第3話 氷上の怪物

 暗視カメラでもまだ分からないが、待っている黒い穴の先に落ちれば、切っ先を上に向けて待っている剣山だった、というケースもあり得るのだ……。


 迷宮としてはオーソドックスな罠である。


 ……だが、そっちの方がまだマシだ。剣山で傷つけられる怪童ではない。だからなのか、学習をした迷宮は極端に変化させた環境で怪童を追い詰めている……。


 迷宮内部の怪物を巻き込んででも――異物を排除することを望んで、だ。


 リッカが落下した先は拍子抜けするほどになにもなかった……しかし、どんな環境にも適応するはずのナビぐるみのカメラが、まるで凍ったかのように、薄い膜が張られていて……——ナビぐるみの機能停止は免れたが、多少の通信障害が起きてもおかしくなかった。


「リッカっ! 聞こえるか!? おいっ、返事を――」


『――い、先ぱッッ――ジジ、ザァッ、――ん輩っ!』


 くそ! 迷宮内の環境に、ナビぐるみが異常を起こした!?

 リッカの声が聞こえにくい……、にくいというだけで、リッカの声自体は届いている。


 リッカの無事が分かっただけでも、今は良しとしよう。


 もしかしたら、こっちの声だって届いているかもしれない……。


 カメラに張り付いた氷で少し見えにくいが、視界が潰されたわけではないのだ……周囲の危険をリッカに伝えることはできるはず……――できているはずだ、と思っていないと、こっちの判断で仕事を放棄をするわけにもいかなかった。


 現場にいるのはリッカだ。


 安全地帯にいる俺たちがもう無理だと諦めて、痛い目を見るのはリッカである。


 一旦、リッカの肩から降り、彼女の様子を確認する……。肩に乗ったままだとリッカと同じ視点でしか景色を見れなくなる。つまりリッカの損傷を把握できない。


 幸いなのは、極寒の環境で、怪我をしてもすぐに凍結することか? たとえば出血があったとしても、傷口はすぐに凍ってしまうだろう……。

 それ以前にリッカ本人が全身凍結してしまう可能性もあるのだが……。


 確認してみれば、真っ青な顔をしているものの、リッカはまだ生きていた。


 ユニフォームも破れたわけではない。目立った外傷もなく、しかし時間の問題か……。


 震えるリッカは体を丸めて、小さくなっている。


 そのまま凍ってるわけじゃないよな……?


『ぶるぶるぶる……、もう、少し……もう少しで、慣れそうです……』


 通信も回復してきている。

 急な変化に、ナビぐるみも適応するまで時間がかかったらしい。それと同じで、リッカもまた、この極寒の環境に堪えられる体を、いま作っているのだろう……。


 時間はかかるが、適応できない環境はない――。


 怪童の頑丈さは、弾くだけでなく、受け入れて支配することも含んでいる。


 ただ、適応途中のリッカは、隙だらけだ。


 今、怪物と出会ってしまえば――。


 なす術もなくやられる。


 ただ、この極寒の中で動ける怪物も限られるだろう……、


 俺たちが把握している限りの怪物であれば、の話だが。



「……足跡がある」


 と、背後のステラがぼそっと呟いた。リッカのだろ? と聞かなかったのは、もしそうならわざわざ口に出して訝しむほどのことではないからだ。


 リッカのではなく、凍結した地面でもお構いなく足跡をつけるほどの生命体がいる……怪物?


 いいや、見えたのはリッカに似た……いや俺たちに似た、人の足跡だ。


 成人男性よりも、一回り以上も大きい足跡……。


 人間ではあり得ない大きさだから、そういう意味でも怪物だが。


 ……極寒の地を問題なく進める人間?


 ……先行していた怪童の可能性もある。


 足のサイズに驚きはしたものの、こんなもの、大きいサイズの靴を履けば再現できないわけでもないのだ。

 常識からズレていれば、全てが怪物や迷宮の仕業――とも言い切れない。人間が秘宝を独占しようと残しておいた罠かもしれないのだ……、


 ここから先へはくるな、というメッセージか。


 なら。


 ここで手を引くことは、『回収屋』としてはできないな。


 秘宝が近くにあることを知りながら、同業者の脅し程度で手を引くことはできない。

 リッカの怪我の具合にもよるが、寒さに慣れ始めているのであれば、前へ進むことを選ぶ。


「先行していた怪童がいるかもしれねえぞ……気を付けろ」


『人、ですか……? でも気配なんてしませんでしたけど……』


 声の調子が戻ってきたらしいリッカだ。寒さに慣れてきた頃か?


「でっけえ足跡があるんだ。沈み込む雪ならまだしも、凍結したスケートリンクの地面にくっきりとついた足跡だ……、怪童の力じゃねえとこうはならねえだろ」


『じゃあ、怪物なんじゃあ……?』


「だとしても。現場にいるお前が一番、目に頼らない方法で正体を突き止められるだろ」


 たとえば、危機感。


 まあ、それを感じ取った段階で引き返せと言うべきだが……、目で分からず耳でも突き止められなければ、迷宮内にいるリッカの、言葉にはできない方法で相手の正体を見破るしかない。


 なにもいなければそれに越したことはないが……、怪童にせよ、怪物にせよ。


 凍結した後でこの足跡がついたのだ……だから、まだ近くにいるはずだ――。


 ナビぐるみを操作し、リッカの肩に戻る。


 足跡の続きが道の先にあることを伝えると、リッカが進み出した。

 さっきよりも恐る恐ると言った様子なのは、一度、滑った斜面を気にしてか……それとも正体不明の足跡に不安を抱いているからか。


「大丈夫だ、斜面はしばらくねえよ」


『痛っ!?』


 熱いものを触った反射で手を引っ込めた、みたいな反応のリッカだが、実際は真逆だ。

 凍結した壁に無自覚に手をついていたらしい……、氷にぴたりと張り付いた指の皮膚が、べりっとめくれて痛みがやってきたのだ。


『うぅ……せんぱぁい……』


「ちょっとめくれただけだ。

 血も出てねえし、今のはお前が悪い。凍結した壁に触るか……、っ!?」


『下り階段を降りる時みたいな感覚なんですもん。そりゃ手すりか壁に手をつきますよ……って、先輩? 黙って、どうしたんですか? まさか今更、通信障害が!?』


 違う。


 リッカの目の前――、距離にしてみれば二十メートルくらいか。


 ……いる。


 人間ではない、が……、


 首から下は、人間をモデルにしたと言える姿だった。


 白い体。肩から手首にかけては毛が生えているのか……? 胸から腹筋までの、鍛え抜かれた筋肉……。過剰についているわけでもなく、だが見かけ倒しでもないと分かる、質にこだわった筋肉だった――凝縮されたパワーが映像越しでも感じられる。


 両手は五指。同じく両足も……。人間そっくりと言うか、まったく同じだ。

 手先の器用さが求められる作業もできるだろう。


 そんな人間のような見た目でも、首から上は、不気味だった……。被り物にも見えるが、首と頭で境界線が分からない以上は、繋がっていると判断するしかない。


 まさか無理やりくっつけた改造人間とでも言うつもりか? なんであれ、体は人間、首から上は、長いくちばしを持った、ペリカンに近い頭だった……。


 かつては、プテラノドン、と呼ばれた怪物もいたが、それにも似ているが……。


「……リッカ――リッカ!? なにぼけっとしてんだっ、目の前にいるんだぞ!?」


『はい? え、なにかいるんですか!?』


「いるだろ目の前に! お前、あの不気味な怪物を目の前にして危機感の一つも――」


 いや待て……気づかない、のか?


 ……そうだ、おかしい。


 画面越しでも分かる相手の不気味さに、同じ空間内にいて、しかも目の前で向き合っているリッカが、どうしてその存在にすら気づかないんだ?


 相手の呼吸、気配、リッカなら相手の鼓動にも敏感に気づくはずなのに。


 まさか迷宮が見せた、俺たち神童にだけ見せる『誤情報』だとでも――。


 つまり、リアルタイムで送られてくる映像に細工をされた……?


「……映像に異常はないわよ」


「遠隔で細工されている可能性も、か?」


「どんな可能性も全部、否定できる……——リッカの目の前にいる『あれ』は間違いなくそこに存在しているッッ!!」


 ステラの肘が、俺の脇腹に突き刺さり、


「なにやってんの!? 早くリッカに伝えなさい!!」


「ッ、リッカ! 早くそこから離れ、」


 だが、遅かった。


 凍結した地面にくっきりと足跡を残し、急接近してきた白い体の怪物? ――が、リッカの首を片手で握り締めたのだ。


『か、は……ッ!?』


 息が詰まるリッカの、微かに漏れた吐息が聞こえてくる……。


 怪童のリッカが抵抗できないほどの力なら、やはりこいつも怪童か怪物か!


 すると、白いそいつが、視線を横にずらし、俺へ――肩に乗るナビぐるみへ向けた。


 空いている片手で、ぎゅむ、とナビぐるみを鷲掴みにし――身動きが取れないまま、バチチッ、と画面に亀裂が入る。


 ……外から加わった力が、ナビぐるみのカメラを歪ませた……?


『せん、ぱいを……ッ』


 絞り出したリッカの声に、白いそいつが再びをリッカを見て、


『――離せっっ!!』

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