29話 一頭のインパラがいる。



「紘一。同じ男子として、堂上くんに助言してあげて」


 助言か。

 ところで、おれは南橋志穂と、またデートがしたかったのだろうか。だとするならば、それをくみ取って、あちらからデートに誘ってくれるべきだった。そうでなければ筋が通らない。


 おれは堂上の肩をつかんで、


「堂上よ、ここは待機だ。相手からデートを誘ってくるのを待つんだ」


 堂上はスマホのメモ帳を開いて、打ち込んだ。


「なるほど。待機あるのみ、と」


 見ると紗季が、手招きしていた。こちらが不可解に思って席をたつと、紗季も「堂上くんちょっと待っていてね」と言って歩き出した。食堂の隅っこで、紗季がこちらに向き直る。


「あんな最低最悪な助言、はじめて聞いたわよ。百歩ゆずって、桐澤さんが堂上くんに恋心でも抱いているのなら、待機という戦略も否定はしないわよ。だけど、いまのところ桐澤さんは、堂上くんを意識していないでしょう。それなのに待機していたら、この世が終わるまで、事態は進展しないわ」


「まぁ聞け。デートに誘うということは、漫画でいうところのアレだ、心臓を捧げるに等しい。みずから弱点をさらしてどうする?」


 何かを察したらしく、紗季は呆れた様子で深々と溜息をついた。


「わたしは、君のカウンセラーではないから、何も言わないでおく。だけど、一応は指摘しておくわよ。紘一、観念して南橋さんをデートに誘いなさい。心臓を彼女に捧げなさい」


「お前の助言は、ろくでもないな」


「本題に戻るけど、堂上くんの話に。彼が、青山くんからどうやって、桐澤さんを略奪するかという本題に」


「なぁ、まてよ。それは一つのカップルを破局させるということだよな? 青山は不幸になるだろうし、桐澤だって、堂上に乗り換えて正解かは分からない。おれたちは、不幸な人間を増やそうとしているだけなんじゃないか? ただでさえ、この世の中には、不幸な人たちで溢れているのに」


 紗季は人差し指をたてて、


「チーターと、インパラ」


「なに?」


「サバンナを舞台にした動物ドキュメンタリーを見ているとするわね。視点が、チーターのお母さんだとする。子供がお腹をすかせているけど、なかなか狩りは成功しない。そしてあるとき、一頭のインパラを狩ってみせるのよ。わたしたちは歓喜することでしょう。これであのチーターの子供が飢え死にすることもない」


「やったな」


「だけども、もしも視点がインパラだったら? 時間はさかのぼる。わたしたちはずっと、一頭のインパラを見つづけていたとする。そのインパラは精一杯に生きていたのだけど、あるとき一頭のチーターにつかまり、喉笛を噛み千切られるのよ。これが弱肉強食の世界のことわりとはいえ、わたしたちは残念に思い、悲鳴をあげることでしょう」


「かもな」


「そういうことよ」


 つまり、誰に感情移入するか、で全ては変わると。


 堂上に感情移入するならば、いま桐澤と付き合っている青山は、恋敵以外のなにものでもない。青山を排除し、堂上が桐澤と付き合うことでハッピーエンド。この世界は、少しだけ良いところとなるでしょう。

 青山の視点で立つと、悲劇以外のなにものでもないが──わざわざ彼の側にたって物事をみることはあるまいと。


「ところで、堂上はチーターなのか、インパラなのか」


 紗季は顔をしかめた。


「サバンナのたとえは、もう忘れなさいよ。そんなことより、桐澤さんとやらを略奪するためには、堂上くんは攻撃的に動かないとダメよ」


 大人しくテーブルのところで待っている堂上を、おれはちらっと見た。あれはどう見ても、インパラなんだよなぁ。略奪するため攻撃的に行動、なんてことができるとは思えない。

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