ティアがちょうど鳥と戦っている最中、山を二人の女性が走りながら登っていた。一人はうら若き乙女にも、成熟した美女にも見える女性。背中まで届きそうな亜麻色の長髪を束ねず、若草色のローブ、そして眼鏡と運動向きではない衣装でありながら、この険しい山道をスキップして進んでいる。


もう一人はティアと同年代くらいの少女であり、半袖半ズボンという軽い装いながらも長い黒髪やキリッとした瞳は幼いながらも彼女の美しさを醸し出している。

もう片方の女性と異なり、全力疾走をしていたが彼女の息はいたって正常だった。


「メルク先生、まだ到着しないの?」


「まだみたいですね、サラ。……近づいてはいますが」


「もう、なんで部外者の私たちが隣町のソーク・ポリスからここまで走らされるのよ。疲れたわ」


愚痴をこぼしながらも、サラと呼ばれた少女は走る速度は緩めない。彼女からするとこの距離は遠出であるが、疲れるというほどのものではない。つまりただの不満を漏らしただけである。そんなサラへいなすように笑顔を見せながら、スキップを続けるメルクと呼ばれた女性。


「まあまあ、私についていくと言ったのですから我慢しなさい。それにこの山の中はたくさん感知の対象がありますし、練習しながら走ってみたらどうですか?」


「感知ってこんな少量の魔力だと難しいって……あれ?」


小さな少女のほうが話している途中に違和感を覚えたのか話を止める。今までうっすらと、しかし明らかに人であることを示す魔力を感知していた。てっきり、魔法師ギルドの人が戦っているのかと思っていたサラだが、その消えた魔力もあって不安を覚える。


「ふむ、これは少しまずいですね。ちょっと飛ばしますよ」


と言った瞬間、先生といわれた女性は一瞬止まりそこから急に加速した。ジェット機のような急加速を行うメルクは、ティアが息絶えながら走った坂道を一瞬で通り抜けていく。彼女が通り過ぎたしばらく後に土ほこりが舞った。その土ほこりが舞った後に遅れてサラと呼ばれた少女もその後ろに追いつく。


「ちょ、先生。早いわよ!」


「ちゃんとついていけるなら問題ないでしょう。それよりも……? 少年と獣!?」


メルクの目の前には、体に何本もの羽根が突き刺さりながら倒れている少年と、頭に魔法の剣らしきものが刺さっている鳥の獣。鳥の獣からはたくさんの血が流れているが、少年へ強い敵意を向けていた。


一方、その少年はすでに生命がこと切れそうなほどに体力も魔力も消耗しきっている。このままにしていたら貴重な男性を失ってしまうと判断したメルクは、急いで彼の元へ向かう。

そして移動しながらサラへあの鳥の獣へとどめを刺せと指示を出すのであった。


「忌々しい獣め……死になさい」


サラは飛んでいる鳥の獣を追うため大きくジャンプする。そして、剣が突き刺さっている場所を正確に狙ったかかと落としを当てるのであった。

弱り目に祟り目。耐え切れずに飛んでいた鳥の獣は地面へ墜落した。


追撃と言わんばかりに、サラは落下しながら濁った白い弾を鳥の獣へぶつけるのであった。白い弾はサラの半分くらいの大きさを誇る。つまり、その鳥の獣からしても十分大きいものである。それが複数個ということもあり、鳥の獣はなすすべもなく絶命した。


「お見事。応急処置をしましたが、この子は死にかけです。急いでここから脱出して家へ戻りますよ」


メルクが動けないティアを担ぎ、再び山を降り始めようとする。だがティアの流した血に反応したのか、周囲にはサラやメルクよりも大きな体格をした獣が現れた。その瞳は担いでいるティアのことを移している。そんな様子に動揺を覚えたサラは先生であるメルクの指示を仰ぐ。


「ちょっと、先生! これどうするのよ?」


「まともに戦ってはキリがないので、さっさと逃げますよ」


二人とも落ちるがごとく坂を下り始めた。ほとんどの獣はそのスピードに視認すらできなかった。たまに獣が道を塞ぐように現れることもあったが、その瞬間獣が木っ端みじんとなる。だが、何回続けても出現ペースが止むことがない。むしろ増えている。


「……ねえ、先生。確か魔獣って自分より強い相手には襲い掛からないのではなかった?」


「そうなんですけどね、もしかしたら今回の騒動のせいで本能が騒いでいるのかもしれません」


「本能ねぇ……さっきは全然襲い掛かってこなかったのに、こいつを先生が担いでから一気に襲い掛かっているけど」


サラと呼ばれた少女が、ティアのことを胡乱げな目で見ている。別にこの場にいる獣を全員倒すことなど二人にとって難しくなかった。むしろサラからすると倒したかった。そこに獣を恐れるような要素は一切ないからだ。そんなサラへメルクが指示を出す。


「後ろに怪我人がいるのですから、戦闘は控えますよ。サラ、私の手をつなぎなさい」


そういわれたサラはしぶしぶメルクの手をつなぐ。すると、メルクが急に空中へジャンプした後に、すぐに家の方面へ加速を始める。再びのジェット機のような加速に獣も追えずうまく撒くことに成功するのであった。こうして二人は少年、ティアを連れて逃げることに成功した。


――――――――――


音も視界もはっきりとした状態でフラッシュバックする光景をティアは見た。

上空にいる鳥の獣。おもちゃのような剣の柄。その剣の柄から刃身が伸び奴へ剣を突き刺すことに成功した瞬間。その後自分の足から力が抜けて、目の前に迫るのは地面だった。


立て。あの鳥の獣に手痛い一撃を与えたが、倒せたわけではない。

ここで立たなければ何の意味もない。倒すことは目標ではなく、途中目標の一つ。

なぜあの場面で全力を使い切った、と後悔を覚えるが徐々にその意識が遠ざかっていく。


体が冷えていくうちに再び自らの甘言が聞こえてくる。

もう頑張ったじゃないか。自分では絶対かなわない鳥の獣へしっぺ返しできた。


窮鼠猫を嚙むとはよく言ったものだ。これが戦うことによって得られた結末ならば……悪くないのかもしれない。そんな甘さのるつぼにはまろうとしたとき。




鳥が急に墜落した。その頭上には自分と同じくらいの体格をした少女が、右足を上げていた。その後空中で体勢を取り直し、手を下にしながら墜落する。


その手には自分の頭よりも一回り大きい何かを持っていた。それを投げ出すように鳥へ撃ちだす。その無数の白い弾は鳥の身体を消滅させる。残ったのは鳥の内部にあっただろう臓器のみ。




鳥の臓器をただ見下ろしている少女を見て、ティアの抱いた感想は二つ。

自分があれだけ苦労した鳥を自分と同じ子供が一撃で倒したことが悔しかった。

だけどそれ以上に……かっこよかった。


自分もあれだけ強くなれるだろうか……そんなことを思っていると視界がブラックアウトする。



―――――――――

再び視界が光に満ちた時は見知らぬものに囲まれていた。

目の前には見たことのない屋根。右を振り向くとこの世界では見たことのない白い壁。左にはシックな装いの棚。


「夢……?」


「あんた……起きたの?」


急に部屋の中から子供特有の高い声が鳴り響く。その方向へと向くと、部屋の出口から先ほどの夢で羨望と憧憬を覚えた少女が目の前にいた。


「え? どういうこと?」


「少し待ちなさい。今から先生を呼んでくるから」


そういってサラはすぐに扉から出て行ってしまった。この状況について全く説明をもらえなかった。

このベッドも今までの村の寝床と比べると非常に寝心地が良い。周りの家具を見ても質素ながらも充実している。


こんな家具は夢でしか見たことがないため、この状況はやはり夢ではないか。そんなことをティアが思っていると、途端に脇腹が強く痛み始める。まるでおなかの部分だけツイストされているような痛みに悶えていると、部屋から先ほどの子供とメルクがやってきた。


「失礼します」


そういいながらその女性はティアのおなかに手を当て始める。その瞬間、体全体からおなかへ向けて何かが動くように感じられた。そしてその何かがおなかに集まっていくにつれ、その痛みが治まった。ティアの容態を見たメルクは一息ついてから説明を始める。


「今のあなたは激しい運動に戦闘をしたせいで、体が限界を迎えています。ですが、暫く安静にしていれば元通りになります。しかし目を覚ましてよかったです。しばらく休憩したらどうですか?」


若草色のローブを着た亜麻色の髪の女性は、心配そうにしながらティアのことを慮るような口調で説明する。だがティアからすると、今欲しいのは安静ではなく情報だった。

それゆえ首を横に振りながら、今の状況を教えてほしいと伝える。


「……そうですか。わかりました。まず、自己紹介をしましょう。私の名前はメルクといいます。そして、あなたを連れてきた女の子の名前はサラです。まずあなたのお名前を聞かせていただきましょうか」


「えっと、ティアです」


「ふむ、ティアさん。事情を説明しましょう。貴方の村は魔獣に襲われているとギルドから連絡を受けて、偶然近くにいた私たちがあなたの村へ救援に向かいました。その際、あの鳥獣と戦った時の傷は魔法で回復しましたが一か月も寝込んでいました。現在体調はいかがですか?」


そういわれ、ティアは自分の身体を動かしてみる。まだ倦怠感が強く、体が重いもののあの戦闘で傷つけられたものはすべてなくなっている。そのことに関し感謝の意を示すと、彼女は表情を変えずに「いえ」と断りを入れる。


「魔法師として当然のことをしたまでです。

さてこれからについてですが、あなたの村は魔獣が住み着いてしまい、今すぐ戻ることはできません。そのため、ほかの村でしばらく住んでほしいと思います。もちろん、できる限り前と同じような生活のようにします」


「では、ソロンとかも一緒に生活できますか?」


「すみません、私たちがたどり着いた時にはもう……ティアさん以外助けられなくて」


その説明を聞いて衝撃よりも、やはりそうか、という納得のほうがティアの中で大きかった。助けるといったが、自分が途中で倒れてしまった。そんな状況下で自分よりも大きな獣三体に襲われた。


倒れてしまった自分が悲しんだり何かを言うのはおこがましい。それ以外に納得する手段が彼にはなかった。転生前には大事な人を自身の無力で失ったときの対処方法についてない。だからこそ、彼は頬に伝わる熱いものを感じてしまったのだ。


その後再び沈黙が訪れる。

メルクは沈痛そうな表情を浮かべていたが、サラと呼ばれた少女は無表情でティアのことを見ていた。そこから何かしらのメッセージをティアは感じる。


「……何か聞きたいことはありませんか?」


その言葉を皮切りにティアの思考は理由付けへと動き始めた。

今できる自己肯定の手段が理由を考慮することだった。なぜ自分だけ助かってしまったのか。なぜカタは命を落とさなければいけなかったのか。それらを遡るうちに……


「なぜ、村の出口から獣が襲撃したのですか?」


この問いにたどり着いた。なんでもよい。何かしら納得できる理由が彼にはほしかった。自分が生き残るだけの理由が。だが、原因はとてもあっさりしたものだった。

言うべきか迷っていたため、最初は口ごもっていたが後に悲痛な声で説明する。


「本当にごめんなさい。ある商社の管理ミスによるものです」



今回の事件の概略は実はそこまで難しいものではない。

村へ農業用の獣を連れてくる商人がいた。その商人の管理ミスによって本来暴れないはずの獣が魔獣化……暴れるようになり、その影響で他の獣も魔獣化してしまった。


その対応に追われ、北の山に常駐していた魔法師が村の南に向かってしまう。だが、同時期に獣の生息地である村の北側も魔獣化して村に襲い掛かった。その結果、村は守る人がいない状態で挟撃を受けてしまったというわけだ。


「ティアさんが寝ている間に事情聴取をしてみました。今までおとなしかった益獣が、あなたの村に近づいたとたん暴れだしたそうです。そして、周りにいた人間に襲い掛かり始めました。その場には戦闘員はいたものの、魔獣化したため対処不能だったそうです」


「どうして、村に連れ込んだ獣が暴れはじめましたか? それに、なぜ呼応するかのように村の北側の山に住んでいる獣も魔獣化したのですか?」


「すみません、現在調査中です」


そういわれ、黙るしかなかったティア。彼女の表情を見ても、これ以上情報を持っているように見えなかった。なにより、これまでの問答と顔を見るに誠実に答えているように彼は感じたのだ。その答えを聞いて、彼は情けなくなる。


結局はただの管理ミスだ。

村に来た女性のたった一つの管理ミスのせいで、俺たち力を持たない男性が多くの命を失った。なんてばからしい事件なんだ。


本当だったら、この人たちにわめき散らかしたい。あんたたちのせいで、俺の親は、家族は失ったんだと。それを言う資格はある……と脳の部分が言う。だが、それを言ったらすべてがおじゃんになると感覚が訴えていた。


そもそもの話、冷静になったティアはこの問題の本質は別のところにあると考え始めた。どうしてよく知りもしない女性に俺の命を預けるような真似をしたのかと。



世間一般的にはそれを命を預けているとは言わないだろう。本来なら、仲間同士で戦うときなどで命を預けるなどという。今回の状況はそれとはまったく異なる。

だが、結果的には命を預けたに等しい。


なぜなら、この女性……正確には女性たちがたった一つのミスをしたせいで、俺たちはみんな被害にあった。碌に戦う力を持っていないからやられてしまった。

もし自衛する手段があれば、ここまでやられることはなかったはずなのに。


それは間接的に彼女へ命を預けてしまっている。言い方を変えるなら、見知らぬ人に依存していた。女性に依存する生き方が嫌な自分が、だ。

だからこそ、彼は責めることができなかった。


沈黙したティアを見たメルクが申し訳なさそうに平身低頭でティアに接する。本来女性は男性にそこまでぺこぺこしない。それは長年によって培ってきた社会による常識によるものであり、それを当然のように持つサラは面白くなさそうな顔でメルクを見ている。


「本当にすみません。だからこそ、あなたにできる限り元通りの生活を保障したいと……」


「いえ、代わりに、俺に魔法を教えてください」


「! なぜですか? そんなに簡単に魔法を使えるようになるものではありません。言っては悪いですが、貴方の魔力は微少でとても実用できるほどではないです。また痛い目に合うぐらいでしたら、穏やかな日々を過ごした方が……」


ティアにとって安全を求めるのであれば、別の村に居住させてほしいと頼むことが最適。だが、あえてこのような提案をした。彼はこの一件で強い後悔を覚えたから。


自分にもっと強い力があれば、他人を守るだけの力があれば……そんな大層な望みでなくとも、自衛するだけの力があれば、ソロンは死ぬことはなかったのかもしれない。あくまでかもしれない、だがやり切った結果ではないため後悔しかない。


ティアからすると、自分にそんな余裕はなかった、という言い訳は通用しないと思っていた。その証拠は意味不明な知識の有用性だ。あの強力な鳥の獣に対しても有利に物事を運べた。ならば、強くなるためにこれを使っていればより大きな力をもたらしていたはずなのに、ということが理由だ。


もちろん、その仮定にはいろいろ無茶がある。まず一つ目はそもそもこの知識の中に強くなるための方法はない。どうやら平和な世界で住んでいたために、今回のような暴力沙汰はない。だが、強くなるための知識はないが、戦闘に使える能力は秘めていることはわかった。


二つ目は今まで異常による異物感を防ぐために封印していたはずなのに、今更使用したかったなんて馬鹿にもほどがある。だからこそ彼は吹っ切れた。異常感による恐怖よりも、自分の無力さに悩むことに比べれば何倍もマシだと。


以上の理由から、戦闘の才能がないという反論はティアにとって無意味だった。ないなら作る、それほどの覚悟を持っていた。



「問題ありません。もう、無力で苦しみたくないです! 魔力が少ないというのであれば他のもので補います。魔力なるものを多く持っている人以上に努力して強くなってみせます。俺も、貴方たちが見せたような神秘の力を扱いたいです。……お願いします!」


腰を九十度近く曲げて目の前の女性に頼み込む。

今のティアにはプライドを含めた今までのものを捨てる覚悟で行っている。


今回の襲撃の因果関係をほどくと、確かに商人や目の前のギルドの人が悪い。それは間違いない。

そんな人にどうして頭を下げなくてはいけないなんて思いもある。……これも、本来だったら持ち合わせていない感情だ。


ティアの今まで養ってきた価値観と行動ははっきり言って矛盾を起こしている。だが、それ以上に打算を見込んだ。この打算や冷静さは転生によって得られたものだろう。ただの五歳児だったら、こんなことを絶対しないのだから。その気持ちが通じたのか、メルクがため息をつきながら答えた。


「……はぁ、思い付きではないようですね。先生である私の言うことをすべて守ることができるのであれば、指導しましょう」


「ありがとうございます!」






こうして彼は進化の一歩を歩み始めた。

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