第38話 罪の痕跡


 

「四十四人……!?」


 地下室に資料があった病院だ。幹也さんも去年大勢亡くなったと言っていた。

 でも迫水先輩が去年の事件から関わっていたなんて信じたくなかった。


「呪いを付け替える時は、人数ではなく残りの命の価値が釣り合う分が犠牲になります。ただ、それにしても多すぎる気はしますが」

「…………迫水先輩はだまされたんだ」

「ええ。病院を一度に飲み込む術式を、当時の迫水辰が作れるはずがない。仕上げに彼が霊力を通すだけで起動するよう、あらかじめ仕組んであったのでしょう」

「きっと、どうなるのか知らなかったんだ」

「それは…………私達には正解は分かりませんね。今は急ぎましょう」


 

 車から出てエントランスに向かう。建物に入るのでレインコートは一旦脱ぐが、中庭で使うから持って行くように言われた。

  

「いきなり行って通してもらえるんですか?」

「ここも都築が寄付をしている病院です。幹也さんと来た調査の時に話はついています。

 313号室のお見舞いですと言って下さい。正城さんからのほうがいいでしょう」


 言われたとおりにすると、受付の方は消毒の案内だけして、あっさり通してくれた。

 中庭は右手、入院患者の病棟の真ん中から入るようだ。まずはロビーから入院病棟への廊下を曲がる。

 

 

「な……!?」

 

 凄惨せいさんな殺人現場がそこにあった。壁に床に天井にまで、血しぶきのような呪いの痕跡こんせきが生々しく残っている。廊下を歩いていた人がいきなりミキサーにかけられたら、こんな風になるだろうか。

 事件は去年なのに、痕跡は今朝のことのように保存されていた。

 

「私には静かで清潔な病棟にしか見えませんが、やはりむごいですか」

「ええ……」


 ――――ドン!


「なんの音!?」

「嫌な予感がする……上の階から病院の周りを確認します!」


 突然、病院の向こうの森あたりから爆発音がした。葛西さんは病棟から一度戻り、ロビー横の階段へ駆けていく。僕も血廊下を後にし、追いかけて階段を上った。

 

 最上階の5階はもう消灯していた。だから窓の外が赤く光っているのが、登りきる前から分かる。飛びつくようにして外を見る。

 病院を守る半球状の薄い布のような結界を、赤い風のうずが取り巻いていた。裏手側の森の木々が途切れているところを見つけると、地面に赤くうごめく泥が見えた。風はあの赤を巻き込んで吹き荒れているのだ。


「取り囲まれています。風は幻ではなく物理現象だ。ここまで殺気が高いと私でも呪いを感知できますね」

「結界は大丈夫なんですか!?」

「今の状態なら。ただ、再起動の時に隙ができたり、失敗した時は……」

 

 葛西さんは苦々しく言った。

 その先は想像にかたくない。あの風は一瞬で届き、中の人達を巻き込むだろう。

 身震いした。この先は失敗が絶対に許されない。


「どうやって再起動するんですか?」

「あなたの目で安全な霊力のありかを見つけて、そこに宝具を接続します。魔除けの術式は宝具に刻まれていますから、コンセントを見つけて道具に電気を供給するイメージです」

「えっと……」

 

 よくわからない。イメージと言われても、ドライヤーをコンセントにす光景そのものしか思い浮かばない。

 

「すみません。異能は生まれ持っての才能、感覚なので私からは教えられないんです」

「じゃあ何故、僕ならできると?」

「血で継承するものですから、都築のそれは使たぐいの異能なのは分かっています。幹也さんもそう言って、実際にやったので」

「……あの人が凄いだけでは……?」


 昔からずっと都築幹也は一番だった。頭脳も、交友関係もすごかった。僕が追いつける所なんて一つもない。

 

「……あなたも十分素質があるとおもいます」


 葛西さんは落ち込む僕を励ましてくれる。とてもありがたいのに、ちっとも立ち上がれない。自分がふがいなくて、申し訳ない。

  

「こういう事態になる事を、私が予想するべきでした……。

 ……正城さん、あなたに強制はできない。私は先に中庭に行って少しでも準備を整えてきます。正城さんは気持ちが整ってから来てくれればいいし、来なくてもいい」

「…………」


 来なくてもいい。失敗してみんな死ぬくらいなら、幹也さんが残したものを信じて、朝を待ったほうがいい。その結果、空っぽな未来が訪れるとしても。

 あんなに嫌だったのに、今の僕には「やります」と答える勇気がない。

 

「それと、これは言うつもりはなかったのですが……313号室に入院しているのは迫水辰の祖母です。今年の2月に末期ガンで転院したようです」

「そんな……!」


 あまりの残酷さに言葉を失った。

 

「口実ではなく本当にお見舞いにいくかどうかも、おまかせします。では、これで。本当にあなたに全て背負わせてしまって、申し訳ない」

「…………」


 葛西さんは階段を降りていった。

 僕はしばらく立ちくす。



 行こう。

 

 僕がこれから危険な目に合わせるかもしれない人のもとへ。



 

 3階の廊下にも痕跡はくっきりと残っていた。床は1階よりも酷く、大きな血溜まりが点在している。それが病室の扉の向こうから流れてきたものだと気がついて、胸がぎゅっと締め付けられた。

 迫水先輩は祖母の入院の時、お見舞いの時、ずっとこの光景を見ていたはずだ。どんな気持ちだったのだろう。

 、と四方八方から責められながら、この廊下を進む気持ちは。


『オレが他の誰かにあやつられてやってるって、マサキもそう言いたいの?』

 彼の言葉の重みに唇を噛み締めた。


 


 313号室は廊下の奥側にある小さな個室だった。迫水巴さこみずともえさんの標識がある。突然来ても会ってくれるだろうか。


 トントントン


「あいよ、入りな」


 僕はドアをそっと開いた。

 天井の明かりを消し、ベッド周りだけが間接照明で照らされた部屋。ベッドの上にニット帽を被り、せ衰えたお婆さんがいた。たくさんの管が腕から痛々しく繋がれている。

 しかし僕を見据みすえる眼光は鋭い。


「おん?どちらさまだね」

「は、はじめまして。突然ですみません。僕は、」

「待ちな当ててやる。……辰の友達だろう。それに中坊ちゅうぼうだ。あれか、アンタが都築のボンだね」


 ぎくり、と目を丸くしてしまった。

 その顔を見て正解を確信したのか、迫水巴さんはニヤリと笑った。


「もっとこっち来な。大きい声は出せないんでね」


 踏み入るのには覚悟が必要だった。お婆さんが怖いんじゃない。

 この部屋の有り様は廊下なんてめじゃないむごさだった。ベッドの下は血溜まりだ。

 

 僕は顔に出さないよう必死にこらえる。不自然にならないよう、その血溜まりを踏んで、ベッドの脇に立った。近くで見ると痩せた体がますます痛ましく感じた。


「ご挨拶が遅れました。都築正城と申します。迫水先輩には溺れていた所を助けて頂きありがとうございました」

「あれね。検査終わって帰ったら辰が妙にそわそわしてるし、話聞いてたら都築が出てきてたまげたわぁ」

「ご迷惑おかけしました」

「ぜーんぜん。きっちり謝礼も受け取ったからね」


 お婆さんは抜けた歯を見せて笑った。


「それにあのあと辰は急にやる気出してな。まともな高校いくのか心配だったくらいなんに縁宮ふちみや行くとか言い出して、きっちり合格しやがった」

「それはよかったです」

「アンタを追っかけたのかもよ?都築のボンなら中学は縁宮か?ってなんかの拍子に言った記憶があるわ」

「えっ?」

「ハハハ、流石にその反応になるわな!

 アンタにとっちゃ、ちょっと縁があっただけの知らん田舎の年上だ。まぁ、ウチの孫にとっては割と大事な経験だったのさ」

「……僕にとっても大事な思い出です。迫水さんのことずっと気にしてました」

「そりゃ良かった。辰も縁には恵まれたね。ありがとよ。おかげで孫の立派な制服姿も見れた。

 これでウチも思うことなくあの世に行けるってもんさぁ」


 またニカっと笑う。初見の悲愴感ひそうかんは僕の主観でしかなかった。長い人生の終わりを受け入れた強さが、その笑顔に宿っていた。


 だから想像するだけで耐えられない。

 ――この人が先に、孫の葬式に出る光景なんて。


 迫水先輩が帰ってこなくて哀しいのは僕だけじゃないんだ。やらなければ。絶対に。

 

 でも失敗したら?

 この人を含めてみんな、最後を安らかに過ごす患者たちが泥に飲まれて死んでしまう。

 

 お婆さんの後方、カーテンが半分開いた大きな窓の外には、話している間もずっと赤い渦が見えていた。忘れるんじゃないぞと僕をおどし続けていた。

 

 重圧で今にも吐きそうだ。来るんじゃなかった。知らないほうがまだ出来た。

 

「それで、あんたは何で来た」

 

 唇が震えて何も話せない。


「察しはつくさ。辰のやつ、何か悪いことをやらかしたね?」


 違うとはもう言えなかった。

 この部屋にもくっきりと残る罪の痕跡の前では、そんななぐさめは意味をなさなかった。




 

 


 


 

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