第37話 会敵 (後編)
「やはり顔どころか霊力もそっくりだ、
久、くだけた挨拶を交わす覚えはないから、これは初代社長 都築久城のことだろう。
堰根の年齢は知らないが、見た目はせいぜい40代だ。仮に生前の初代と知り合いでも年の差は50歳近い。この呼び方はおかしい。
それに堰根には僕を始末する
「先生、ずいぶん口調が変わりましたね?」
せめて態度だけは余裕を持って、飲まれないよう皮肉げに話しかけてやった。
今の僕には武器がない。あるとすれば、僕の中にあるコイツの目当ての何かだけだ。なんとか探るしかない。
「ふふ、先生……久と同じ顔と声で呼ばれるのはいいな。懐かしい」
そう。二度と呼ぶものか。
「堰根、僕は初代とは会ったこともない。何が似ているんだ?お前は何が目的なんだ?」
「堰根、そんな名前だったか。この男の目的なら、異能者としてあるがまま、生きやすく生きたかった、というだけだね」
「……そうか、お前は人間の体を乗っ取って生き延びる悪霊なんだな」
情報を整理すると、堰根という現代の男の体を、戦前からいる悪霊が操っているという仮定が一番分かりやすい。
堰根――中の悪霊の名前がわからないため、
「ははっ、悪霊!ずいぶんと俗な理解をされたものだ。
私は『影響力』だよ。人間にはね、もともと流れに逆らう自由意志なんて
マルクスの書いた一冊の本が共産主義者たちを産み、世界を変えていったように。人の行動を決定づけるのは、いつだって流れを作り出す論理だ」
「……で、お前の本にはなんて書いてあるんだ?」
「世界を書き換える、持って生まれた権利を行使しろ。特別な力を持つのに
「何が影響力だ。元々の堰根さんがどうだったかは知らない。でも迫水先輩にはお前の理屈は響かなかっただろう。あの人はただ、犠牲になる子供たちをなんとかして、普通に生きたかっただけだ。お前が余計に苦めているんだ」
「そうか?あの龍の青年も異能を受け入れたがね。自分の意志で呪いを付け替えることを選んだんだ。それでいい。
できるというのは、
「そんな暴論!」
堰根は大げさな身振りで、たいそうな演説でもしているかのように話している。
「苦しんでるのは踏ん切りかつかないからだね。我々は根本から違う生き物だと、もうすぐ彼も理解して楽になる」
「嘘をついて利用したくせに何を。次は迫水先輩に乗り移るつもりか?」
「人聞きの悪い。考え方を理解してもらうだけさ」
血管が切れそうだ。迫水さんの抵抗を思うと、こいつのやってることは結局、強制的な洗脳じゃないか。
だが怒りに囚われて、視野が狭くなってはいけない。そもそも、こいつが体を転々とする理由はなんだ?その先があるはずだ。
「……それで?」
「おや?君は彼のことまでしか考えてないと見くびっていたな」
八淵川をのっとり、洞の霊力を手に入れ、街を洗い流し、その先は?おそらく被害はもっと広範囲に広がる。
「……八淵から出ていけ」
「元々我々の土地なのだよ。
明治政府の犬に邪魔され、奴らが消えたら今度は久に
この儀式も、今やっている方が正統でね。洪水を利用し、地上に霊力を
ついでに洪水の規模そのものは調整してやることで、下民は十分喜んで生贄を捧げていたさ」
幹也さんが、温室で教えてくれたことを思いだす。
『この地では大水害を防ぐために住民から生贄を選んで捧げてきた。明治初期までは残酷な方法で多くの生贄が必要だった』
災害を止める気がない者たちに、
「犬共はともかく、久の術式は見事だったな……」
堰根はうっとりと、美しい思い出を語るように言った。
「さて、そろそろか ?」
「何が――――な!?」
突如、がくりと
「あの時は久に分かって貰えなかったが、君はどうかね?久じゃないのなら、これでも十分通用するのだが」
堰根が近づいてくる。土砂の上を歩いているのに、なぜか泥は白い服に跳ねない。
その左手には赤黒い内臓のようなものを持っている。あれが人間の中身を泥に変える呪いなのか?
体がどんどん固まっていく
何か、何か手はないのか――
――――ドン!!
一瞬のことだった。坂の上から落石が堰根に直撃した?その勢いで堰根は下まで一気に転がっていく。
いや、あれは……
「葛西さん!?」
下に落ちたはずの彼が、上から来るのは予想外すぎる。
「遅くなりました」
葛西さんは坂の下から数歩で僕の元まで駆け上り、軽々と僕を抱き抱えた。そのまま僕を車の助手席に押し込むと、運転席に乗り込み、車のエンジンをかける。
ごん、と頭がドアにぶつかる。僕はシートベルトをしていないし、体が
「……正城さん!すみません」
「気にしないで!」
葛西さんはアクセルを踏み込んだ。交差点まで戻り、病院への道を登る。
僕もなんとか体勢を戻し、シートベルトをした。
「車も無事なのは幸いでした」
「細工されそうだったけど、防げてよかった。でもこの痺れはいったい……」
「よかった。痺れ程度なら数十分で回復します。足から地面を通して、生命力を吸い上げる術式なんです。どうやら都築に連なる術師には、基本的な技のようで。
幹也さんから対策として「同じ高さの地面に触るな」と教わっていたので、上から降りてきました」
対策というか力技すぎる。何者なんだこの人は。
「幹也さんはどうやってそれを?」
「地下の文献で習得したようです」
「それは天才なのでは?」
「出来るから無茶してしまうんですけどね。あなたもですが」
「……無茶でもしないと通れない状況ですよ。ほら前も」
やはりというか、複数の人影が道路の真ん中に見える。ゾンビ映画のようだ。
……悲しいことに本物のゾンビなのだが。
「あれ全部、中身はもう泥です」
「避けてやりたいところですが!」
葛西さんはハンドルを大きく切った。
巧みに切り返しながら、車は勢いを殺さず避けていく。
もちろん中の僕にかかる負荷も、先程のヘアピンカーブの比ではない。衝撃に必死で耐える。後部座席のにーちゃんは大丈夫なのだろうか?
「キリがない!」
「あと少し!結界に入ります!」
その言葉のすぐあと、空気が変わった。
ごくごく薄い布のような空気のゆらぎ、そのベールをくぐると敵影はなかった。ミラーで後ろを見ると、さっきの敵は壁に阻まれたようにベールの向こうをウロウロしていた。
病院の駐車場に車を止める。外の異常事態が嘘みたいに静かだ。
後部座席からかさこそ音がして、見るとタオルからニーちゃんが顔を
「守りって強力なんですね」
「国宝級の宝剣ですから。霊力供給がもっとあれば、有効範囲はさらに広がります」
「僕の仕事か……頑張ります」
どうやるかは分からないが、現地についたら葛西さんが教えてくれるだろう。
ふと他に気になったことがある。
「幹也さんはなぜここに、それほど強力な法具を?」
葛西さんは窓の外の病棟を見ながら、重苦しい声で言った。
「……去年の二の舞を防ぐため。
ここが静寿会、八淵病院。迫水辰が昨年、四十四人を呪い殺した現場です」
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