第8話 地を這う生き物。
「わが妹よ。癪だが、お前に相談がある」
早々にデートを終えて帰宅。
リビングのソファで寝転がり、スマホで漫画を読んでいた里沙。おれの言葉を聞くなり、退屈していた表情が一変。飛び切りなニュースに食いつくような表情となった。
「兄貴が? へぇ。切羽詰まっているんだね」
「最近、とある女子と出会ってだな」
「へー、兄貴が? 驚き」
すでにデートのことを知っているのだから、ここで驚くのはおかしいわけだ。それでもあえて、一驚の演技をしてみせる妹。
「その期待に満ちた眼差しを向けるのはよせ。別に、彼女に恋したとかじゃない。というか、その女子は──」
「名前」
「はぁ?」
「兄貴が興味をもった、その奇跡のような人の名前は、なんというの?」
「西塔紗季」
「その西塔さんが、兄貴にどんなことをしてくれたの?」
「どうやら、カップルになった」
里沙が感動の涙を流しそう──「兄貴がついに人になりました」的な──だったので、おれは急いで付け足した。
「しかしだな。しかし、西塔はおれと同じ種類の人間なんだ」
瞬時にすべてを理解したのか、里沙は落胆の溜息をついた。
「なぁんだ、西塔さんも何かが欠落しているわけだぁ」
「その言い方は、なんか重みがありすぎないかな。もっとこう、軽い表現で」
「洞窟探検中に見つけた、地を這う二つの生き物。それが兄貴と西塔さんなのでした」
おい、なんで青春を謳歌できないからって、そこまで酷い言われかたをしなきゃならないんだ?
おれがこれという相談をする前に、里沙が言うわけだ。
「兄貴。地を這う生き物が二匹でなれ合っても、絶対にいいことないよ」
「つまり別れろと? 妹に、恋人の合否なんか決めてほしくないものだな。そんなことよりも、相談というのは──」
西塔紗季との関係性を深めるための質問をしたかったのだ。西塔紗季を好きになることはできないものか、と。彼女といるとドキドキするとか──不整脈じゃなくて──そういう恋という概念的なものを。
ところが、相談の本筋に入る前に、西塔紗季へのダメ出しをされてしまった。
「なぁ、こうは考えられないか。これは単なる第一段階だとは」
注意をスマホにもっていっていた里沙が、ちらっとおれを見やる。
「第一段階? なんの?」
「地を這う生き物から進化するための、第一段階。むしポケモンでたとえるならば、キャタピーから、トランセルへ。で、最後にはバタフリー。という感じ」
「ふーん。つまり、兄貴も少しは生き方を変えようと思ったわけだ?」
「まぁな。癪だが、実に癪だが──お前や西塔の言うことは、部分的には当たっている。せっかく人生一度きりの高校生活だし、何かしら思い出は作っておきたい」
いまのところ思い出といったら、相田の下らない話を聞かされたことくらいだからなぁ。なんだろう、老衰するときに思い返して涙を流しそう。悔し涙を。
「西塔という人も、兄貴と同じ気持ちではあるわけだ。このままだと、なんだか人生大損しそうだよ、と?」
「そう。実際、そういう動機で、向こうから告白してきたわけだし」
一応は告白といえなくもないよな。
「じゃ兄貴と西塔さんは、二人断酒会みたいな感じかな」
「なんだそれ?」
「断酒会という、アルコールを絶つための相互依存会があるでしょ。兄貴と西塔さんは、青春を理解し実行するための相互支援を行う二人、というわけ」
「……」
もっと青春的な喩えはなかったのか。
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