第44話 流星群
小さなアパートで暮らし始めると、わたしは瑛太が学校に行ってる間、仕事を探した。
都会でもやはり子供は少なくて、考えあぐねた結果、老人介護の仕事に就くことにした。
久保田さんに話すと、彼女はこう言った。
「あら、美波さんに適任じゃないですか? マツさんのお孫さんですもの、皆さんのお話を聞いて差し上げたらいいじゃないですか」
「わたしにできると思う?」
「できますとも。マツさんの血を、美波さんは色濃く引き継いでいますよ。なにしろマツさんとずっと一緒にいらしたんですから」
ありがたいことに久保田さんはわたしと瑛太のことについてなにも言わなかった。
それどころかカボチャを煮る時、アジを焼く時、なにも聞かずにコツを教えてくれた。
応援してくれる人がひとりでもいるということが心を強くした。
わたしの仕事は早朝、昼勤、準夜勤の三パターンでシフトが組まれていた。なかなか瑛太の予定と合わせることが難しくなり、わたしたちはすれ違う恋人たちとなっていった。
とはいえまた職を変えると言ってもそんなに簡単なことではないし、なにより手当がつく分、収入が安定していた。
入居者のおばあちゃんの手を撫でながら、昔の話を聞いてあげる――それはわたしのおばあちゃんを思い起こさせた。おばあちゃんの手。その時語っていたのはわたしだったけれど、いつでも懐かしさが胸をよぎった。
瑛太とは次第に会話が少なくなっていった。なにしろわたしは彼のご飯を用意するとバタバタと出かけたり、彼がよく眠っている時間にひっそり出かけたりしていたからだ。
自然「おはよう」とか「いただきます」とかそんな言葉が主になって、狭いベッドでふたりで寝てるのも悪い気がして、わたしは自分用の布団を買った。
さみしくないわけがなく、さみしさと不安で胸の中は強い風が吹き荒れていた。
そんなある日のことだった。
瑛太がわたしの誕生日のお祝いを兼ねて出かけようと言ってくれた。昔のように待ち合わせをして、どこかに出かけようと。
ときめいた。
そんなもののことはすっかり忘れていた。ただ一緒にいられる時間が少ないことばかりが気になって、デートだなんて、そんなことがこの世にあることを忘れていた。
「準夜勤明けで疲れてるかもしれないけど」
「ううん、大丈夫。すっかり仕事にも慣れたしそれくらい大丈夫だよ」
このうれしい気持ちはしまっておきたいのに溢れ出て、ちっとも隠せなかった。
「そんなに喜ぶなら早くこうすればよかった」
「いいの、いいの、気にしないで」
ついいつも以上に笑顔になってしまう。バカみたい? ううん、そんなことない。こうするために一緒にいるんだもの。
その朝、彼は待ち合わせより早い時間に部屋を出た。より待ち合わせっぽい演出をしよう、とふたりで話し合った結果だ。
わたしは彼が出かけるとすぐ、支度に取りかかった。
ここに来てからは動きやすい服装ばかりで、確かに瑛太も幻滅していたかもしれない。
わたしはカバンの中をごそごそと探って、この街にやってきたときと同じ服を取りだした。
――白いワンピース。
これを来たらまた転ぶかしら? ううん、関係ない。そんなことより彼を喜ばせたい。
メイクの仕上げはピンクのルージュだ。
遅れてはいない。
だからと言って早く行きすぎたら意味ない。
逸る心臓と、それを抑える心が相反してなにがなんだかわからなくなる。とりあえず、行かなくちゃ――。
駅の改札は昔わたしたちが待ち合わせしていた隣の駅よりずっと広くて、改札脇で約束していた。わたしは駅を利用することが少なかったので、始終キョロキョロしなければならなかった。
胸の内ばかりが焦っていて、目に飛び込むものひとつひとつに気が散ってしまう。
人波に流されないように気を強く持つ。でないとすぐに攫われて迷子になってしまいそうだ。
「美波!」
確かに聞こえた! わたしの王子様の声だ。聞き間違えることはない。
振り向いて、注意深く見ていく。
と、すごい勢いでこちらに歩いてくるひとがいた。
「家から反対側のエスカレーター上ってきたら、改札も反対側になっちゃうだろう? なに考えてたんだよ」
コツン、と拳が軽く頭に当たる。
「瑛太、どこにいるかなぁって」
「変わらないよな、まったく。まだ『箱入り』だ」
「意地悪。瑛太より先に社会人になりました!」
ぷぷっと吹き出してしまう。瑛太もにやにやしていた。
こんな空気は久しぶりで、わたしたちは意気揚々と街に繰り出した。
「今日はスコール降らないかな?」
「雨雲レーダー見てきたけど大丈夫じゃないか?」
「でも急激に雲が発達する時があるじゃない」
「あれは······」
しまったと思ってももう遅い。終わりまで聞くしかない。物理が絡んでくる、気象や宇宙の話になると瑛太の話は終わらない。学校でフラフラしてて、なんて言ってるけど、勉強するべきところはしっかり勉強したようだ。三年間、離れた甲斐があったというものだ。
わたしはこんな時、適当に相槌を打っては神妙にわかった顔を作った。
瑛太だって本当にわかっているわけじゃないことくらいわかってるんだろう。
「科学博物館に行くか?」
「ちょっと待って。わたしの誕生日だよね? 行くところはもう決まってるの。プラネタリウムに行こう」
「俺、また寝ちゃうかもよ?」
「それでも」
プラネタリウムはやはりひとが少なかった。いない、に等しいくらい。
わたしたちは安心していちばんよく見える真ん中の席を取って、借りたブランケットを膝にかけた。冷房がよく効いていた。
しばらくして会場が真っ暗になると全天に小さな星たちが浮かんでくる。突然田舎に行ったような気持ちになる。
東京の空には星がない。郷愁感が押し寄せてくる。
番組は今日も星空散歩。
今夜の星空の解説をしてくれる。
今日は特別、ペルセウス座流星群の話になった。
そう言えば昔のアニメで流星群と一緒に巨大隕石が落ちてくるのがあったっけ。あれは町がひとつ無くなるんだった。
わたしたちとは落ちてくるもののスケールが違う。わたしたちの時にも流星がたくさん降るんだろうか?
――と、隣を見ると、真剣に画面に見入っている瑛太がいた。なんだかとても怖くて声がかけられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます