21話 「もぐったら最後、水圧で押しつぶされます」。



 待ち合わせ場所の駅前で待っていると、南橋志穂がやってきた。


 ほう。そちらは5分前に来ましたか。こちらは10分前ですがね。などと、実にくだらないことで勝利に酔っていたら、南橋が言った。


「あちらで西塔さんを見かけましたが。彼女の妹さんとご一緒のようでした」


 あいつ、もう見つかったのか。しかも同行している里沙を、南橋は彼女の妹と勘違いしたらしい。


 結局、紗季が観察するというので、見張りということで里沙まで付いて来ることになったわけだ。なんだろう、この見世物っぷりは。


「もしかして、わたし達のデートを離れたところから見守っているのでしょうか? 偽装のため、妹さんも同行しているとか?」


 紗季の突拍子もない行動を、よく推理できるものだな。ここはターミナル駅なのだし、偶然、紗季がいあわせてもおかしくはないのに。

 考えられるのは、二つ。紗季の思考を、南橋はよく読めている。または南橋の基本的な思考が、紗季とよく似通っている。


 誤魔化すのも面倒なので、肯定しておく。


「らしいよ」


 不快さを表明するかと思ったが、南橋はふしぎそうな顔で分析してきた。


「西塔さんが、わたし達のデートを監視する理由とはなんでしょうか? 恋愛相談を受けた身として、最後まで見届けたい──という責任感か。または、まだ東城さんのことを諦められない──という嫉妬か。さらには泥棒ネコ的な立場となった私への──怒り。もしくは、もしくは──純粋無垢なる好奇心でしょうか?」


 変わった反応をする子だな。そこで、こんなことを唐突に尋ねてみた。


「ところで南橋さんにとって、青春ってなんだと思う?」


「深海ですね」


「は?」


「もぐったら最後、水圧で押しつぶされます」


 南橋さんは両手をあわせて、ギュッと力をこめた。ペチャンコです、と。


 なぜ、嬉しそうに言うのだろうか。話題をかえようと思ったが、意図せず『深海』つながりになった。


「これから行く水族館には、深海魚はいるらしいよ。……南橋さんは、水族館で何が見たい?」


「イルカショーでしょうか」


 ★★★


 ホームで電車を待ちながら、ちらっと横を見る。それほど遠くもないところで、紗季と里沙が口論しているのが見えた。さすがに声までは届いてこないが。すでに尾行が気づかれても問題なし、と開き直っているのが分かる。


 おれは紗季たちのほうを親指で示して、


「まくか」


「水族館には行かないのですか?」


 と南橋は残念そうに言う。

 水族館という行先を知られていたら、ここでまいても意味はないだろうと。だから行先も変わることを心配したわけか。


 意外と、南橋は水族館デートに乗りきだったようだ。もっと義務感で来たのかと思っていたが。

 こういうときは、ググるに限る。


「ふむ。40分ほど移動時間が増えるが、別の水族館がある。そっちに行けば、紗季たちに追跡される心配もないだろう」


 こっちが尾行をまいた時点で、わざわざ別の水族館に行先を変更した、とは思わないだろうし。

 実際、南橋が水族館へ行きたそうにしなければ、まったく別のデート場所を選んでいた。


「では、そうしましょう。ところで、どのようにまくのですか?」


「初歩的な方法で」


 手順の説明を終えたところで、ちょうど電車が来た。おれと南橋は車両に乗り込み──ドアが閉まりはじめたところで、ドアにぶつからないようにして、すれすれでホームに滑り出る。


 電車が走り出し、後方の車両の窓から、紗季の顔が見えた。悔しそうかと思ったが、どことなく満足そうだった。見送ってから、おれは南橋と顔をあわせた。

 どちらからともなく笑いだす。


 頭の片隅で、思った。これは青春ぽい気がする。


 こんど紗季に教えてやろう。



 ★★★


 水族館というのは非日常空間、らしい。これが一般的な意見。


 個人的には、人がいなければそうなのだろうな、と思う。海の生き物を見るより、人にぶつからないように気をつけなきゃいけない状況じゃなきゃ。


 クラゲの水槽の前で、南橋は立ち止まった。


「クラゲって、泳ぐのが苦手らしいですよ。世渡り上手に見えるけど、違うのですね」


 クラゲの、ふわふわしているあたりが、世渡り上手に見えるというわけかな。


 ふいに南橋が振り返って、おれにほほ返みかけた。


「東城さんに似ていますね」


 自分でも意味不明だが、いまの一瞬は良かった。



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