第3話 いきなりの仕事
「仕事の指示は、任せるよ」
陛下はバレッタ卿に微笑みかけ、中央の大きな執務机に戻った。
「バレッタ卿、ご指導の程、よろしくお願いいたします」
「ああ。せいぜい邪魔にならないようにしてくれ」
バレッタ卿は私の挨拶に対して、不機嫌そうにそっぽを向いた。赤茶色の髪に、赤い瞳をしたバレッタ卿は、剣の腕前だけなら団長を凌いで近衛騎士の中で一番の強さを誇ると高名な方だ。ぽっと出の私が気に入らないんだろう。
近衛騎士団は、心から皇帝陛下を敬愛する騎士の集団だし、これはバレッタ卿以外からも嫉妬と羨望を集めそうだと思う。なぜこんなことになったんだろう。
「ではフォレスティ卿は、こっちで封蝋作業を」
「はい」
バレッタ卿がため息をつきながら、部屋の隅に私の席を用意してくれた。山積みの書簡がそこに積まれる。どうやら陛下のサインが入った書簡を封筒に入れて、封蝋をつけるという単純なお仕事らしい。
「終わったら、こっちの予算計算書の検算を。まあ私が既に済ませているがな」
「は、はい!」
バレッタ卿は、ドサドサと私の横に書類を積む。近衛騎士の側近は、陛下の警備にかこつけて一日中お側に突っ立ってるだけじゃないだろうとは思ってたけど、大変なもののようだ。
ルカルディオ陛下の代になって、財政の無駄を徹底的に排除されたという話は有名だけど、近衛騎士が事務作業をするとは思ってなかった。
「フォレスティ卿は、ウユニクス語は出来るのか?」
まだ蝋を溶かし始めたばかりだというのに、バレッタ卿は大きな回転式書見台を私の近くに運んできた。いじめかな?
「出来ますよ」
結婚もせず遊んでばかりもいられないので、私は他家の令嬢の家庭教師をやっていた。親交国であるウユニクス語も教えている。それに、我がフォレスティ家は貿易業も営んでいるから、手伝いをしてきた。
「では、これは今協議中の、ウユニクス国との貿易協定の取り決め書なんだが、陛下がご覧になる前に外務部での訳に間違いがないか確認してくれ。辞書はここだ。まあ既に私が確認したので、何も見つからないと思うが?」
「わかりました」
私とバレッタ卿の視線がかち合い、火花が散った気がした。負けてたまるか。
「バイアルド、そのくらいにしておけ」
陛下が笑って、バレッタ卿の名を呼ぶ。バレッタ卿は一気に顔を赤らめた。
「はい……」
バレッタ卿が自分の席につくのを見て、私は集中して手を動かし始めた。
◆
「――あの」
「何だ?」
「この訳、間違ってましたよ」
「何だと?!」
窓から見える太陽が一番高くなった頃、私は貿易協定の訳の確認作業を終えた。バレッタ卿に問題のある部分の文章を見せる。
「ウユニクス語は、所有構文のときに助詞を省略するのですが、この訳はウユニクス国からの、輸出品目としています。でも本当は、この指示代名詞は輸出額を指しています」
「見せてみろ!!」
バレッタ卿は書面を私の手から引ったくり、何度も同じ箇所に目線を動かす。
「む……?」
「ですから、これではウユニクス国が売りたいものは何でも言い値で買わなければいけないことになってしまいますので、確認が必要と思われます」
陛下が、ちらっと目線を上げてこちらを見た。
「それはまずいな。バレッタ卿、急いで外務部に確認に行ってくれ」
「はっ、はい陛下!!……フォレスティ卿、私がいない間、陛下をお守りするように! くそ、外務部は無能の集まりか?」
バレッタ卿は悪態をつきながら書状を持って大急ぎで部屋を出ていった。その背中を見送っていると、パチパチと陛下が手を叩く。
「サーシャ、見事だった」
にっこり笑って陛下が立ち上がる。
「……お褒めにあずかり光栄です」
「ウユニクス語が堪能なんだな。褒美をやろう。バレッタ卿には秘密で」
机の引き出しから、陛下はペンケースのようなもの取り出す。幾何学模様の入った蓋を開けると、色とりどりの丸い、お菓子らしきもの見えた。
「それは何ですか?」
「食べたらわかる。こちらへ」
陛下がピンク色の一つをつまんで差し出すので、私は手のひらに受け取ろうとする。
「口を開けて」
「えっ……はい」
陛下に食べさせてもらうなんて、と思うけど命令には逆らえない。はしたなくない程度に口を開けた。
「っ……!! つめた!!」
「はは、驚いたか?シャーベットだ。このケースは魔法がかかってて、ずっと冷たい」
冷たさにもごもごする私を見て、ルカルディオ陛下は快活に笑った。こんな無邪気な顔もするんだ。
「眠気覚ましに丁度いいから愛用してるが、サーシャは反応がいいな」
「すごくびっくりしましたけど……」
何かわかったら、味わう余裕も出てくる。イチゴ味のシャーベットは、甘くて冷たくておいしかった。もう少し食べたいと思うほど。
「物欲しそうな顔をするな。ほら、全部食べていい」
「陛下は召し上がらないのですか?」
「今日はちっとも眠くならない」
今度はケースごと押し付けられたので、私は自分で口に運ぶ。ブドウ味やオレンジ味があって、疲れて熱くなった頭がじんと冷えた。それにしても陛下がめちゃくちゃ私の顔を見ているので、食べづらくはある。
「私の顔に、何かありますか?」
あまり見られると魔法が見破られるのではないかと心配になってしまう。陛下の瞳は特別で、『聖顕』の能力があるから。
「何もないが……サーラ嬢は元気にしてるか?」
「んぐっ」
突然私の本名を呼ばれて、私は口に放ったばかりのシャーベットを丸ごと呑み込んでしまった。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫です……あ、姉は、サーラはとても元気です、私の姉の名前をよく覚えていらっしゃいましたね」
本当に魔法は効いてるのかな?
陛下は私がサーラだとわかってて鎌をかけてるんじゃと色んな考えが頭によぎる。
「覚えているとも。忘れられるわけがない。サーシャの顔を見ていると、サーラ嬢はどんな風に育ったのだろうかと考えてしまう。もちろん、男女の差はあるだろうが、子供の頃は本当にそっくりだったから」
陛下は遠い過去を見るように目を細めた。
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