第39話 夜を拓く黄金



「ち……ちが……」


 お婆さんは優しい笑みを浮かべた。


「ガキの嘘なんて通じないよ。アンタも辰も下手くそすぎる」

「迫水先輩の……嘘……」

 

「あの子の学校の話は嘘ばっかさ。そんなに同級生と騒げるような子じゃないって、こっちはよーく知っとる。見栄はったんだか、心配かけたくなかったのか。両方かね」


 先輩は高等部でどんな風に過ごしていたのか。あまり親しい人が居なさそうなのは察していた。一緒に食堂にいるときに、上級生が変なものを見る目で、ちらちら見てきたのは、僕が都築だからじゃなさそうだった。

 でも社交的である義務はないし、体調のことで仕方ないのだろうと、あえて気にしないでいた。

 

 実際に彼が抱えていた重さは、無邪気に学園生活を楽しめるような代物じゃなかった。


「ま、学校の嘘なんていいわ。でも転院を決めた時の辰は明らかに様子がおかしかったね。さすがに問い詰めたけど、大丈夫の一点張りさ」


 胸が痛い。この何倍、先輩は痛かっただろうか。


「あれは、何かをやらかしたね。見栄のせいじゃない。加害者だから身内にも言えなかったんだ。

 アンタには打ち明けたのかい?」

「…………いいえ」 

ふたを開けたら、か。手をかけるね」

 

「先輩は、悪い人じゃないです」

「悪いやつじゃなくても悪いことはするさ。

 そんでこっちの都合なぞ、された方には関係ない」


 返す言葉もなかった。本当にその通りだ。どんな言い訳を尽くしても、患者達や上の階の人は殺された事に納得なんてしない。もうできない。

  

 騙された?怪しいやつを信じる方が悪い。罪と向き合え。罰を受ける時だ。苦しんで苦しんで、お前の人生はここで終わり。


 そんなのって


「…………それでも、帰ってきて欲しい……」


 本当の気持ちがあふれる。


「先輩には奪った罪が確かにある。でもそれは、もう二度と彼が楽しんだり笑ったりしちゃいけないほど重い罪ですか……?僕にはそう思えないんです」


 彼にだってもっと良い事があってもいいはずなんだ。

 つぐなう義務はあっても、報われる権利が無いことにはならない。


「だっておかしい……おかしいよ……。先輩だって、奪われてきたのに。みんなが当然持つべき幸せな気持ちを。

 先輩が酷い目にあってても誰も助けてくれなかったのに、失敗した罰は取り立てるなんて、そんなのひどいよ……」


 震える声で涙交じりに話す子どもの理屈を、お婆さんは真剣に聞いていた。事情は説明できていないのに、この人にはちゃんと伝わっている気がする。


「それで、辰をどうしたい?」

「助けたいと思う。駄目だって、かばうやつも同罪だって言われたら、僕が一緒に背負う」


「……ガキが何言ってんだ。生きていればみんな悪いことくらいしてる。どうせだいたい地獄行きさ。

 閻魔にはウチが話をつけておいてやるよ。もうすぐ会うからね。あんたたちは何十年も後の話さ」


 涙がこぼれ落ちるのだけはこらえる。

 何十年もあとの話にするために、僕はこれから戦うんだから。

  

「ありがとうございました…では」

「なんだ、自分の話はしてかないのかい?墓の下までもっていくよ?辰にも内緒にしといてやろう」


 引き止められて、力みすぎていた肩が少しゆるむ。ありがたい誘いだ。迷いを全て打ち明けていこう。迫水先輩に言い返せなかった、ずっとひっかかっていた言葉がある。

 

「こんな水害リスクの高い所に人を集めて、市を大きくしたのは間違いだと思いますか?」


 お婆さんは予想外の質問にきょとんとした後、すぐにけわしい顔になった。


「とんだ思い上がりだ。都築が大きくしたなんて。アンタらが好きにしたわけじゃない。ここに住んでた皆が豊かになりたかったのさ」


 お婆さんは窓の外を見た。


「みんな貧乏だった……。栄えてく国の片隅で、ここは置いてかれた土地だった。

 金がないってのは権利がないのと同じだ。やりたいことを通すためには、まず稼がんと。都築の社長だって、そんな欲と夢を持った八淵のもんのひとりさ……」


 深くしわきざまれた目が遠くを見ている。

 その瞳に映っているのは、思い出の中の八淵かもしれない。

 

「あんなに真っ暗だったのに、よくこんなにひらけたもんだ……。ウチはここから見える夜景が好きでね。まぁ、今日はいよいよ、それどころじゃない災害だがね」


 八淵川の氾濫は時間の問題だ。窓の外、僕には赤いうねりが見えてる。もう行かないと。


「迫水先輩がやろうとしたこと、人のためだったんです。結果的には駄目だったけど、見て見ぬふりしないで、変えようとした強さを尊いと思う。

 僕がこれからやるのも、似たようなものです。失敗したらもっと酷くなる。何も変えない方が、正しいのかもしれない。

 それでも……大切な人のために、やり遂げたい」

 

「大事のようだね。アンタひとりでやるのかい?」

「え……」


 さらりと指摘されて、はっと気がつく。

 僕じゃなければできないこと。でもそれは、ひとりでやることなのか?


 違うはずだ。


「いいえ。支えてくれる人がいます。

 だから、ここまで来れた」


 見落としていた大切なことに、たくさん気づかせてもらった。この夜はじめて、穏やかな気持ちになる。

 お婆さんは僕を見て満足気に、また力強く笑った。


「ならがんばりな。アンタここに入ってきた時よりいい目になった。

 次は辰とふたりで来るんだよ」

「……はい、必ず!本当にありがとうございました!」


 


 中庭への入口、外の雨はいっそう強さを増していた。黒いレインコートを着用し、フードを目深に被る。

 

 中庭は思ったより狭かった。レンガの遊歩道と平らに整地された芝生が、今は大雨のせいでうっすらと水が張ったような状態になっている。灯りは病棟の窓だけだ。ベンチがあり、花壇があり、細い木がある。しかしそれ以外には何も無い。葛西さんはどこなのだろう?


「正城さん、こっちです」

「あっ葛西さん。――――!?」


 何も無いところから声がした。それを聞いた瞬間、中庭の中心に葛西さんと、謎の台が出現した。


「これは一体……?」

目眩めくらましと人避ひとよけの術式です。あくまでも意識がれるだけなので、中の人が話しかけて意識が向いたら、誰でも見れるようになります」

「なるほど……ここに置いてあるのが宝剣?」


 台は三足で高さは僕の腰ほどの木製。これ自体は何の変哲へんてつもない。もしかしたら病院の備品かもしれない。

 しかしその上には、古めかしい紙が敷いてある。魔法陣のような円形の幾何学模様に、梵字が描かれた紙だ。そして中心に置いてある短剣。


「はい。名を金剛願こんごうがん。」

「金剛……」


 その刀身は泥で汚れていて、名前ほどきらびやかではなかった。理由は台の下、地面をよく見ればすぐに分かった。

 紙の魔法陣と同じ模様が、地面に刻まれている。この刀身を使って掘ったのだろう。


「これは葛西さんが今描いたんですか?」

「まさか。幹也さんの術式です。私はこの場所を先に見つけるだけで手一杯でした」


 この雨なら数日前に地面に掘られただけのみぞなど、すぐに溶けて埋まるはず。紙だって雨に溶ける。こうして残っているのは不思議な力が働いている証拠だ。


 僕は宝剣を触ってみようと手を伸ばした。

 

「待って!ずらすと壊れます!」


 ビクッと手を止める。

 葛西さんは心配そうに僕を見ていた。


「……でも、いったん壊さないと僕には使えないんですよね?」

「…………はい」

「僕は大丈夫ですよ」

「正城さん……」


 今、不安なのは彼の方だろう。元気づけるために、僕ははっきりと明るく声を出すよう意識する。

 

「何か他に補足事項はありますか?後出しはだめですよ」

「邪魔になるかもしれないので、剣を持ったら陣は消してください。紙の方を破けばいいでしょう」

「わかりました」

「……こんな助言しかできなくて申し訳ない。ただ、覚醒した異能にとって能力の行使は鳥が飛ぶのと同じようなものです」

 

「素敵なたとえですね。そういえば視界が変わった時、幹也さんには自転車に乗れるようになったって言われました」

「彼らしい。そのほうが適切かもしれません」


 そう言うと葛西さんは少し笑った。



 

 剣に手をかざし、目をつむる。

 ここに至るまでの色々なことを思い浮かべる。

 僕は一人でやるんじゃない。支えてくれる人がいる。


 その時、夕子さんの言葉が頭をよぎった。

『勝負をするなら、勝ちの光景だけを想像しなさい』

 

 この分厚い雲の向こうにある、僕が望む景色。

 そう、もっと鮮明せんめいにイメージするなら


 ――先輩の笑顔を。青空の下の日常を。



 大きく息を吸い、剣を手に取る。

 ぱんと風船が割れたような感覚。空気が変わる。


 風よりも早く、次を仕掛けなければ。

 そのためには、この汚れが邪魔だ。


 術式の紙で刀身の泥をぬぐう。

 地面の模様を足で踏み消す。


 この術式より鳥より、向こうにあった木のほうが、僕のあるべき姿に近い。地下に根を伸ばし、吸い上げるもの。

 この街の地下に張り巡らされた洞窟、血管。あれと僕を繋げばいい。そして僕の中から見つけてやるんだ。

 この宝具にふさわしい、闇をはらう金剛のきらめきを


 ――勝ちの光景は見つかったか?

 夕子さんではなく、知らない男の声がした。きっと彼女にそれを教えた人。最初にこの土地の宿命を変えようとした者の声だ。


 

「ええ、ここに」


 ゆっくりとまぶたをあける。

 瞳は既に黄金をとらえた。


 泥を落としたその刀身は、透き通った石で出来ていた。短剣のつかを強く握る。捉えたものを流し込む。すると透明な刀身の中心に、金色の筋が通った。


 その瞬間、光が一面に弾けた。

 冷たい雨を払い、暖かな金色の水の奔流ほんりゅうが湧き出る。僕の体を、中庭を、廊下を、病室をすり抜けていく。暗く深い夜を拓いていく。


 この光とあたたかさは、どこまで届くだろう。

 どうか、街のどこかで悲しみに暮れる、あなたまで照らしてくれますように――――




 



 


 


 

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