31話 蝶の羽ばたき。



 北門薫という女子は、善良に違いない。相田が悪評を述べるので、天邪鬼的にそう思っただけだが。


 相田は北門薫との過去については語らず、珍しく真面目に授業を受けだした。現実逃避のつもりだろうか。

 いずれにせよ北門薫の敵は、西塔紗季だろう。おれの知ったことではない。


 いや、まて本当にそうか? 

 振り返ってみよう。もしも悪意ある噂の件がなければ、南橋志穂はおれを次のデートに誘っていたのではないか? 


 志穂は噂は気にしていない様子ではあった。だがバタフライ効果というものがある。


 ある状態に、わずかな変化を与えることで、結果は大きく変わる。わずかな変化が無かった場合とは、くらべものにならないほどに。いくら噂を気にしていないといっても、少しは志穂の精神面に影響があっただろう。蝶のはばたき程度には。


 その蝶のはばたきが、志穂がおれをデートに誘う機会を奪ったのだ。そう考えると、北門薫、なんという悪女だろうか。

 イライラしてきたので、相田の背中をシャーペンで刺す。


「っ痛ぇなぁっ! てめぇ、なにしやがるっ!」


「前を向け、授業中だぞ」


 放課後。

 不思議なことに、紗季とも志穂とも堂上とも、北門薫とも遭遇しなかった。なぜ遭遇しなかったことが不思議なのか、そう感じていることが不思議だが。

 あと北門薫は、いまだ女子という情報しかないので、目の前に立たれても気づかないがね。


 まっすぐ帰宅すると、珍しく妹が先に帰っていた。


「里沙。部活は?」


「今日からテスト休み」


「そうか……」


 冷蔵庫を開けて、生茶のペットボトルを取る。コップに注ぎながら、我が妹兼カウンセラーを見やって、


「なぁ、デートに誘われなかったことに怒りを感じているのは、青春的なのか?」


 今日のカウンセラーは、自分のテスト勉強のことで頭が一杯らしい。イライラした様子で、


「あのさ兄貴。青春、青春とうるさいけど、青春とは何かを知りたければ、『耳をすませば』を見なよ」


 ジブリか。ガキのころトトロを見て、(喰われる!)と恐怖して以来、苦手意識があるんだよなぁ。おかげで『耳すま』さんも見ていない。


「『耳すま』さんは、NetflixかAmazon プライムに配信は?」


「ない」


 仕方ないので近所のレンタル屋で、ブルーレイを借りてきた。さっそく自室で観賞タイム。


 そして──エンドロールを見つめながら、おれは愕然としていた。

 これが、みずみずしい、正解の青春だというのか。

 ならば、おれには無理だ。あんな無垢な気持ち、人生のどの時点かで水洗トイレに流してしまった。いや、そもそも持ち合わせて産まれなかったのでは? 子宮の中に置き去りに? 


 紗季よ、青春の呼吸とは、努力では会得できるものではないのかもしれないぞ。


 ふらふらとした足取りで、妹の部屋にノックもせず入る。


「里沙。おれにもいつかは、誰かを自転車にのせて坂道をのぼりたい、と思う日が来るのかな?」


「知らないよ」


 にべもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る