第5話 迷宮内大災害

 ――まずい。

 硬直したリッカの隙を突き、白く鋭いくちばしが、リッカの胸へ突き出された。


 リッカが持つ頑丈さのおかげで、まだ刃は肉を切ってはいないものの……時間の問題だろう……。小刻みに振動するくちばしは、やがてリッカの肉を破壊し、心臓を貫くはず……。


 さすがの怪童でも、血管を破られ、心臓を修復不可能なほどまで損傷させられたら……――そこまでやられてもまだ生きていたなら、人間の枠を越えてしまう。


 怪物と、同等に……。


 ……ん? そうだ、怪物だ――。


 凍結するという迷宮内の変化はあったが、まだ正真正銘の怪物には、出会っていない……?


「リッカを救うためなら、あとのことはあとで考えればいい……!」


 とにかく、今の危機を脱することが最優先だ。


 普段なら考えもしなかった悪手だが、しかし、この場においては最悪だが、同時に最高の助っ人とも言える、迷宮の支配者――。


 怪物は、必ずここにいる。



「――待ちなさいグリット! まさか、怪物を誘き寄せるつもり!?」


「ああ。……誤作動で鳴ったらどうすんだ、と思って否定的だった機能だが、怪物を呼び寄せた方がかえって助かる可能性が上がる場面ってのはあるもんだな……。

 強制的に縄張り争いを起こしてしまえば、敵同士が結託しない限りは、混乱を誘発できる。

 ……呼べる怪物がどういう種類かは特定できないし、あの白いロボットに食いついてくれるかは分からないが、なにもしないよりはマシだろ……っ」


 出てきた怪物がリッカに食いつく可能性もあるが、その危険性は、今の状況となにが違う?


 くちばしか、怪物の牙かの違いだ。その時はその時で、また考えればいい……——とにかく今は、現状を打破するための一石を投じる!!


 ナビぐるみに搭載されている、怪物が好む音を、迷宮内に響かせ――、



『……ぁン? この音は、まさか――てめえ……ッッ!!』


 ロボットだから無感情である、ということに引き寄せられていたが、このセリフには、はっきりと、相手の感情が乗っていたことが分かる。


 なにを鳴らしたのか分かったのだろう、だからこの後の展開が、予想できたらしい。


 リッカの胸から、くちばしを離した……、だが、リッカの自由を奪ったままなのは、リッカを囮に使うためか? ロボットであることに間違いはないが、人間味が伝わってくるのであれば、中に人間が入っているのか、それとも……。


 だが、そうでなかったとして、まさかここまでスムーズに動かせるものなのか?


 ナビぐるみでさえ、手足のように動かせるには程遠い操作感なんだぞ?


 まだ公開されていない技術……? どこかの国が独占し、機密情報として伏せている、回収した『秘宝』がもたらした『進歩』の可視化が、このロボット……?


「なるほど、リッカを知っている、としたら……。

 確かに情報漏洩をされたら困るネタを持っているってことにはなるか……」


 俺は、リッカの全てを知っているわけではない。

 過去にどこにいて、どんなことをしていたのかは知らない……まだ出会って日が浅いのだ。


 出会う以前のリッカのことを、よく知らない今の状況で、テキトーな推測はできない。


 亡命、か。


 迷宮を隔てた国の移動……、よくもまあ、生きて渡れたものだ。


 リッカに身に覚えがないのは、忘れたフリなのか、本当に忘れているのか――。


 探りたいところだが、今はそれよりも、だ。


 音を聞きつけ、やってくる――怪物が。


「……足音じゃ、ない……?」


 ドッドッドッドッドッッ――、響き、近づいてくるその音はまるで災害のようで……——膨大な水が押し寄せてきているような……――、


 次第に見えてくるその姿。


 白い。


 そして大きい……大きいというか、広い――その『怪物』は、姿形が決まっているわけでもなく、甲殻を持っているわけでもない……、なにもないのだ。


 裸一貫と言える。


 それこそが、この『怪物』にとっての最大の利点である。


「まさかこれ全部……ッ、押し寄せてくる液体の全部が、スライムだって言うのかよッ!」


 迷宮内の怪物としてはポピュラーな存在だが、見たことがあると言っても、膝までの高さの楕円形の小さなスライムだ……——大きくても、視界内に全体図が収まるほどの大きさのスライムまでしか見たことがない。

 だからこそ、目の前のこれがスライムだと言えるのか? 

 ……と思ってしまうが、間違いなくスライムだ。


 完全な液体ではなく、握れば掴める、粘液にも近い体……。体内のどこかに核があるはず。

 はっきりとそれと分かる脳が、体内のどこかにあるのがスライムだ――。


 それがまさか、押し寄せてくる先頭に弱点があるとは、想像もしていなかったが。


『……見え見えの弱点に、迂闊に手を出すのはバカのすることだナ』


 どうやら単細胞ではないようだが、……じゃあこの状況、どう突破する?

 通路を埋め尽くすスライムの波。回避しようにも、後方へ逃げてもすぐに追いつかれる……、なら、残されたのは先頭にある脳を潰し、スライムの存在を消滅させることだ。


 波に飲まれれば呼吸はもちろんできない……。しかもスライムの体内だ、時間はかかるが、着実に消化されるだろう……――最初からリッカたちに選択肢はないのだ。


『フン……、まあいい。どうせ消化されるなら情報を持っていかれることはないだろう……、元より、このアバターズは怪童でも入れない場所へいくために作られた人形だ。

 仮に、スライムの体内で溶かされようが構わない……高い損失にはなるがナ』


 ペリカンのくちばしがリッカへ向いた。


『どうせお前も共に死ぬ。

 ……殺す手間なく死んで情報漏洩を防げるなら、一石二鳥ダ』


 ぶぅおん、という機械の電源が落ちる音が聞こえてきた。

 人間の耳では拾えない、小さな音をナビぐるみが拾ったのだった……、——遠隔操作。


 操縦者はこのロボットを見捨てた。


 ロボットの脅威は消えたが、しかし、呼び寄せた怪物スライムの存在がさらに大きな脅威となってリッカを襲ってしまっている……っ。


『先輩、よく分かりませんけど、とにかくこの音の正体を倒せばいいんですよねっ?』


「そうなんだが……」


『では指示を待ってます。先輩の声にだけ集中しているので――怖くはないですよ』


 それをわざわざ口に出したということは、怖いってことだろうが。普段は絶対に弱音を吐かないくせに……、さすがに波が押し寄せてきている状況は怖いか……当たり前だ。


 怖くないわけ、ないだろう。


 見えないことで恐怖が生まれるが、見えないことでそれ以上には膨らまないとも言える。


 通路を埋める膨大な量の液体なんて、見ない方がいい。


 ――はっきりと見えている、弱点の脳みそをリッカが破壊すればいいのだが……さて、こんな細かい位置を、どう伝える? チャンスは一度きりだ。


 スライムに飲み込まれてしまえば、普通の液体ではない以上、身動きが取れなくなると考えていい……、だから飲まれる寸前に、脳へ届く一突きの拳をお見舞いするしかない。


 だが、リッカの腕の長さでは足らない……なにか、リーチを伸ばすための道具が必要だが……たとえば、槍……その代用となるものなど、この場には、な……、


 ――否、あるな。


 白い体。


 長いくちばし。……使えるな。電源を落とし、動くことがないこれを利用し、リッカでは足らないリーチを、こいつのくちばしで補えば――脳を貫くことは可能だ。


 だが、細かい位置までを、さすがに口だけで説明をするのは――。


「周りの壁を破壊して、通路を狭めればいい――」


 と、ステラ。


「狭まった通路なら、通れる液体の量も限られてくる。狭まった幅を通ろうとすれば、脳はおのずと一か所に留まり続けることになると思うけど……違う?」


「その通りだな、それでいこう――リッカ、聞いてたか?」


『はい! じゃあ周りの壁を壊しておきますねっ!』


 破砕音が聞こえ、周囲の壁から剥がれた瓦礫が通路を狭くしてくれる。……波の勢いにこの瓦礫群も持っていかれるだろうが、波の進行に差が生まれればいい……、その差の先頭に脳があれば、一本道で槍を突き出すように、刃は対象を貫くはずだ。


 三メートル以上もある巨体のロボットだが、リッカに持てない重さではなかった。

 白い体のその長いくちばしを槍のように見立て、リッカが迫ってくる音に向かって構える。


 波の先頭……、予定通りに目の前には弱点である脳がある……。


 だが、気になる。どうして弱点をわざわざ先頭に? 別に最後尾でもいいはずだろう……。

 最後尾の方が、弱点が狙われる危険もない。今のような通路、一本道であれば、背後の脅威を考える必要はないし……、さすがに怪物でも、それくらいの頭はあるはず。


 先頭も最後尾も、不安であれば中心地点に脳を置くことだってできるはずなのだ。なのに、これ見よがしに先頭に脳を置くのは、まるで手を出してくださいと言わんばかりの、罠なのではないか? 今更ながら、その見え透いた意図に気づき、


 ……手を出させることが、目的だった?


「――やべっ、リッカッ、止まれッッ!!」


 しかし遅かった。

『え?』という声も聞こえず、リッカはくちばしをスライムの液体に突き立てたところで――、


 瞬間、くちばしからロボットの頭、首までが、凍結した。


 ――凍結した迷宮内部、その変化に適応しているスライムなら、凍結能力を持っていてもおかしくはない。


 凍結した迷宮内部に棲息していたのではなく、このスライムがいることで、迷宮内部が凍結したのであれば――。


 巨体を抱えていたリッカの腕も巻き込まれ、凍結していく。

 このままだと、次第にリッカの全身も氷漬けにされて……――それが狙いか。


 脳を見せつけ、弱点を相手に認識させる。

 手を出させ、凍結させる捕食方法……、それが、このスライム――。


『まだっ、動け――るっっ!!』


 凍結した地面に強く踏み込めば、つるっと滑る危険性もあるが、リッカはさらに強い力で踏み込み、凍結した地面を割る。


 絶対に滑らない窪みを作り、さらに踏み込む。……体が凍結し、身動きが取れなくなる前に、くちばしを奥へ、奥へ――、全力で、突き出す!!



『もっとぉ……っっ、もっとぉおおおおおおおおおっっ!!』



 波の勢いが強くなり、脳も後退できない。


 だからリッカが凍結するのが先か、くちばしが脳を貫くのが先か……。



 そして、リッカの膝が地面についた。


 彼女の足は、窪みからはみ出ていなかった……。


 目の前に迫っていた膨大な量の液体は、全て消えている――。


 残ったのはカチカチに固まった、黒い脳みそだけで……。



「……リッカ、平気か?」


『ふぅ……――はいっ、擦り傷はありますけど、健康優良児、ですっ!』


 ナビぐるみのカメラに向かって、笑顔でピースを向ける後輩を見て、ほっとした……。

 リッカの全身が凍結する前に、なんとかスライムを倒すことができたか……。


 脅威は去った。


 だが、まだ迷宮内部からの脱出が残っている。

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