第28話 リッカとサタヒコ

「こっちだよ、姉ちゃん」


 陸に上がったサタヒコは、姉であるリッカの手を引き、岩場の陰に隠れる。もし怪物が近くにいたとしても、あまり意味がある行動とも思えなかったが、しないよりはマシだ……。


 ひょこ、と顔を出して周囲を窺うサタヒコは、見える範囲に怪物の気配はないと判断する。


「……ひとまずは大丈夫そうかな……」


「もしかして、見えてるの?」


「え、うん……暗視ゴーグルを使ってるから――でも、姉ちゃんだって普段、」


「うーん、ちょっといい? あたし、君のお姉ちゃんじゃないと思うよ……?」


 冗談を言っているようには思えなかった。

 やっと再会できた姉の表情は、困った顔である……――サタヒコの言うことを、違うと突っぱねることはできるけど、それを言えばサタヒコを傷つけることになるだろうと察して、なんとか穏便に済ませられないか、と考えているようで……。


 その優しさこそ姉である証明だともサタヒコは言えたが、たとえ冗談でも実の弟にする表情ではなかった。


 ……暗視ゴーグルの不具合か? でも、見えている顔、姿は、十日ほど前にはぐれた姉と同じである。こうして向き合っているからこそ分かる……、暗視ゴーグルがなかったとしても、目の前にいるのは実の姉だと、サタヒコの本能が強く訴えているのだから。


「……リッカ・ガーデンスピア……それがおれの姉ちゃんの名前だよ」


「リッカ、はそうだけど……でも、ガーデンスピア……? そっちは知らないかな」


「じゃあ――姉ちゃんの名前はっ!」


「リッカ……もう一つの名前はない……と思う。あたしが施設に拾われた時、リッカ、って名前だけがあって……他の名前はなかったみたいだから――」


 怪童は基本的に一つの名前しか与えられない。状況によってはコードネームを持たされることがあるが、ファミリーネームを持つ者は少ないのだ……。

 元怪童が結婚して名前を得た場合でない限り、ファーストネームしか持たない……必然的に。


 怪童として生きているリッカも例外ではなく。


「でも、ふふ……リッカ・ロックシップになるかもね――」


「溶けたみたいな、緩み切ったその顔はなんだよ……っ」


 迷宮内にいながら、気を抜いたどころじゃないその表情は、危険を指摘するのもバカバカしくなるほど幸せに満ちていた。


 ピリピリとしがちなこの場で、その表情とほんわかな雰囲気を作り出せるところは、姉の専売特許だと知っていたサタヒコでも驚いてしまう……。


 実際にこうして迷宮内部に入ってみて……姉の異常性がよく分かる。


 怪童は、みんなこうなのか? 危険に無頓着だとでも?


 ちなみに。

 ロックシップとは、リッカの想い人である、とある先輩のファミリーネームである。


「……姉ちゃん、状況、分かってる?」


 ぐに、と両頬を引き伸ばして妄想の世界から連れ戻す。


 弟からしてみれば、姉の心中を染める誰だか分からない男(……だと思う。もしかして女の人?)の存在は、正直に言って気分が悪い。


 せっかく再会できたのに、水を差された気分である……。


 この場にいない、どこの馬の骨とも知らないやつに……っ。


「分かってるよぉ……あと、君のお姉ちゃんじゃないよー」


 否定が弱い。いっそのこと、ビンタしてしまった方がいいだろうか? サタヒコのことを警戒させてしまうことにはなるけど、同じ問答を繰り返すよりはマシ、か……?


 悩むサタヒコが自分の手と姉の頬を見比べていると――



 ずんっっ、と振動。


 距離はあるが、確かに、巨体が地面を踏んだ衝撃だった。


 池を見ると、水面に波紋ができている……。


 やがて、その波紋は大きくなっていき――、近づいてきている……?


 そして、その衝撃が天井を破った。



「え、なに、が――」


 ぼとぼとと落ちてくる大きな岩、瓦礫……、それらが池に着水して大きな波を作り出す。


 上がった飛沫がサタヒコたちを濡らし……――冷水を頭から被って冷静になるどころか、接近している脅威に、二人は慌ててその場から離れようとする――少なくとも冷静ではなかった。


 リッカの手を引くサタヒコは、とにかく距離を取ろうとしたが――、瓦礫と共に落下してきた『それ』は、意思を持って動く二人に敏感に気づいた。


 瓦礫に紛れて――は通用しない。


 規則的な動きをする瓦礫の中に、不規則な動きをする物体があれば目が吸い寄せられる。


 迷宮内を見ることができる『それ』は、音や匂い以前に、目で獲物を捉えるのだから。


 ――黒色のドラゴン


 誰かさん(たち)のマイナスイメージにより、強化カスタムされた、クリエイト・ドラゴンである。


 自分で自分の首を絞めているとは、まさにこのことだ。



「…………ッッ」


 暗視ゴーグルを通して、その脅威の姿が見えてしまうサタヒコは、死のイメージを明確に想像してしまう。


 ネガティブイメージがそのまま竜を強化してしまうことなど、彼は知りもしない。


 ……鋭い爪に肉体を抉られ、真っ二つにされるイメージ……。


 巨大な牙に串刺しにされて、全身をバキバキに砕かれるイメージ――。

 その結果から逆算し、鋭い爪と巨大な牙が目の前の竜に付与された――。


 そのイメージが、さらなるイメージへと誘導させる。


 爪には毒があるのではないか? 口から吐き出される炎に触れれば、人間の体など一瞬で溶けてしまうのでは? 肉眼ではないからこそ、不透明な部分が多くて想像してしまう……。


 まったく見えていないリッカは、相手の容姿から分かる手がかりがないために、想像するにしても選択肢が多過ぎる。


 だがサタヒコは、小さく細かい部分は分からずとも、竜であるという枠組みが分かってしまう分、イメージがリッカよりも数歩、踏み込んだものになる――。


 竜ができることを自然とイメージしてしまい、竜にできないこともイメージして、強化してしまう……。

 出会ってから数秒で竜は元の姿を失い、気づけば三つの首を持つ竜になっていた――。


「――ダメっ! 変なことを想像したりしたら、」


「三つ首の竜……? まさか他にもいたりしないよね……?」


 バカっ、とリッカが叫ぶよりも早く、怪物の息遣いが多方向から聞こえてくる。


 さらに振動が起き……段々と増えていく……。


 もう、たったの一体、なんて話じゃない……。


 一、二、三……? いや、もっと……?


 一体でも、絶体絶命のピンチにサタヒコたちを追い詰めた竜が、周囲にたくさんいる……!?

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