第2話 凍結迷宮

 しつこく手を振り、迷宮へ旅立ったリッカを見送り、俺のサポートについている同僚のステラと共にピットへ入る。


 多くの機材が置かれている部屋は、ただでさえ狭いのに、そこに二人も詰まるとなるとさらに狭くなる。


 具体的には椅子の背もたれを失くし、互いの背中を背もたれにして、複数台の画面を確認する……。足を伸ばす余裕もない。


 機械の熱のせいか、対策をしていてもやはり暑い部屋だ……、汗で服が湿ってきている。


 部屋の暑さか、緊張か……何度やっても慣れない仕事だ。


「お願いされたわね、『生かして帰してください』って」


「……ああ。殺して置いていく気は最初からねえけどな」


 ヘッドホンを頭につけ、口元に、伸びる小型のマイクを向ける。


「――聞こえるか、リッカ。聞こえたら返事を、」


『聞こえてますよー。いつも通り、なぁんにも見えない真っ暗闇です。地面を歩いているのか壁を歩いているのか、それとも天井を歩いているかも分かりません。

 あ、もしかしたら水面かもしれませんねー』


 あり得ない、とは言えないのが迷宮だ。


 マッピングに意味はなし。

 短時間で形を変え、こちらの常識を覆してくる不定形。


 ルールの逆転、歴史と事実を破壊してくる新発想の空間。


 水中で息ができたり、炎の中に飛び込んで凍えることがあり得る『なんでもあり』の世界だ。

 先入観を持っていくのは逆に、視野が狭まる危険性がある……。


 できるだけなにも考えず、起きた現象に正答を叩きつけられるように心に余裕を持つのが、迷宮攻略の正攻法、なのだが……。


 ナビぐるみの映像を見て戸惑うのだから、現場で冷静になれというのも難しいか。

 そもそも迷宮内ではなにも見えない。炎でさえも。

 赤い光は闇に飲み込まれてしまっている。


 ナビぐるみの高性能な暗視カメラでなんとか迷宮内部を映しているが――しかし今更だが、この映像だって実際の迷宮内部と一致しているかと言えば怪しいものだ。


 だが、信じなければ前に進めない。

 警戒は大事だが、疑い過ぎても前に進めない。


 俺が進めと言ったらリッカは進む……バカみたいに、素直に。


 ……数多くいる怪童の大半は、この一歩がまず難しい……が。


 リッカはその難関を、いとも容易く突破する。


「よし。前方は大丈夫だ、ゆっくり進めよ……」


『了解です!』


 映像が進む。リッカの肩に乗っているナビぐるみが届けてくれている映像だ……――迷宮内部はまるで別空間のように地形を変え、上下に移動するが、強力な電波で通信を可能にしている。

 今のところ、遅延は発生していない……、今後どうなるかは分からないが。


 先人の積み重ねが、今の俺たちの世代に、探索のしやすさを与えてくれている。


 過去の人間は苦労しただろう……、一体どれだけの死者が出たのか。


 ……死者の数を言えば、今だってゼロではないのだが……少なくはない数だ。


 技術は上がっている……間違いなく。


 その分、高い成果を求められるが、同じく、迷宮もレベルが上がっているんだよな……。

 まさか学習しているのか?


「……よくもまあ、ずんずん前へ進めるよな……。

 なんもねえとは言ったが、落とし穴の一つや二つ、あってもおかしくない道なんだが……」


「信頼の証拠でしょ」


「その信頼の理由が分からねえ。別に、あいつになにかを与えたわけじゃねえし……」


 ペアになる怪童を探している時に、たまたまあいつが目に止まっただけだった。

 ……推薦された、みたいなものだし、競合しているところを俺が奪い取ったわけじゃないのだ。あいつが俺に恩を感じることなんか、なんにもねえはずだが……。


 ――まあ、あいつにもあいつなりの理由があるのだろう。


 それが見えねえってことは、見せたくないことなのか――。


「詮索するのは失礼、か」

「聞いたら教えてくれそうな気がするけど、リッカなら――」


「だからだ。俺が聞いたら言っちまう。問答無用でな。信頼されていることを利用して強制的に答えさせる真似はしたくねえよ……。あいつが機能する内に、できるだけ『秘宝』を回収しちまおう。いつ俺への疑念が生まれるか分からねえからな」


「そんなことある?」


「分からねえからだ。……やれる時にやっちまう。ただし、ペースを早めることはしねえ。安全第一だ。お前も、喋ってないでちゃんと後ろを見ておけよ。俺の目だけじゃあ、全方位をカバーすることはできねえんだから」


「はいはい。……操作はそっちに一任してるけど、いいのよね?」


「ああ。お前はとにかく目だけを使え。

 それと恐らく無駄になるが、マッピングはしておけよ……短時間だが使えないわけじゃない」


 数十メートルだけ戻りたい時、内部構造が変わっていなければ、マッピングした地図は利用できる。これを怠り、回避したはずの罠にはまる、なんてケースもあるのだから。


 そんな間抜けを、リッカにさせるわけにはいかない。


「リッカ、周囲の匂いに異変はあるか?」


『異常なし。でもちょっと寒いかも……』


 環境に適応するそのユニフォームを着ていても? 暑さも寒さもかなり緩和させるはずだが……。緩和させての寒さなら、相当な寒さだってことになる……、迷宮が動き始めたか?


 もしくは、怪物が、リッカの存在に気が付いた?


「…………」


 暗視カメラの映像に目を凝らす。怪物がいたとして、まさか目の前から堂々と歩いてくるわけもない。上下、左右――、たとえば地を這い、重力関係なく動く怪物であれば、どの方向から急襲してきたっておかしくないのだ。


 一画面の中に、分割された四つの景色。

 基本、確認するのは一つの画面だが、画面端の切れてしまっている場所は死角になる。


 それを防ぐため、カメラはナビぐるみにいくつも搭載されていた……、カエル型であり目は二つだが、実際のカメラはお腹にも背中にも腕にも足にもついていたりする。


 気になったところをズームさせて寄り、注意深く見てみるが、ただの壁の染みだった……、小刻みに動いた気がしたんだが……。


 いや、間違いなく揺れている……、地面が揺れている?


『うぅ……さ、さぶ、寒いっ、ですっ!』


「お前が震えてるだけかよ……、早くも変化があったな。今日の迷宮は極寒ってわけか?」


 極寒の迷宮が初めてってわけじゃない。かと言って何度も喰らって慣れているわけでもないから、リッカの負担が軽くなるわけじゃないのだが……。まったく予想がつかない未知の変化でないだけまだマシだ。寒いだけなら対処のしようがある。


「よし、とにかく動きまくれ。立ち止まると凍えて死ぬぞ!?」


『わ、分かってますよぉ!! っ、って、あ痛っ!? 地面がつるって、滑って――』


「は!? おい、まさかもう地面が凍ってんのか!?」


「地面だけじゃない。壁も天井も凍ってる……、さっきまでただの洞窟だった迷宮内部が綺麗に氷を貼り付けたスケートリンクに早変わりって感じね……リッカ、斜面には気を付けて」


『ステラ先輩……でも斜面がどこにあるのかも……、きゃっ!? あ……ああっ、滑って――ステ、ステラ先輩ごめんなさいっ、斜面を滑ってますぅっ!?!?』


「焦るな! フック、持ってんだろ? 壁に投げて命綱にしろ!」


 腰のポーチからロープ付きのフックを取り出し、投擲する。

 リッカが投げた金属製のフックが壁に突き刺さ――らず、凍結した氷の壁に弾かれた。


『あれ!? フックが軽いんですけど!?』


 突き刺さっていると思っているリッカが、ぐっぐっとロープを引っ張るが……当たり前だ、刺さっていないんだからロープが重くなるわけがないだろ!


 弾かれたフックは、リッカが滑り落ちる斜面に転がっている……ざざッざッ、とフックが斜面を削っているが、リッカの重さを支えるまでには至らない。


 リッカの体が、みるみる内に、斜面の先へ――。

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