無力
どうしてこんなところにも獣がいるのか、この山に魔獣はいないのかという冷静な思考よりも、こいつを倒さなければ小屋にたどり着けないという暴力的な思考にティアは染まっていた。
彼からすると目の前の獣は、倒すべき存在であり駆逐対象の一つ。しかし武器がないからこそ、目の前の獣も行先を邪魔するただの障害物扱いでしかなかった。そこに慎重な思考なんてものはなく、何が何でも押しのけるとしか思っていない。
そこらに落ちている木の棒を走りながら拾い、その鳥の獣へ殴りかかるように迫る。早く走れば走るほど、勢いがつくという考えから今出せる全速力。木の棒が届く範囲まで近づき、鳥の頭めがけて思いっきり振りかぶった。
生まれてこの方、何かを殴った経験も知識もないティア。しかしこの逃亡劇で散々に血や肉を見てしまった。慣れてしまったのか、あるいは逃避なのか不明だがハイテンションなティア。だからこそ、人型の生物ならまだしも目の前の鳥に殴りかかることに躊躇することはなかった。
そんな渾身ともいえる一撃に対し鳥は反応せず肉をむさぼり続けていたが、ぶつかる瞬間にガッと固いもの同士がぶつかる音がした。
鳥は暇そうに翼を持ち上げ、その一撃を抑えている。ティアが目の前の現実を偶然だと思うために、握る棒へ力を籠めさらに押し付ける。
だが、拮抗状態から動くことはない。そして鳥は雑に翼を振り払った。急な横の衝撃に耐えきれず、ティアの体が少しの間浮く。地面の感覚を思い出したのは背中が衝突し、意図せず空気を吐き出した時であった。
正直ティアも侮っていた。今までの魔獣はすべてソロンよりも大きい魔獣。だからこそ、手を出すことができないと思っていた。一方今回はティアの身体と同じくらい。ソロンよりは小さいと感覚がマヒしていたわけである。
つまり、力だけでいえば自分のほうが勝ると思い違いをしていた。その償いは、地面の強打で済まされただけ彼は幸運といえる。その衝撃によって今までのハイテンションが途切れ冷静になることに成功する。
目の前の鳥に対するティアの評価は一変した。自分が狩る側の生物ではない。相手のほうが狩る側の生物だという認識への変換。
相手のことを観察することを始める。あの鳥はいまだに肉を貪っていた。その光景を見て今更ながらに吐き気を催すが、今はそれよりも恐怖心のほうが勝った。
怖い。
あの嘴は自分の皮膚を突き破り、内臓を啄むだけの鋭さと長さを誇っている。
怖い。
あの羽は高さだけでいえば自分の身長と同じくらい。あれに衝突すれば、間違いなく耐え切れずに飛ばされ地面にたたきつけられる。
怖い。
あの爪は狩りをするためのもの。
その大きさは自身の頭と同程度。あれにつかまれたら頭が裂けるかもしれない。
その恐怖が自らの心をむしばみ、そして甘言が囁かれる。相手はこちらを見ていない。今なら逃げることは可能だと。
逃げる、どこへ? 今はこの村は襲撃されているが魔法師という村を守る存在が来るはず。
ならばかなわない敵に挑む道理はない。奴から逃げることも立派な闘争だと。
その甘い言葉に闘志がそがれていき、自問自答を繰り返す。どうして、なぜ。その言葉が自分の中で何度も反芻する。
その問いの中で、ある想いが自分の中によみがえる。
さっきは悔しい思いをしたのではないのか。力を持っていないから、救えた存在を手放したのではないのか。そして今力を持っていないから、ソロンを失おうとしているのではないか。ならば、ここで逃げるという選択肢はない。
加えて……ソロンも獣と戦う道を挑んだ。自分がカタを助けるときに、あの獣に対して戦いを挑んだ。さらにソロンは自分よりも大きな魔獣を複数体もの相手をしている。
それに比べれば、こちらはただ一体。ならば、倒せない道理はない。
その決意を胸に秘め、恐怖を義務感と正義で塗りつぶす。塗り残しは多々あれど、少なくとも甘言を無視できるだけの面積は誇っていた。調査結果に基づき分析を始める。
こちらが持っている木の枝を先ほどの衝撃で手放すことはなかった。ゆえに使える武器は先ほどと同じ。一方、先ほどの攻撃ではびくともしない。そうなるとこの木の棒ではまともに攻撃が効く部分は限られてしまう。
つまり……攻撃するなら目や口の中といったやわらかいところに限られる。しかし、倒す必要性はない。目標はこちらと戦闘したくないと思わせる程度にダメージを与えること。
なんせ、あの小屋に入って目当てのものを持ってくればここにいる意味はない。あとはこの山を下りるだけ。ならば、手痛いと思わせる一撃を畳み込むことが最終目標。
そこまで決めたティアは、再び構えなおす。今度は隙の多かった上段ではなく、木の棒を地面に平行になるよう後ろに構えた。当然ながらこの構えからすぐに攻撃できるわけではないが、どうすれば走りやすいかを考えたところこのような構えとなった。
再び鳥へと接敵する。今度は全速力ではなくある程度余力を残したうえで近づく。先ほどのこともあり、鳥はいまだにティアのほうへと向かない。
そしてリーチに届いたとき、剣道でいう中段へと構えなおした。だが、鳥はいまだにティアのほうへ向かない。棒のリーチに届いた瞬間、側面からその眼めがけて一突きする。眼への刺激に鳥は叫び声を挙げざるを得なかった。
鳥がよろけ小屋への道が一時的に空く。その隙に急ぎ小屋の中に入る。その瞬間、木の匂いと埃が舞った。夜ということで視界も暗く埃も舞っている。手探りで武器を探しているものの、全く見当たらない。どこに……と焦っていたその時、小屋の外からガンッという突つく音が鳴り響いた。
鳥が外から、しかも入った時の扉から攻撃をしている。あの木の棒で目玉をつつくだけで退いてくれるほど獣は甘くなく、むしろ怒っているといえる。格下から手痛い一撃をもらえば、それは怒るに決まっている。
さらに小屋内を荒らすように武器を探すのだが……
見当たらない。タンスの中に食品や服といった生活用品はあるが武器はない。どうしようか、と思っている最中に小屋が大きく揺れた。鳥の獣が小屋へ向けて体当たりをしている。その衝撃で小屋がきしむ音がする。
もう時間がないため、このなかでまだ攻撃に使えそうなおもちゃを手に取り外に出ることにした。彼が手にしたのはおもちゃの剣。それも故障したのか刃の部分がなく、柄しかないというもの。
当然そんなものは使えないとティアもわかっていた。わかっていたが、精神的にも物理的にも追い詰められたティアはそれ以外の手段を思いつかなかった。
加えて、この柄に触った瞬間自分の力を吸い取られる様な感覚に襲われた。
呼吸をしていくうちにその違和感はすぐに取れていったものの、その瞬間この柄が熱くなった……がすぐに冷めていく。この感覚にティアは賭けたのだ。
ゆっくり深呼吸をして、クールダウンを行いながら外に出るティア。
外を見るとなぜか鳥が少し距離を取っていた。もう無理だと思ったから逃げようとしたのか、なんて楽観的な思考をしているティア。小屋へ向いている鳥がその大きな翼を飛ぶようにはためかせる。その瞬間、小屋に突風が襲い掛かった。
それを腕で遮っていると、その腕にでかい注射が刺さったかのような痛みが発生した。それに叫びたくなりそうであったが、すんでのところで我慢し状況を確認する。すると後ろの小屋が崩れそうな姿が見えたため急いでその場から離れる。
移動しながら腕に突き刺さっていた二本の羽根を取り除く。後ろの小屋は崩壊してその中に入ることはできなくなっていた。これでティアは逃げ場を失った。目の前には、瞳から血を流しながらもこちらを鬼のような形相で睨みつけてくる鳥の獣。
ティアの一撃は一定の効果を上げることができたが、しかしその分攻撃が激しくなるという結果に終わった。痛みによる熱を抑えながらこれからの目標を定める。
極論言えば奴から逃げるだけでよい……が移動速度、進行方向から言ってこの場から逃げるのは難しい。こちらは疲労困憊の状況であり全速力を出すのは厳しい。その一方で鳥は目を傷つけられただけで、足には支障がない。素の身体能力が違うことに加え万全な体調でない以上、無理と言ってよい。
では戦うのか、という話になるがそれも難しい。こちらには遠距離攻撃手段がない。そうなると接近するしかないが、その隙にも羽根による遠距離攻撃をむざむざと食らう羽目になる。それだけでも相当不利。加えてこちらの攻撃がどれだけ効くかというのは未知数である。
今とれる手段は逃げるか戦うか。どちらにせよ未知数の要素が多く、死の危険性がある。それならばと、打って出る決意を固めるティア。そして戦闘向きの思考にシフトチェンジする。最終目標はあの鳥の獣が塞いでいる道に進むこと。
敵の翼は二枚。そして、先ほどの動作を見たところ翼を振り払うときにあの羽根が打たれる。つまり、二回攻撃をしのげば隙ができるはず。そのすきを狙ってこの柄でもう片方の目に攻撃を加える。
そのような思考をまとめたティアは、目の前の鳥の獣に対して集中する。
彼の狙いは翼の攻撃を見切ること。羽根の軌道はわからいが、直線的な動作をするということだけは予測がついていた。
ゆえにそれが打たれた瞬間の羽根さえ見えれば、最悪羽根が見えなくとも躱すことは理論上できる。当然ながらそんなことは子供どころか大人でもすぐにできるものではないが、今のティアにはそんな理屈を考慮できるほどの冷静さを持っていなかった。
羽の攻撃を警戒しながら、しかし着実に近づいていくうちに鳥の獣が羽を振り払うポーズを見た。その撃たれた方向を集中すると自分の真正面に撃たれた、ということを認識した。
ギリギリまで進み自身の身体を斜めにして避けた後に鳥へ向けて全力疾走を始める。
ティアからするとその羽根は認知できる速度であった。もちろん、先に発射されると知っていなければ見えないものであるが、知ってさえいれば避けることができる。しかし鳥も馬鹿ではなかった。
羽を飛ばした瞬間、全力疾走するティアの斜めへ移動し第二撃を飛ばしてきた。
一瞬鳥の姿を見失ったティアはその攻撃をもろに食らってしまう。幸い頭を手でふさいだために致命傷はなかったが、刺さるような痛みに声にならない悲鳴を上げた。
だがそれでも足を止めることはなかった。
痛みなんかに足を止める暇はない。今の自分にできることは足を進めることだけ。
徐々に距離を詰めていくティアに鳥の獣は第三撃の準備を始める。
今回はティアの視界の中にいたが、その周りをぐるぐると回っており機会をうかがっている。
そこまで把握しているティアだったが、今の彼にとれる選択肢は走り続けることしかない。距離は縮めているとはいえ、空を飛んでいる以上手を出せない。つまり彼にできることは逃げるだけ。
立ち止まったところで攻撃を避けられるとは限らない。なぜなら、ティアの後ろにも回ってくるため、ティアも後ろを振り向く必要がある。加えて、リロード……つまり、羽根攻撃の頻度は非常に速い。避けたとしてもすぐに体力切れになってしまうだけ。よって走った方がまだましと判断した。
そんなティアを待ってくれるわけでもない獣。上空からティアめがけて突風が吹く。羽根の攻撃の合図だ。そんな羽根の攻撃を避けるため、ティアは大きく横に移動しながら走り続ける。そしてちょうど彼から見て斜め後方の地面に羽根が突き刺さるのであった。
ティアに羽根の軌道が見えるわけでも、後ろに目がついているわけでもない。ただ理屈と勘を組み合わせて動いているだけだ。まず、羽根自体はそこまで大きくない。それはティアの腕に突き刺さる程度の羽根、と言えばわかるだろう。
飛ばす羽根の枚数は二枚だけ。そこに加えて羽根の向きは縦に二枚である。そうなると自ずと攻撃範囲が限られてしまう。具体的には横によければそれだけで避けられてしまう。
そのため、ティアからすると突風を感じた時に横へ動けば躱せてしまうのである。
その避け方を何回も繰り返すティア。彼からすると、先ほどのように相対しているときは避け辛かったが、今の状態のほうが距離もあることで避けやすいと感じられた。このまま山から下りることができるかと思っている彼だが、鳥もせっかくの獲物を逃すほど悠長な生き物ではない。
再びティアの斜めへ移動したのちに攻撃を始める……がそれも鳥の獣のほうへ向いて走ることで回避する。これも理屈の上で導き出したもの。羽根の攻撃はティアの移動する先を計算して行っている。ならば、動きながらその計算を崩すような行動をすれば当たらずに済むということ。
こんな命の綱渡りみたいなことを行っているティアだったが、いつもそういうわけではない。緊急事態だからか、頭がいつもより冴えわたり回転が速くなっているにすぎない。実はここまで頭が働くのも転生前の知識によるものだ。
厳密にいえば、転生前の知識をフル活用しているから。今まで無意識に抑圧していたが、今生きるためにその知識を使わなくてはいけないと判断したからこそ、こんな無茶苦茶な動きができる。実際いくら頭が良いからと言って、五歳児がここまで頭を使った動きはできない。
例えば、最初の戦いで殺されていた。それが敵の羽の軌道がどうとか、何枚飛んでくるとか、どれだけの威力があるのかなんて分析できない。それらの発想の根源は転生前の物理法則などの知識に基づいたものである。
それを意識しているかいないかはともかく、順調に避けているティア。このままいけるかと楽観視した彼へ試練が訪れる。羽根を撃った後にすぐ鳥もティアのほうへ嘴を向けて突進してきた。いつもはあまり鳥の方向を見ずに避けているため、羽の軌道はわかったものの突進の軌道を読み損ねてしまった。
今から避けることは不可能、と判断したティアは足を止め、とっさに体を守るために手に持っていた柄を突進してくる鳥のほうへ向ける。そして訪れるべく衝撃に備えて目を塞ぐ。
すると手元に揺れるような振動が発生する。
いつまでも胴体への衝撃が来ないため恐る恐る眼を開けるティア。そこには嘴に光っている剣みたいなものが突き刺さっていた。それがどこから出ているか……を見ると、今持っている剣の柄。
なんと、剣の柄が持ち主に呼応して刃の部分が出てきたのだ。
鳥の獣が翼をはためかせ、突き刺さった剣を無理やりひっこぬく。その光景をただ見ていたティアだったが、途端にがくっと疲れが体に襲い掛かる。
強い倦怠感によって、足は止まりそうになり瞼が重くなるものの深呼吸をすることで無理やり落ち着かせた。
ティアも何が起きたのかさっぱりだが、要するにこの剣の刀身と自分の意志は呼応するということだけはわかった。その分体にダメージが発生するが、それであっても対抗手段がようやく生まれた。鳥に注意しながら再び走り出すティア。
鳥も再びティアの周りを巡回しながら攻撃を始めるが、すでに見切った攻撃のためそのすべてを避ける。その中には後ろからの突進もあったが、ティアの神がかった直感から鳥がどのような軌道で攻めてくるかを一目で理解する。結果、カウンター気味に剣を見せることですぐに追撃をあきらめた。
そんな調子で何分も経過したか。ついに業を煮やしたのか鳥がティアの正面へ向き両翼を羽ばたかせ羽根を撃ちながらティアへ突撃してきた。
ティアの四方へ羽根が飛んでくるため、彼からすると逃げ場は正面しかない。
そのため、再び剣を構え鳥の突進に備えるティアだったが、鳥もさらに無理をしてくる。本来リロードが必要な羽根攻撃を、突進中に再び行い始めた。一撃目よりも速さは劣るが、そのせいで時間差攻撃のような状態となり四方が囲まれた状況に陥る。
厳密にいえば避けられない軌道ではないが、複数の羽根が様々な軌道に自分へ迫る。それを一つ一つ分析するのは今のティアの頭脳では不可能だった。
結果、突進をこの剣で受け止めるしかない。だが羽根のせいで鳥の軌道が読みづらく、かつ羽根とは違う軌道で迫ってくる。つまり、突進を受けるか羽根を受けるかの二択を迫られてしまっている。普通に考えれば突進に剣を向けた方が良いだろう。
だが、今回は上空から急降下するように突進している。そうなるとたとえ剣が刺さったとしても倒しきれないかもしれない。よって、剣の間合いで攻撃しても突進によって攻撃を受けてしまうと判断するティア。
どうする。今から、横に動いて無理やり避けるか。そうだとしても結局突進の軌道を無理やり曲げてくるだけの話。この剣で正面に迫ってくる羽根を避けようにも、その隙に突進の一撃を食らってしまう。そこまで考えたティアだったが、避ける手が全く思いつかなかった。
自分はここまでで終わりなのか。こんな鳥に殺されてしまうのか。
ふざけるんじゃない。俺は戦うと決めた。こんなところで死んでたまるものか。死ぬのはあの鳥一匹だ。ふと、握りしめた剣の柄を見る。
そして、ティアは発想を広げる。もしこの剣の刀身を伸ばせば、上の前提条件はすべてひっくり返る。単純に突進する前に剣で突き刺し、勢いを止めてしまえばよいだけだから。
この剣が刀身を出す条件はよくわからないが、少なくとも自分の力によって出てくるものだろう。
そこまで分かれば十分だった。ティアは剣を持ち直し、自分の力をすべて剣へ送り届けるようなイメージを行う。頼む、俺は生きたい、戦いたい。
こんなどうしようもない場面で一人こっそり死にたくない。そんな気持ちとともに。
それに答えてくれたのか。
鳥がティアへ後数メートルまで近づいたその時。剣が肥大化し鳥の頭へぶっ刺さっていた。
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