第21話 お見舞い
水曜日。窓を打ち付ける雨が、また強くなってきた5時限目の終わり。月曜の夜中から強くなり始めた雨は、それから降り続いている。天気予報では週末までずっと傘マークだ。
先輩は火曜から学校へ来ていない。今朝、様子を知りたくて送ったメッセージは届いているだろうか。休み時間になったので、もう一度アプリを開いてみる。昼にはなかった既読がついていて、少しは安心する。……だが返事はない。
お見舞いに行こう。ここで待っているだけでは何にもならない。
そう決めたら、次にやるべきこともはっきりする。僕の行動を制限している本人、つまり幹也さんに許可を取らなければならない。運転手に頼んでも、彼は家と学校を往復するという任務に非常に忠実らしく、梢さんが「コンビニに寄って」と頼んだ時にすら、確認を取るから今度と突っぱねたのだ。
帰って地下室で会って話せるのが一番いいが、月曜から幹也さんの顔を見ていない。昼間に資料を調べ、夕方から夜は外出しているようだ。ちゃんと寝ているのだろうか。
『友人のお見舞いに行きたい』という内容だけで手短にメッセージを書く。幹也さんは周りくどい話は嫌いだ。きっと返事も一行だろう。
するとアプリを閉じるよりも早く既読がついた。その早さに驚き、少し返事に期待するも、その日の部活を終えても何もなかった。
幹也さんから返事があったのは翌日の木曜朝。「悪いが今はできない」と、やはり一行だけだった。
送迎の車内にいる時に届いたそのメッセージを見て、僕は黙り込んだ。返事が遅い時点で期待は薄れていたが、やはり取りつく島もない。
隣の梢さんに至っては、足を組んで露骨に
木曜日。天候は回復せず、ざあざあと耳障りな雨音がずっと途切れることがない。先輩へのメッセージは送っているが、もう既読もつかない。
……強行してしまおうか。先輩の家は学校から徒歩圏内である。部活をサボれば、その時間で往復しても30分ほどは滞在できるはずだ。
などと考えていたのは僕だけじゃなかったらしい。
「脱出失敗した(T_T)」
少し長引いた帰りのHRが終わり、これから部活を休む理由を本気で考えていた時、一足先にチャレンジしていた梢さんから、悲しみの絵文字とスタンプ連打が届いた。子供のやることなんて
帰りの送迎車に乗る前に、僕らは休憩コーナーで待ち合わせた。
「生徒会の用事ってことにしたのよ?わざわざ会長を味方につけたのにさ!一緒に行って、正門で私だけ呼び止められたんだけど!」
「正門の
この学校で生徒が出入りできるのは正門だけだ。昼間は
「理由聞いても上から駄目って言われてるの一点張りでさ、あいつらも結局うちが怖いだけで、事情なんてなーんも知らないくせに」
「この学校なら、都築に頼まれたら電話一本でも即答で従うでしょうね。なら他の職員にも監視されてると考えるべきか……。僕も先輩のお見舞いに行きたいと幹也さんに頼んだんですが、断られました」
「私よりまともな理由じゃん。それでも駄目かぁ。兄貴はマサキのほうが心配っぽいから、余計に厳しいんだろうね。もしやるなら、私の
やるならといっても思いつかない。唯一の出口が封じられているのだ。
僕は成すすべなく帰宅し、今日も地下室に向かった。足取りはいつもより重い。幹也さんがいたら抗議したかったが、やはり今日もいなかった。机の上の資料は月曜をピークに、どんどん少なくなっている。
それだけ外出が増えているという事だろう。雨は降り続き、報道でも河川増水の注意が流れている。週末にかけてが正念場ということだろう。
しかし閉じ込められている僕には分からない話だ。整理はすぐに終わったが、疲れは何倍にも押し寄せてくる。僕は地下室の椅子に座って、何をするわけでもなくそこに居続けた。いつもならすぐ出ていきたい閉塞感なのに、雨の音が聞こえないだけマシに感じた。
ここも外も閉ざされているのは同じなのだ。危険から守られていると分かっているのに、
金曜日。やはり先輩からは既読もつかない。確認することが辛い。
授業をどう乗り切ったか覚えていない。空の灰色のように虚無の時間だったと思う。
「都築、体調悪いのか?」
やはり外から見ても様子がおかしかったらしく、部活の準備運動の時点で顧問に指摘された。
「そうですね……今日はやめておきます」
部活をやりたい気分ではなかっただけで、体調不良を自覚していた訳では無いのに、思考停止した僕の体は馬鹿正直に保健室に向かっていた。図書館で勉強したり、先に家に連絡して迎えにきてもらうべきなのだが、もう足が保健室まで来ていたため、そのまま中に入ることにした。
「どうしましたか?」
保健室には堰根先生だけだった。どうしたか、僕にもよく分からないので返事ができない。無言で体温計を受け取って近くのソファーに腰かける。結果はすぐに出た。36.4度の表示を見たら少し笑えてきた。
「この通り、平熱そのものです。サボり禁止ならすぐ出ていきますよ」
「原因が熱ではない、というだけです。どこか苦しいところがある?」
堰根先生は
「今、家の都合で学校の外に出られないんです」
「たしかに、
「ええ。それで、この天気です」
僕は窓を向いて言った。堰根先生も数日間変わらぬ景色を見る。
「もしかして迫水くんですか?」
「よく分かりましたね。火曜から学校に来ていない。連絡しても返事がない。僕は学校から出れないので様子を見にもいけない。そんなところです」
話してみればそれだけのことだった。幹也さんには悪いが、僕が今悩んでいるのは先輩の家に行きたくても行けない事だけなのだ。
うつむいて沈黙する僕にかけられる言葉など、いくら学生の悩み相談に慣れている先生にも無いのだろう。しばし雨音だけが静かな部屋に響く。
「協力しましょうか?」
「え?」
意外すぎる言葉に驚いて顔を上げる。
「正門は守衛がいますが、職員だけが開けられる裏門にはいません。私がそこの鍵を開けますから、部活の時間のうちに行って帰ってきてください。ここにいたことにするので」
先生はベッドのひとつを指差した。
「いいんですか…?」
「私も迫水くんのことを心配してますから。時間がない、やるなら急ぎましょう」
「その門、どこにあるんですか?すぐ傘と靴をとってきます」
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