第22話 ここに来た理由
裏門は正門から真逆の位置、部室棟のある北側からさらに東の、防災倉庫以外は何も無い所にあった。校庭や校舎からは木や倉庫の影でちょうど見えない所だ。
本校舎が増設される前は部室棟が校舎で、こちら側に駐車場があったらしい。だが今の裏門に面しているのは、車がすれ違えないほどの狭い道路で、その向こうは雑木林になっていた。
古いコンクリートの塀に、黒い
「帰りは先生に連絡すればいいですか?」
「いえ、保健室を開けすぎても不自然なので、鍵は渡しておきます。念のためいったん門は締め直しますが、このタイプの鍵なら外からでも手を回せるでしょう」
「なら、携帯は置いて行きます。GPSがついてそうで怖いので。保健室の僕の鞄に戻しておいて下さい」
僕は携帯を取り出し、最後に先輩の家への道順を再確認して渡した。GPSをつけたなど聞いたことがないが、幹也さんならやっていてもおかしくない。別に意地悪ではなく、僕を心配しているのは分かっている。後ろめたい気持ちはもちろんある。だからこそ、これ一回きりにして、何事もなく済ませたい。
僕が門の外に出ると、先生は扉を締め直し、格子の隙間から鍵を渡してくれた。
「では、気をつけて」
「ありがとうございます。またあとで!」
僕は
そこは付近に雑草の生えた、あまり使われていなさそうな入口だった。落書きが目立つ階段を駆け下りると、閉塞感のある空間が続いていた。道幅は正門側の地下道の半分程度しかない、天井も低く、照明の数も全然足りていない。使われていない理由に納得しながら、この出口の番号を覚え、表示通りに目的地へ走る。
僕の足音だけが反射して重なり合い、怪物でもいるかのように聞こえる。
先輩の家までの距離自体は、正門側からとそう変わらなかった。いつもの出口から地上に出る。雨足はますます強くなっていた。バケツをひっくり返したような雨、とでもいうのだろうか。ここから先輩の家までの最短経路にコンビニはない。寄り道する時間も惜しいので、結局差し入れに用意できたのは、途中にあった自販機の飲み物だけだった。
ようやく先輩の部屋のあるアパートに着いた。元々
先輩の部屋の明かりはついていなかった。来る前に連絡はしていたが、それが読まれているか確認はできない。寝ていると考えたほうがいいのかもしれない。
来るのにかかった時間から考えると、ここにいられるのは五分くらいだろう。
インターホンを一度鳴らす。
「先輩、起きてますか?大丈夫ですか?」
もう一度鳴らしてみる。
ニー!子猫の声がドアのすぐ向こうから聞こえた。元気に動き回っているようだ。
「ニーちゃん、よかった、元気だね!先輩は寝てる?」
「…………マサキ?」
雨にかき消されそうな細い声、でも確かに聞こえた。
「先輩!!大丈夫ですか?よかった、声が聞けて。ジュースしか買ってこれなかったですけど、差し入れ持ってきました!」
「ありかとう……でもごめん、君に会える状態じゃない。ドアは開けられない……」
「全然気にしないでください。突然来ちゃったので、これ、置いておきますね」
買ってきたペットボトルを室外機の上に置く。本当に、声が聞けて話せるだけで十分すぎる。
「ごめん、本当に……」
「なんで先輩が謝るんですか。今、辛いのはあなたなのに」
「そんなことないんだ。結局自業自得なんだよ。苦し紛れに余計なことをして、ますます悪化した。分かっていたのに、駄目だって、分かっていたのに」
先輩は僕へ、というよりはもっと別の、彼を許さない何かに謝るように、苦々しく言葉を
「何もしないほうがマシだった。いや、それすら……本当に
「……それが『雨の日の悪夢』ですか?」
「現実だ。だって、終わりも境目も無いのだから」
共有できない痛みの深さと暗さに立ちすくむ。言葉遊び以上の意味がよく分からない。きっと噛み
そしてこの感覚を僕は覚えている。三年前、先輩の家で悩みを聞いた時のこと。だから次の言葉も、迷わずに選ぶことができた。
「雨が上がって、夏が来たら遠くに旅行に行きませんか。五月の連休は市内だったから、次は県外へ。東京とか、きっと楽しいですよ。僕も少しは案内できます」
「それこそ、都合のいい夢だな」
「現実ですよ。楽しいことも沢山あるという、誰にとっても、貴方にとっても当然そうあるべき現実です。忘れちゃったんですか?僕が先輩の家で言ったこと」
「……忘れたことなんて一度もない」
あの日、無邪気に、でも心から言った言葉だ。
『もっといいこと作ろう!助けてくれたお礼!』
それが今も僕を突き動かす衝動だった。
「あなたがまだ信じられなくても、僕が連れ出しますよ。それが境目、悪夢の終わり。これでどうですか?」
「ごめん、嬉しいよ。嬉しいけど……」
先輩の辛さをこんなドア越しの会話だけで何とかできるとは思っていない。それでも、あの日の幼い言葉を先輩が忘れなかったように、今日のことも心の中に残って、ほんの少しでも支えになってくれたらいい。
そして夏が来たら、思いっきり有言実行してやるのだ。今は信じられないくらい楽しい思い出を一緒に。
僕は時計を見る。そろそろ時間切れだ。
「今日ここに来れてよかった。うちも少しごたごたしていて、なかなか外出の許可が出ないんです。まぁ、今日も出てないんですが。ちょっと悪い手を使ってしまいました」
あれきり黙ってお別れかと思っていたけど、少し間をおいて、先輩は震えた声で返事をくれた。
「そうまでして、どうして、今日は来てくれたんだ?」
その問いに対しては、一般論とか同情ではない明確な答えが自分の中にある。迫水先輩のためだから、ここまで来れた理由が。だからすぐに、淀みなく答えることができる。
「僕が一番心細くて、一番何もかもから見捨てられたと思った時に、あなたは来てくれたから」
返事はない。
そんな無神経な耳の良さも、この雨の音はすぐにかき消してくれる。
きっともう今伝えるべき気持ちは伝えきった。
「じゃあまた、学校で待ってます」
僕は何も気づいていないふりをして、そっと部屋を後にした。
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