者も操れるでしょう」
「それで人を操って……何を……?」
「何を?」
堰根は少し考えこんでいた。まさか僕に聞かれて、ようやく考え始めたというのか?
「ふむ、まぁ色々と便利に使いますよ。生きてる人間はたくさんいるから、面白いことは増えるでしょう」
ただ何もかも自分の思い取りにしたいという、底なしに
「…………はっ、低俗すぎて、意外だよ……」
怒りと
さっきまで自慢気にニヤついていた堰根は一転、顔をしかめ
「立場のわからない子供め。儀式のために生き永らえてるだけだというのに。
こんなに早く起きるなら、面倒がらずに君の手首も切り落として、口に詰めておけばよかった」
落とされた僕の手首はこいつの支配下に入るのだろうか。いや、待て。
僕はある残酷な可能性に気がついた。
僕の手足を縛る遺体はなぜ今ここに在るのか。最もシンプルな答えは、ついさっき切り落として準備した、ということだ。
「命を……なんだと……!」
「私にはそれが赦されている。君だって何度も聞いた真理だろうが。
君は家畜の肉を加工するのを酷いと思うのか?木を切って紙にするのは、植物が哀れだとでも?」
何を言っているんだ?こいつは何の立場で物を考えているんだ?
堰根は生まれながらに命を冒涜する能力を持ったせいで、完全に感覚がズレてしまっている。こんな異常者が、自らの異常性を肯定し
「たかが素材に肩入れするとは、本当に愚かだ。君も迫水くんも」
醜い口で迫水先輩を
「せっかく強力な霊地と縁があり、才能に恵まれたというのに。
特に君は、真理に目覚める機会すら与えられたのに、ふいにする馬鹿者だ。
ならその八淵洞に繋がる脈、私が利用してもいいだろう。
……さて余計なおしゃべりはもうお終いだ」
堰根は片足で僕の体を踏みつけた。腹に靴底がめり込む。
「ぐっ……!」
僕を見下ろす堰根の目は真っ暗で、得体のしれない虫のようだった。
その口角が裂けるように上がる。
「あぁ、命乞いなら今からでも聞きましょうか?
君が病院でやったように、底から霊力を引き上げてくれるなら、穴に落とす必要はないんですよ?」
地面に転がり、身を守る術ひとつない無力な僕には、この状況を打開することはついにできなかった。
それでも……心まで屈してやるものか。
さいわい、舌の
僕だって呪いの一族の
奴の虫のような黒い目を
「どうぞ、穴でも地獄でも落とせよ。
向こうについたら、お前も引きずり込んでやる」
舌打ちを聞いた。
その瞬間、足蹴にされて体が転がる。
すぐに地面の終わりが来て、重力がぐらりと体にかかった。
一瞬の浮遊感、背筋がゾクリと震える。
落下はすぐに加速し、 穴の
きっとあいつの、あんなやつの思い通りにはならない。これは行き当たりばったりの計画変更で隙だらけだ。霊力だけあれば何でもできるなら、あの村は滅びてない。たくさんの恨みを買って、破滅に向かうに違いない。
ても僕はもう戻れないんだろう。ぐんぐん遠くなる地上を見て思うのは、どうしようもない寂しさだった。子どもの時に車の後部座席から、楽しかった場所が小さくなっていくのを、ただ見ているしかないような。
すぐに針のような光すら見えなくなった。真っ暗闇で、落下を実感できなくなる。
底はまだ先か。いや、底なんてあるのか。
暗闇に締め上げられているような感覚がした。気のせいではなく、落ちるほど圧力が上がっている。息を吸おうとしたのに、胸を押さえつけられてるから出来なかった。
酸素の足りない体が、血を巡らせるため心臓を早く動かす。生きたいという胸の奥の叫びを聞いて、ようやく僕は恐怖と向き合った。このまま底に落ちる前に、窒息するのか、それとも押し潰されてしまうのか。いずれにせよ結果は一つ。
死だ。ひとりぼっちで、僕はここで死ぬんだ。
――その時、青い光点が見えた。
もちろん地上じゃない。僕が向かっていく地下の方から。その光は気づいた一瞬後には、僕の目の前に広がってー――
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