第35話 第三の道
知っている顔が迎えに来てくれたのは本当に嬉しい。僕とニーちゃんは後部座席に乗り込んだ。乾いたタオルと着替えが積まれていたので、ありがたく使わせてもらう。
葛西さんは車を少し走らせて、邪魔にならない路肩に停めると、運転席から振り返り、僕に話しかけた。
「正城さんが脱出してくれてよかった。迫水の家にいたのはわかっていたのですが、あまりに危険で近づけなかったんです。申し訳ありません」
「僕の居場所、分かってたんですね」
「緊急事態のため失礼ながらGPSをつけています」
やっぱりそうか。スマホにだろうか?まさか小型の発信機が服に入っていたり?僕は着替えている途中、脱いだ制服を少し探ってみたが、何も不自然なところはなかった。着替えも普通の半袖の白いTシャツと、防水性のありそうな黒のカーゴパンツだ。
「先ほどの電話の相手は、もしかして広城さん?何か助けになる情報はありましたか?」
「…………まあ、家に帰ってじっとしてろ、とだけ」
みっともない所を聞かれてしまった。あんな大声で喧嘩しておいて、この要約には無理があるのだが、葛西さんは
「……まぁ、一般的な、普通の人間の反応はそんなものです。この業界は命が軽い。」
業界。もちろん化学業界の話ではなく、呪いや魔術の世界のことだろう。それに迫水の家が危険とも言っていた。
「葛西さんは……どこまで知ってるんですか?」
「おそらく、今の正城さんよりは多くを。自分も業界側の人間ですから。事件の見解についても幹也さんから色々と伺いましたよ。
でなければ、高校生の頭を撃ち抜く任務なんて納得できなかった」
「…………じゃあ、あなたは昨日、迫水さんを……」
「申し訳ありません」
「………………いえ……」
迫水先輩も二人組と言っていた。葛西さんからも聞いた事で、昨日の一件が現実感を増して僕に重くのしかかる。何かの間違いであってほしかった。
「幹也さんなら、まだ生きているはずです」
「本当ですか!!」
「ただ、このままでは生きて帰ってはこないでしょう。姿を見せない黒幕でも、確実に相討ちに持って行く策を彼は選んだので」
「そんな……」
持ち上がった心が、一瞬で砕かれる。
「正城さんは家にいればあとはなんとかなるというのは本当です。雨は今夜を峠に、明日には止む予報だ。
朝になったら幹也さんも黒幕も、もちろん迫水辰も、死という形で全て終わっているでしょう」
僕は想像した。澄み渡る空気、突き抜けるような青い空、ようやく晴れたねと、いきかう人々がどこに遊びに行こうか楽しそうに話している。
でも、そこに僕の大切な人はいない。僕が青空の下に連れ出したかった人はいない。
本当の絶望はそこにあった。
空っぽな未来があるというのは、閉ざされた終わりよりなお残酷だった。
「――――」
「正城さん…………大丈夫ですか?」
うなだれて息を詰まらせる僕を心配する声。この人に余計な迷惑をかけてしまう。それでも……
「このまま家には帰れないです。迎えに来てくれたのに悪いですが、僕は…………」
「――そう言うと思っていました」
「えっ?」
「私もこの状況に納得してないので」
意外な返事に面食らってしまう。葛西さんは真剣な目で僕を
「正城さん、この状況でも頑張りたいと思っているのなら、何か聞きたいことはありますか?私に答えられることなら何でも」
「え…………と……、どうして」
いざ聞かれるとうまく返事ができない。前提の前提すらきっと知らないから、何から聞けばいいか分からない。
「どうして、こんなことになっちゃったんでしょう……」
絞り出すように出た質問だった。あまりにもふわっとしていて、聞いた途端に申し訳なくなる。
「正城さんが何も知らない前提で話します。質問の答えまで長くなってしまいますが、付き合って頂けますか?」
「いくらでも、お願いします」
「
「え?八淵川からとったのでは?」
「
「確かに……、まさか地下の龍の話ですか?」
「その通り。その龍の名残は、市内を海側から山側へまたがり、全長20キロ以上、深さは一番浅くて800メートル。その中に霊力に満ちた八つの巨大な淵――水深数100メートルにも及ぶ地底湖を有している。
背筋がぞくりと震える。川に似た平面地図からの予測より、深さの規模が段違いだ。
葛西さんは見覚えのある茶封筒を差し出した。
「これを。今どうなっていますか?私には何も見えないので」
「――!」
「まぁ、相当酷いことになっているでしょうね」
「古地図に赤いインクが爆発したような染みが……これ、昨日の公園からと同じ角度……!?第三工場のあたりです!」
ひとつの繋がりが見えた。初代は地図と画角が一致する所に展望台を作り、危険な雨が起こす影響を監視していたのだ。
「そこが第一の淵、地下にあった霊力が地上に
正城さんの最初の質問、なぜこうなったのか?の答えにつながっています」
溢れたのは昨日の夜の赤い渦が見えた時だろう。地図にはまだ弾けていないインク溜まりが点在していた。これが他の地底湖だろうか?
「前提としてもう一つだけ。八淵洞の霊力は呪われています。強大ですが
「悪性?」
「人命を損ねたり病気を起こしたり、タタリや呪いを引き起こす性質と理解して下さい」
「それが昨日の夜、地上に溢れてきた……」
「はい。本来なら悪性を防ぐ緩衝材が機能するのですが。
そのひとつが八淵川です。この川の軌道はおおむね八淵洞と重なります。元々は重ならなかった場所も、工事で川の流れを変えて、重なるようにしたんです」
「なぜ?」
「二つを重ねて霊的に同一とみなすために。八淵洞の危険な霊力を、八淵川を噛ませて利用するためのシステムです」
聞き覚えのある単語だった。
「システム……!安全にするはずの緩衝材がなぜ、子供を犠牲に?」
「洞に流し込む水の、悪性を下げるためです。
水の物理的移動そのものには八淵洞の霊力を使います。大規模な術式ですから、こっちは一人の犠牲ではまったく対価に足りない。
だから迫水辰のやり方では駄目なんです。彼が犯罪者を使おうとした気持ちは理解できます。が、それでは穢れが呼び水になり、洞の危険な霊力が溢れるきっかけになる。現になっている」
ようやく仕組みを理解できた。堰根はあえて一番大事なことを黙って、先輩を
許せない。爪が食い込むほど手を握りしめる。
「迫水先輩がおかしくなったのは、八淵洞の逆流のせいってことで、いいんですか?
あの人の生まれは何なんですか?」
「上の階の住人を殺した後は、おそらく。
そして迫水辰は元から、八淵川の化身とも言える異能者のようです。親を
「稀に生まれてくる……というやつですか?異能って、僕の目みたいな特殊能力がある人、って理解であってますか?」
夕子さんは「不思議な力を少しだけ使える人間は低確率で生まれてくる」と言っていた。
「ええ、文字通りの
基本的に異能は土地が産み、血で継承する。そして若い代ほど強く、次第に劣化する。迫水辰ほどの格はもはや人為的に作れるものではないため、偶然生まれたのを利用されたと考えるのが自然です」
「先輩……」
「これが正城さんの質問――どうしてこうなってしまったのか、のメカニズム側の答えです。
多分、迫水辰のことを知りたいと思ったので、先に話しました」
ふと気づいた可能性がある。
堰根は何故、八淵の事情にここまで詳しいのか。そして葛西さんには地図の赤は見えない、見えるのは異能の基本ではない。
「これだと、堰根は一族の者ということになりませんか?」
「さすが、察しが良いですね。
ここからは「何故こうなったか」――動機の話になります。
昔から八淵に関わりの深い異能でないと見えない、だが我々が知る限りではあんな男は親族にはいない。
可能性があるとしたら、初代が会社を
初代社長、
「もっと昔の親戚だから、僕たちでもよく知らないことを知っていた……。
だとすると、この土地を好き勝手にしてる僕らに恨みがあって、八淵洞の霊力を奪おうとしている?」
「会ったことがないので本当に予想でしかないですが、幹也さんも同じ結論に至りましたね。まだ堰根を特定する前でしたが」
葛西さんはタブレット端末を取り出し、画面を僕に見せた。カメラの映像の静止画だ。ぼやけているが、この髪型と顔つきは堰根で間違いない。
「そして先程、堰根が監視カメラにかかったと報告が上がってきました。何箇所かを時系列で並べた結果、行き先は上川地区とみて間違いないでしょう。迫水辰と八淵川水系の生まれ故郷でもあります」
葛西さんは端末を置き、いよいよ本題だと僕にも分かるように、ゆっくり話し始める。
「ここで行き先の選択肢は3つ
ひとつは、屋敷に帰る。最も安全です。
ふたつは、迫水辰を追う。おそらく第二の淵の直上でしょう。正城さんなら地図から場所が割り出せるはずです」
地図と照合するまでもなく、第一の淵からの距離と方向、そして堰根がそこにいた理由で察しが付く。
「学校……!」
「しかし二つ目の選択肢は絶望的ですね。特に私は顔を覚えられてるので視界に入った瞬間に呪い殺されます」
「瞬殺って、呪いってそういうものなんですか?」
「今の迫水は規格外ですよ。淵の霊力とほぼ直結のため、疎ましく思うだけで呪いが成立し、並の人間ならまとめて殺せる。
私は距離があって防壁術も積んで、そもそも迫水の意識は幹也さんに向いていたのに、それでも7年は持っていかれた」
「…………」
葛西さんは無事なんだと思っていた。事態の深刻さに胸か苦しくなる。
「みっつめは、堰根を追う?」
「そう。実力は未知数ですが、少なくとも迫水のような神域の異能ではないはずだ。でなければ隠れる必要がない」
だが危険なことには変わりない。どうやら雇われているだけで、一族の関係者ではなさそうな葛西さんを、都築の厄介事に巻きこむのは気が引ける。
それでも、この人に協力をお願いしないと僕は先に進めないのだ。
「葛西さんは、第三の道なら一緒に来てくれますか?途中まででもいいです。葛西さんが危ないと思ったら戻ってくれても……」
葛西さんは少しきょとんとして、それから微笑んだ。
「もちろん。むしろ私が危ない所に誘っているつもりでしたが……そうか、そうですね。これはあなたの選択肢だ。きっと未来を変えられるのは私ではなく、あなたです」
「そ、そんなの、買いかぶりすぎです」
「いいえ。現に今、正城さんが黒幕を見つけてくれたおかげで、切り開けた道ですから。ありがとうございます。私もこのままじゃ終われないんですよ」
「い、いえ。役に立ててよかったです!」
嬉しさがこみあげる。まだ何も喜んでる場合じゃないのに。こっちこそお礼を言わなくてはならないのだ。
「葛西さん、僕からうまく聞けなくても色々教えてくれるから、本当に助かります。僕は何もわかってなかった」
「いえ、私はひどいやつですよ。みんな、あなただけは遠ざけたくて伏せてきたんだ。私はその逆をしている。
あなたに何かあったら、私は地獄で幹也さんと迫水辰に二人がかりで八つ裂きにされるでしょうね」
「その時は僕が止めますよ」
「そうしてくれると嬉しいです」
冗談を言ってお互い笑った。地獄なんて縁起でもないが、その想像は空虚な未来よりずっとマシだった。
「まぁ、まずは代表のお叱りを受けるところからですね。連れて帰れという命令に
「夕子さんには僕から話します。僕がやりたいって言ったんだから」
そう、これは僕が選んだ道だ。逃げずに進んだ先に、別の未来があると信じている。
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