男装令嬢は女嫌いの皇帝に溺愛される
植野あい
第1話 サーラとサーシャ
私の眼前に、ルカルディオ皇帝陛下の端正な顔が迫る。
「サーシャ……どうしてお前はそんなに私の心をかき乱すのだ」
翡翠のような瞳に、窓から射し込む夕陽のせいか熱が込もっているように見えた。そんな目で見られたら、どうしていいかわからなくなる。
「あ……あの、困ります。私は陛下の近衛騎士……」
「そうだ、私を守らねばならない。なのになぜそんなに離れようとする」
「だって……いたっ」
距離を取ろうと後ろ歩きを続けた結果、私は本棚に頭をぶつけた。
ああ、陛下の図書室で調べものをしていただけなのにどうしてこうなったんだろう。そもそも私は双子の弟、サーシャの代わりをやっているだけなのに、魔法で絶対男に見えているはずなのに、陛下はどうして――
「サーシャ、もう逃がさない」
「あ……」
もう後ろに下がれない私の間近に陛下は迫る。そっと頬に触れられ、その手の熱さに、言い様のない気持ちになった。すごくドキドキするけど、これはいけない。
「いけません……陛下」
「どうして?こんなに頬を熱くしているのに、嫌なのか?」
私の頬まで熱くなっていると知らされて、恥ずかしさに一気に全身まで熱くなった。私にも夕陽が当たっているけれど、私は今、どう見えているんだろう。私の目は、どんな感情を伝えているんだろう。
「サーシャ……」
陛下の息が私の耳にかかる。
「ダ、ダメです陛下、許して下さい。ダメなんです!!」
私の正体がわかったら、きっと陛下に嫌われてしまうから――
◆
私が男のふりをして、近衛騎士となったのは、数ヶ月前の事件がきっかけだった。
私の双子の弟サーシャは、皇宮勤めの騎士としての働きぶりが認められ、名誉ある近衛騎士への昇格が決まっていた。近衛騎士とは、皇帝陛下をお守りする精鋭たちのことだ。でも、いよいよ明日からだっていうときに、サーシャは、高熱が出てしまった。お医者様の見立ては子供の頃からの持病が出たという。サーシャは子供の頃から、よく寝込んでいた。
病気はもう治ったと思っていたのに。夢だった近衛騎士に選ばれたのにとサーシャは熱にうなされながら泣いている。
「うぅ……サーラお願い、薬をもっと僕に……」
「サーシャ、もう今日の分の処方されたお薬は飲んだのよ。わかって」
私は冷水に浸した布を絞り、サーシャの汗や涙を拭く。かかりつけ医は解熱剤を処方してくれたけれど熱は下がらず、普通に動けるようにはならなかった。いつ回復するかもわからないと言う。
これでは、近衛騎士の道が閉ざされてしまうかもしれない。残酷だけれど、病弱であっては近衛騎士は務まらない。サーシャは今まで、無遅刻無欠勤、鍛練に励み、上官の命令はどんなにつらくても笑顔でこなし、がんばってきたと聞いている。
そうしてやっとの思いで近衛騎士に選ばれたのに、こんなタイミングで持病が悪化してしまうなんて可哀想すぎる。
「サーシャ、もう泣かないで。私が何とかするから」
「どうやって……?」
サーシャは私と同じ色の、紫の瞳を薄く開ける。瞳の色だけじゃない。その形も、顔のつくりも、黒い髪も、ほとんど同じだ。性別の違いで少しずつ差が出てきたけれど、魂の片割れだと思っている。でも、私がほんの少し先に生まれたばっかりに、サーシャの体を弱くしてしまったかもしれない。
医学的根拠はないけれど、私がお母様のお腹から、健康を多く取って生まれてしまった。だからサーシャばかり病弱で、私は頑丈と言えるくらいに健康なのかもと、ずっと自分を責めてきた。
「サーラ、何する気?」
「大丈夫よ、さあ眠って………」
起き上がろうとして崩れ落ちるサーシャの布団をかけ直し、頭を撫でて寝かしつけてから私はそっと部屋を後にした。
愛馬に跨がり、私は暗い森を駆け抜ける。この森には、『輝石の魔女』と呼ばれる魔女が住んでいる。
高い高い塔の朽ちた外階段を登り、私は扉を叩いた。
「お願いします! 私の弟を助けて下さい!」
逸る胸をおさえて待っていると扉はひとりでに開いた。
「小鹿ちゃんが迷い込んできたようね。どうぞ入って」
私は、嗅いだことのない甘く不思議な匂いがする室内に足を踏み入れた。何かの骨や、変な色の液体が入ったガラス瓶がそこかしこにある。
魔女は、噂通り黒髪の美女だった。肩を出した夜色のドレスを着ていた。
「あ、あの……宝石があれば、何でも願いを叶えてくれるんですよね?どうか弟の、サーシャの病気を治してください。私の健康を全部サーシャにあげても構いません」
持ってきた宝石類を詰めた袋を差し出した。私の持っている全てだ。でも、魔女は袋を受け取らず、まるで透視するかのように私を見て笑う。深い森みたいな、緑の瞳。
「あなたの弟は病気じゃないわ」
「え?!」
「呪いにかかっている」
魔女は赤く長い爪で、私の肩から何かを取る。靄のようなもの指先でこね、ふっと吹き消した。
「これは大がかりな呪いね。どこかにある魔方陣を壊さないと解けないわ」
「そんな……サーシャは、いい子なんです。どうしてサーシャが呪われなきゃいけないんですか?」
「そこまでは知らないわよ」
「私はどうなってもいいです、サーシャを助けて下さい」
「……面白いわね」
魔女は、杖を手に取り私に差し向ける。緑色の炎のようなものが突然、私の胸から現れた。
「そこまで言うのなら、手を貸しましょう。あなたの、弟への愛を使って」
緑の炎は、杖に巻き取られるようにして、大釜の中に投入された。虹色の煙が吹き上がる。
「これは、皇帝すらも欺く愛の魔法。この薬を飲めば、あなたは周囲からサーシャと認識される。幻だから、触られたらダメだけど」
「えーっと、私がサーシャに認識されるということは……」
「そう、あなたがサーシャのふりをして動き、呪いをかけた人物を誘き寄せるのよ。きっとすごく驚くでしょうね、呪いが効かないなんてって」
魔女は高笑いをあげた。
その間に、大釜の中身は勝手にグラスに注がれ、私の目の前にすっと移動してきた。私は、覚悟を決める。やるしかない。鼻をつく刺激臭があるけれど、それを一気に飲んだ。
「うえっ! まずっ!!」
酸味と苦味が怒濤のように押し寄せて吐くところだった。まずかった以外は、体に変化は感じない。
「これでちゃんと効いているんでしょうか?」
「ええ、今のあなたは、男になってる。それがサーシャの姿なのね。だけど、キスをしたら魔法は解けるから気をつけてね」
「な、何でそんな……」
「だって解除の方法がないと困るでしょう。ちなみに口と口の話よ」
照れる私を前に、魔女は赤い唇で笑った。でも、口と口のキスなんて誰とでもするものではない。これならそう簡単に解けなくて、むしろ安心だ。
◆
そして、私は家に帰った。私の姿を見るやサーシャには熱があるのに干からびそうなくらい泣かれてしまったし、これでサーシャの代わりをやると言うと両親にも大反対された。でも、私の半身として、いや私以上に大切なサーシャの呪いを解くにはこれしかない。
翌日、私はサーシャとしてかなり早朝から皇宮に上がった。既に用意されていたサーシャのサイズの近衛騎士の制服を、自分でこっそり詰め直す。体つきはもちろんサーシャの方が大きいからだ。
やがてやって来た同じく新任の近衛騎士たちは、私を見て何の疑問も感じないようだった。魔女の魔法は確かだ。しかし、近衛騎士の叙任式の時間が迫るにつれ、私は緊張感からか身が震えてきた。
皇帝陛下は皇家の血筋として必要な、『聖顕』の能力を瞳に有している。要は大体の悪しき魔法は見破るということだ。私に魔女がかけた魔法は、邪なものではなく愛の魔法なので、皇帝陛下でも見破れないと魔女は言っていた。本当なんだろうか。
「君、そんなに緊張するな。打ち合わせ通りにやれば大丈夫だから」
近衛騎士のベラノヴァ団長が私の背中を叩く。この人はサーシャとこれまで交流はないし、呪いをかけた人ではないと思う。ベラノヴァ団長は、褐色の肌に銀色の髪をしていて、頼もしい雰囲気がした。
「が、がんばります」
そのとき、侍従の宣言によって、広い謁見の間に皇帝陛下の到着が知らされた。騎士は皆、一様に頭を下げる。私も頭を下げたまま、陛下の足元を見た。確かな足取りは、真っ赤な絨毯を通って中央の玉座へと向かう。
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