第38話 恐怖の頂点
脅威が迫っていた。
まだまだ距離がある、と思い込んでいた。
三つ首のドラゴンの群れは、減速することなく三人を追いかけていたのだ。
移動経路にある、全ての障害物をなぎ倒しながら――。
サタヒコからゴーグルを借りた(……姉の権利を使って奪った?)リッカは、迷宮内を見ることができるようになった。
その分、サタヒコがなにも見えなくなってしまったが――それをカバーするため、リッカがサタヒコを抱えて、三つ首ドラゴンの追跡から逃れる。
まだ射程範囲内にはいないはず……だが、見えない位置から突き刺さってきている、捕食者のプレッシャーが、壁を隔てたすぐ傍にいるのではないか、と錯覚させる……。
目が見えるようになった分、マイナスイメージを抱きにくくはなったが……それでもやはり、少なからずのイメージはしてしまう……。
プラス方向へイメージをするのは至難の業だ。
ギミックを利用した優位を作り出せないなら、純粋な怪童としての力を発揮するしかない。
これまでは闇の中というハンデを背負っていたが、見える世界という相手と同じ土俵に立てると言うのであれば、リッカにもできることがある。
「サクラ、速度なんだけど……上げても大丈夫?」
「は? 今、全力なんじゃ――」
「ううん、サクラに合わせてただけ。もしかしてサクラも?
だったらもっと速度を出そう……じゃないとドラゴンに追いつかれちゃうから!」
サクラの返答も聞かず、リッカは力強く地面を踏み――瞬間、加速した。
サクラを追い抜き、彼女の視界から背中が消えるほどの速度で。
「はぁ!? ちょっ、ッッ!
噂には聞いてたけど――怪童ってのはここまで桁違いの力を持ってんのか!?」
サクラは怪童を見たことはなかったが、しかし聞かされてはいた……知識としてはあったのだ。聞いていた話と違う、のではなく、聞いていた通りであることに驚いた。
……これじゃあ確かに、自分は劣化版である。
迷宮内で、ゴーグルなしで目が見えているだけだ……、そのアドバンテージがあっても尚、目が見えていない怪童の方が、強い。
「待て! おいオマ――ッ、リッカッッ!!」
サクラが名を呼ぶ。
呼ばれたことに気づいて足を止めたリッカ――だが、呼ばれたから止まったのではなく、サクラが名前を『初めて呼んで』くれたことに嬉しさを感じたためだ。
立ち止まるだけでなく、わざわざ戻ってきたリッカが溶けるような笑顔でサクラに詰め寄り、
「いま! 名前っ、呼んでくれた!? ねえねえもう一回呼んで!!」
「うるせえ! そんなことよりも!
そんな速度で走れば、オマエが抱えているそいつが堪えられないだろ……」
リッカが抱えているのはサタヒコだ……、彼はただの人間である。怪童でなければ改造された悪童でもない。仮に神童だったとしても、堪えられる速度ではないだろう……。
今のサタヒコは体内の臓器が上下左右にシェイクされたようなものだった。
ゴーグルに頼ったリッカには分からないが、視覚を持つサクラは分かる……。
視覚を持つということは、色も分かるということだ……、だから分かったのだ――顔色。
サタヒコの青い顔を、見逃さなかった。
「さ、サタくん!?」
「大事な弟が青い顔してんだ、もうちょっと速度を落として――」
だが、速度を落とせば追いつかれる。
さっきはまだ遠いと思っていたが、今はさきほど錯覚していた通りに、壁を隔てた向こう側に、本当にドラゴンがいるようで――。
……いや、ちょっと待て。
錯覚は、想像である。
リッカが、ドラゴンを引き寄せた――。
「こんの、バカッッ!」
「しょ、しょうがないじゃん! あのプレッシャーじゃ想像しちゃうでしょ!?」
口を動かす前に、足だ。
壁の向こう側にいるなら、まだ襲われる心配はない。
最低でもまだ、壁を壊すというひと手間があるのだから。
壁一枚、とは言ったが、薄い壁ではない……、そこそこ分厚い壁であるとサクラは知っている。だからまだ余裕を持ち、焦ることなく逃走経路を見つけようとして――
サタヒコを見た。
彼は、うなされているようだった。
悪夢に?
それとも、想像してしまった最悪の結末に?
病人が抱く不安は計り知れない。悪い方、悪い方へ考えてしまうものだ。
そしてそれは、意識して、ではなく、無意識的に。だから、言って止まるものではない――。
「まずい、ぞ……ッッ!?」
きっと、サクラが想像した光景がとどめだったのだろう。
分厚いはずの壁が壊された。大穴が開いた先から見えたのは、鋭い眼光が、六つ――三つ首だ。不揃いの牙を揃えたドラゴンが、長い首と共に顔を出して、三人を捉えた。
捕食者の目、絶対王者の風格――。
迷宮内で強者でい続ける力を持つドラゴンが、そこにいる。
「ぁう、あ……」
足がすくむ、動かない……まるで蛇に睨まれた蛙だ。
たとえ怪童であっても、ドラゴンの脅威には立ち向かえない。
それだけ、ドラゴンは強化されてしまっている。
自分たちの想像のせいで。
自分の首を、絞めるように――。
『最悪を想像しろ。身構えておけば、意外とその場面になった時、余裕があるもんだ。一回、頭の中で経験してんだからよ、どうすれば同じ失敗をしないか、分かるだろ?
シミュレーションだ。あらゆる結末を想定し、避けたいものだけを避ける――俺はいつもやってる。だから取捨選択し、お前を迷宮から無事に脱出させてんだぜ、リッカ』
「せん、ぱい……」
かつて、彼から貰った言葉を思い出す。
指示を出す彼だからこその仕事の仕方だ……、それが自分に当てはまることだとは、リッカは考えていなかった――しかし無意識に彼女もやっていたのだ。
というより、意識していないだけで、みんなが深層心理でやっていることなのだろう……、結果を予想し、避けたいものを避ける……取捨選択を。
だからこそ、危機に直面した時に、人は動き出せるのだ。
優先順位がある。
決めかねているから死ぬだけで――。
「グリッ、ト、……せんぱい……」
いま、あたしはどうしたらいいですか?
隣にいれば、ナビぐるみがいてくれたら、きっとそう聞いていた。
たとえ目が見えていても、目を瞑って彼の言葉を聞いていたはずだ……、だって、先輩の言うことは正しくて、間違っていても絶対に生き残ることができるから。
……失敗をしなかった――だからこそ、リッカはこうして生きているのだから。
「どうしたら……っ」
そこにはないはずだ、だけどリッカは探っていた――彼の手を。
裾を、袖を――ぎゅっと掴んで振り向かせるように。
抱えるサタヒコをさらにぎゅっと、片手で抱きしめて――、
「――あたしはどうすればいいんですかッッ、せんぱぁいっっ!!」
掴んだ感触。
そして、反射的に引っ張った時――空間を切り裂き現れた影があった。
まるで、カーテンの向こう側から顔を出すように、そこにいた。
いてくれた。
リッカがここにいて欲しいとイメージしたからこそ、
その人は、この場所にくることができた!
「簡単なことだろ、イメージが事実になるならイメージすればいい……、全てが思い通りにできるギミックは、こっちの命を奪うためだけの一方的なトラップなんかじゃねえよ――武器だ。
俺たちの手元にあるのは、必勝法なんだぜ?」
ゴーグルをはめ、視覚を手に入れたグリットが、宣言する。
「見えればこっちのもんだ。
未知に勝る恐怖を、俺は知らねえな」
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