第2話 叙任式

「始めよ」


 皇帝陛下の声によって、式典は滞りなく進み、私は決められた通りに、決められた歩数で陛下の前に膝をつく。


「ディランドラ帝国に栄光と繁栄を」

「顔を上げよ」


 命に従って顔を上げると、当たり前だが皇帝陛下と正面から視線がぶつかった。ルカルディオ・アレッサンドロ・ディランドラ皇帝陛下。11歳にして、早世した先代皇帝の後を継ぎ、今年25歳になられた。太陽のような金色の髪と、強い魔力を示す翡翠のような緑の瞳。


 不純な目で見てはいけないと思うけど、無表情でも凛々しくてすごくかっこいい。憧れの気持ちはずっとあった。即位に前後して、なぜか極度の女嫌いを発症され、女性はこの姿を遠目にしか拝見できない。でも間近で見るとかっこよすぎて、こちらの心臓にも負担を与えるわ――と思っていると、陛下の眼差しが一際するどくなった。


 私が女だと見破られていないかと、心拍が激しくなる。


「……私、サーシャ・フォレスティは騎士の掟に従い、礼節を守り、勇敢なる騎士として皇帝陛下に忠誠を誓います」


 どうにか動揺を表に出さないよう宣誓して、私は再び頭を下げる。陛下が、鞘から剣を抜く音が聞こえた。邪魔だったので、黒髪を短く切った私の首筋に剣による風がかかる。思わずひっと息を吸う私の肩に、冷たく重い剣が乗せられた。これが叙任式の形式だ。命を捧げる。


「サーシャ・フォレスティを私の近衛騎士として認める」


 陛下の声が頭上から降りかかる。なぜか、動悸は激しくなる一方だった。


 ◆



「フォレスティ卿」


 無事に叙任式を終え、ほっとして近衛騎士の詰所に向かう途中に私は呼び止められた。


「はい?」

「皇帝陛下がお呼びです。こちらへ」


 呼び止めたのは、陛下の侍従と思しき若い青年だった。大きな目をしている。


「わ……私をお呼びと?」


私はすっと背中が冷たくなった。


「はい。早くお越し下さい」


 初日から陛下に呼ばれるなんて、私の正体がばれたくらいしか理由が思いつかない。そういえば、陛下は穴が空きそうなくらい私を観察していた。どうしよう、陛下を欺いた不敬罪とかに問われたらサーシャに大迷惑だ。陛下の足でも何でも舐めるから許して欲しい。


「サーシャ、私もついていこうか? 可哀想に、生まれたての小馬のように震えてるじゃないか」


 ベラノヴァ団長が、ガタガタ震える私を支えようと肩に触れた。


「だ、大丈夫です! では、団長!! 行って参ります!」


 魔女の魔法によって、私は誰が見ても弟のサーシャに見えるはずだ。だが、触れられるのはまずい。私は震えながら団長から離れ、侍従の青年の後をついていった。



 私は陛下の執務室らしき部屋に連れていかれた。室内には、お仕事中の陛下と、現在の側近である近衛騎士、バレッタ卿がいた。側近は、特に精鋭が務めるらしい。


「サーシャ・フォレスティです。お呼びとあって参りました……」


 息も絶え絶えで私は騎士の礼をする。


「顔が真っ青ではないか、やはりな。楽にしていい」


 陛下は羽ペンを置いて苦笑した。信じられない、笑ってる――ということは私が心配してることとは違うんだろうか。


「サーシャ。どうして呼ばれたか、心当たりはあるか?」

「っ……あ、あの……」

「わからないか?服を脱いでみろ」

「えっ?!」


 ルカルディオ陛下は、何でもない口調ですごい命令をされた。


「へ、陛下、申し訳ありません。いくらなんでもそれはその……」


 お嫁に行く予定は全くないが、男性が2人もいる前で服を脱いだらお嫁に行けなくなってしまいそう。バレッタ卿は表情ひとつ変えずにこちらを見てきている。


「男同士だというのに、何をそんなに照れている。その上着に何か、呪いがついているから見せてみろ。式のときに、この聖顕の瞳で見えたんだ」


 陛下はふっと笑い、椅子から立ち上がって私の目の前まで来た。男同士、という大事なお言葉に私は生きた心地がした。それから、呪いという言葉は絶対聞き逃せない。今、邸で寝込んでいるサーシャに呪いをかけたのと同じ人物の仕業かもしれない。


「お待ち下さい」


 私は12個もある近衛騎士の制服の金色のボタンを手早く外した。この下にはシャツを着ているので、上着だけなら大丈夫だった。

 私が上着を脱ぐと、陛下は躊躇なくそれを手に取って、机に広げた。でも脱いだばかりの服を皇帝陛下に調べられるなんて、すごく恥ずかしい。


 陛下は上着の胸の辺りの裏側を指先でなぞる。すると、淡く光る複雑な魔法紋が表れた。


「わ?! 何でしょうこれ……」

「サーシャはこの魔法紋に生気を奪われていた。だから具合が悪かったんだろう」

「動悸がするとは思っていました」

「顔色が戻ってきたようだな」


 陛下は私の顔を覗き込んで、微笑んだ。でも距離があまりに近く、違う意味で動悸がぶり返してしまう。思ってたより陛下って優しい。


「しかし、この私の近衛騎士に手を出すとは不埒な輩だ。見つけ出して、処罰を与えなければ」


 ルカルディオ陛下が指で魔法紋を弾くと、それはさっと儚く消えてしまった。陛下は聖顕の瞳を持つすごい魔法使いでもある。だから11歳で即位して、今まで御無事でいられたんだろう。狙われやすい立場である陛下に、決して呪いは通用しない。


「お気持ちだけありがたく頂戴いたします。ですが、お忙しい陛下の手を煩わせられません」


 サーシャを何度も呪おうとする輩を、どうにか私自身で捕まえたい。


「当てもなくか? サーシャは呪いを見抜けないだろう。それにこれは犯罪だ」

「それは……」


 私は口ごもるしかなかった。一応犯罪は犯罪なのだけど、誰もが魔力を持つこの国で、呪いは横行している。警吏に言っても調査が難しいからと動いてくれない。呪いをかけてる現場とか、魔方陣とか、確たる証拠を自分で見つけないといけないのだ。


「サーシャ、私の近衛騎士になったからには、もう君は私のものだ」

「はい」


 ちょっと怪しげな言われ方に、疑問符を隠して返事をする。そうなのかな。確かに、元老院を通さずに皇帝陛下が直接動かせる私兵だし、陛下の手駒ではあるけど。


「私のものに呪いをかけた人物を放ってなどおけるか。絶対に許さん」

「……」


 陛下の口元は笑っているけど、翡翠の瞳には静かな怒りが感じられた。いや、結構激しいかも。


「サーシャ。今から、バレッタ卿と共に私の側近を命じる。私の近くにいた方が見つけやすい」


 そう言いながら陛下は、上着を私の肩にかけてくれた。


「陛下のご命令とあらば、忠義の限りお仕えいたします」


 仕事にしか興味のない冷徹な皇帝だという噂もあったけど、ルカルディオ陛下は思ったより熱い人だ。

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