第45話  誕生日の約束

 なにも話しかけられないまま、気まずくプラネタリウムを出る。『今月の星空マップ』をさりげなく瑛太はもらった。

「見たことないだろう? 流星群。今年は条件がいいらしいから。と言っても都内でどれくらい見られるかは謎だけど」

「そうだね。流れ星は見たことあるけど、たくさん流れるのは見たことないや」

「見たことあるの?」

「あるよ。田舎の星空は空気が澄んでて明かりもないしきれいだもん」

「なるほど。驚かせてやろうと思ったのに」

 その言葉にわたしはうれしくなってしまった。流れ星をつかまえてくれる彼氏はなかなかいない。しかも専門家だ。

「見てみたいな、流星群」

「無理すんな」

 ぽんと頭を叩かれる。本気なのにな。本気にされない。


 その日はあのクリスマスイヴのようにレストランが予約されていて、コースメニューが注文されていた。乾杯は豪華にシャンパンだった。

「ねぇ、豪華すぎない? 分不相応だよ」

「そんなことないよ。会ってなかった時の分もお祝いしたいんだ。虫が良すぎるかもしれないけど」

 お酒のせいだ。頬が赤くなる。一緒に誕生日を迎えたのは思えばこれが初めてだ。すれ違いばかりで······。

「ごめん、泣くつもり、ないんだけど」

「いいよ、こうなるのは目に見えてたからほら、ハンカチ」

 いつかのサイゼリヤでハンカチの代わりに出てきた紙ナプキンを思い出させる。ダメだ、わたし。なにも変わってないってことだ。


「瑛太がそばにいてくれるだけでうれしい。特別な誕生日プレゼント。いろんなことがあったけと、いまここにふたりでいられることがうれしい」

「そう言ってもらえるとうれしいけど――特別なプレゼントは用意してあるんだよ」

 瑛太はお店のひとに「すみません」とただ一言いった。すると不意に明かりが消えて、テーブルごとに置かれた手元のキャンドルだけが光っていた。

 ほかのお客さんたちも驚いてざわざわしてきた。

 するとそこに真っ白い小さなバースデーケーキが現れた。

 お店のひとたちが手を叩いて「ハッピーバースデー トゥーユー」とワンフレーズ歌うと、お店にいたお客さんたちも一緒に手を叩いて歌ってくれる。それはさざ波のようにとても暖かい歌声で、みんながわたしがこの世に生まれてきたことを肯定してくれていた。

「おめでとうございます!」

 盛大な拍手とともにささやかなセレモニーは終わりを告げた。


「二十一の誕生日、おめでとう美波。俺は美波に『生まれてこなければよかった』ってこんな世の中でも思ってほしくないんだ。少なくともこの世の中で生きていくために、俺には美波が必要だから」

 泣きじゃくるわたしの右手を取った瑛太は「間違えた」と言って左手に持ち替えた。

「左手の薬指を俺にちょうだい。もちろん大学はちゃんと卒業するから。だからいまは未来の時間をもらう約束をしたいんだ」

「狡い。わたしの誕生日なのに、わたしがあげるの?」

「バカだな。言わなくてもわかってるくせに。この先、八十年後も俺の時間は美波のものだよ」

 流星が落ちてくるようにキラキラとした石が左手の薬指に嵌められる。本当なら瑛太が大学を卒業してからするべき約束なのに――わたしたちには時間がなかった。八十年後なんてお伽噺なのはわたしにもわかっていた。


「八十年後の俺たちに乾杯しよう」

 グラスにまたお酒が注がれて、ふたりで高く持ち上げる。チリンという澄んだ音がしてグラスは微かに重なった。

 八十年後、もしもわたしが生きていたら今日のことを笑うだろう。なんてセンチメンタルなバースデーなんだって。

 だってそれくらい特別で、忘れられそうになくて、忘れたくないバースデーだったんだ。


 そして瑛太は意外なことをわたしに告げた。

「美波······楽しそうにやってるのはわかってる。でも仕事減らしなよ。見てるこっちがハラハラするくらい忙しいじゃないか。幸いまだお互いの親も少しは仕送りをくれてるし、そんなに物入りな暮らしじゃない。この手。俺が高校生の頃、憧れてやまなかった手が日に日に荒れていくのを見てるのは辛いよ。心配なら俺がバイト増やすから」

「え、大丈夫だよ。心配しなくても上手くやれてるよ」

「だからこれは俺のワガママ。もっと美波のそばにいたいんだ」

 今ならこの屋根の上に流星群がきらめいていると言われても信じられそうだった。瑛太の恥ずかしそうな顔が、逆にどれくらい真剣なのかを物語っていた。

 わたしたちはお互いにお互いを思いやれる関係にようやくなれた。高校生の頃の身勝手な関係ではなく――。繋がっている、と信じられた。


「嘘みたい。ずっと夢見てたの、こんな日が来ることを。わたしたちの気持ちがひとつに重なって、もう離れない約束が結べる日のことを」

 その時、肩の辺りに暖かいものを感じた。ひとの善意の塊のようなそれは、懐かしく常に一緒にいたものだ。わたしをここまで連れて来てくれたものだった。

 それはわたしに『純粋に、正直に』と告げるとふわっと肩を離れて空へどんどんどんどん上っていってしまう。しっぽを捕まえることさえできない速さで上っていく。

「おばあちゃん、ちょっと待って! ちゃんとお別れを――」

 混乱するわたしを瑛太が押さえて席に着かせた。


「おばあちゃん、なんだって?」

「いつも通り。でももう本当にサヨナラなんだって。わたしはずっと気づかずにいたけれど、おばあちゃんはずっとわたしについててくれたの。おばあちゃんに言いたいことはたくさんあるのに、お礼をたくさんしたいのに、空へ上っていっちゃった······」

「じゃあ俺、認められたのかも。責任重大だな」

「瑛太······」

 涙を拭ってくれる指は、三年前よりずっとしっかりしていた。それは男の人の手だ。これからわたしを導いてくれる、頼もしい手だ。


「もたれかかってもいいの?」

「もちろん。この前もおんぶしたじゃないか」

「重くない?」

 彼はわたしの両手を握りしめた。指輪が指にきらめいた。

「その重さが美波の命の重さなんだよ。一生背負わせてほしい」

 ひとつ、頷いた。

 そしてわたしはこの人になにをしてあげられるだろうと考えた。わたしにしてあげられること――それはずっと離れずそばにいて、愛し続けること。例え地球が砕け散っても、わたしは彼を愛し続けるだろう。

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