10話 エメラルド・シティは遠い。

 授業がはじまるので、おれたちはそれぞれのクラスに戻った。


 次の休み時間に、図書室の『地理学』コーナーで落ち合う。


 この『地理学』コーナーは滅多に人がいなく、そのためカップルが隠れてエッチしている、という変な噂まである。

 まぁ、とりあえず密会するには最適な場所だ。


 おれと紗季は付き合っていることになっているので──というか、一応は本当に付き合っているわけだが──コソコソと会う必要もないと思うがね。


 紗季がおもむろにスマホを取り出し、学校側が提供しているSNSを開く。

 管理者が教師なので、安心安全なSNSとして、生徒間では超絶不人気。そこに紗季からの全生徒に向けての投稿があった。


「『恋愛の相談に乗ります 2年1組東城または2年3組西塔まで』だって?」


「恋愛相談をはじめることにしたの」


 よく分からないが、紗季は誇らしげにそう言う。おそらくそれは、何らかのアクションを起こしたことへの誇り。一歩でも前へ進んだのだ、という確信への誇り。


 それでも、おれは容赦なく言わせてもらうがね。


「正気か?」


 紗季がどういう反応を示すかは、読めなかった。怒るか、悲しむか。

 で、実際はどうだったか。

 大いに喜んだ。いや本当に。晴れやかな笑顔。あと同時に感動もしている様子。瞳が潤んでいるので。


「その反応、どうにも理解できないなぁ」


「説明させて」


「どっちの?」


「え?」


「恋愛相談をはじめた説明か? それとも、おれに──お前の彼氏に正気を疑われて、喜んでいる説明か?」


 紗季は満足そうで、それを見ていると、少しだけおれも幸せな気持ちになれた。理由はよくわからないが。


「両方、説明してあげる。まず喜んだのは、わたしは大いに確信したから。自分が、青春という黄色いレンガの道を歩き始めたのだと」


「黄色いレンガの道?」


「知らない? 《オズの魔法使》よ。子供のころお昼のロードショーで見たんだけど」


 青春とはエメラルド・シティか。本題に戻るとして、改めて尋ねる。


「正気を疑われると、青春なのか?」


「相手が君だと、そうなるわけ。よく考えてみて。東城紘一という、この一個の人間を。青春から最も遠いところにいる一人の男子高校生を。そんなあなたから、正気を疑われた。これはすなわち、わたしが青春へと近づいたことを意味するわけね」


 カノジョにぼろくそに言われているのだが、まったく怒る気にもならない。というより、癪ではあるが──なるほどなぁ、と納得してしまえる。


 いや『恋愛相談をはじめた』案は、やはり正気を疑うことではあるのだ。

 だが、確かにおれは青春とは最も遠いところにいる男子。そんなおれが正気を疑うのならば、もしかすると恋愛相談とは『青春らしい青春』なのかもしれない。


 問題は、恋愛相談の案を出してきたのが、やはり青春から最も遠いところにいる女子、ということだ。


「小学生のころの同級生に、ダンゴムシだけを見つけて殺して喜んでいる奴がいた」


「ふぅん」


「で、ある日おれは、そいつに聞いてみた。どうしてダンゴムシを、そんなに殺しているのかと。なんと答えたと思う?」


「なんて答えたの?」


「蝶々を殺すのは可哀そうだから、と」


 紗季は、難しい数学の問題を解こうとしているような顔で、


「君は、その思い出話を持ち出して、何が言いたいの?」


 ふむ、おれは何が言いたかったのだろう。

 いま、なにかすごく大事なことを言いたかったのだ。この、ダンゴムシキラーの同級生(ちなみに別の中学に行き、それ以来は会っていないし、さらに言えば名前も忘れた)の思い出を持ち出して。


「まぁ、この思い出話は置いておいて。なぜ、恋愛相談なんだ?」


 すると紗季は、きらきらと瞳を輝かせて語り出す。こんなときに生き生きとしだすあたり、彼女も可愛いではないか。


「恋愛相談してくるってことは、それだけ青春を生きているということよね。だって、恋に恋している人たちこそが、恋愛に真剣に取り組んでいるのだし。そして、青春のひとつの到達点が、淡い恋なのよ。

 そして、君の妹さんの助言にもあったように、そういう青春を生きる人たちと共と多く接することで、わたし達の『青春LEVEL』も向上するに違いないのよ」


「……青春とも恋愛とも縁がないおれ達が、肝心の恋愛相談に応えられると思っているのか?」


「そんなの、些末なことじゃないの」


 それは、ない。

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