第36話 神様、ひとつだけ
より良い別れ話のために、わたしは美波を翌日店に連れて行った。店番にも丁度いいし、美波だって瑛太に会うこと以外に用事はないだろう。
ふたりが話すというのは全然気分のいいものじゃない。
けど、話し合って決めてもらわないと困る。
――誰と誰が一緒に最期を迎えるのか。
それはもちろんわたしに権利があるわけだけど、そのことを美波にも瑛太にも思い知ってもらわないと困る。
瑛太の恋人はわたしなんだ、と貼り紙でもした方がいいような状況になってしまっている。
そう、瑛太の恋人はわたしだよ。落ち着け、自分。
美波は朝からどんよりした顔をしていた。瑛太に会うのが手放しでうれしいわけではないらしい。言いづらいこともきっとあるだろう。
でもそれはふたりの問題で、わたしはお茶でも飲んでいればいいんだ。
午後になると美波はそわそわし始めた。瑛太の講義は三時半に終わる。
出前になっちゃんも含めて三人でラーメンを食べる。近頃、出前をしてくれる店は珍しい。
美波は正統派、醤油ラーメンをつるつると食べていた。
「瑛太くんに会うのはうれしい?」
なっちゃんが意地悪を言う。客商売のくせにニラともやしたっぷりの味噌ラーメンを食べている。
「はい。あの、なにを言われるのかは怖いけど、基本的に顔が見られるのが――声が聞けるのがうれしいです。三年間ずっと叶わなかったことだから」
「なんでそんなにすきなのに別れちゃったの?」
「······直接的にはわたしの家庭の事情なんですけど、遠距離恋愛なんてできないの、わかってたから」
「瑛太くんのこと、信じてないの?」
「······瑛太の気持ちは新しい方にどんどん向いていて、わたしなんてもう付属品みたいで。ここに進学したらわたしも近くに進学すると思ってたみたいなんですけど、それってもう、わたしのこと、考えてくれてないでしょう?」
「確かにそうかもしれないけど、東京だもん、舞い上がってたんじゃないの? 許してあげればよかったのに」
そうですねー、と美波は心にもないことをさらっと言った。この話題にはうんざりだったんだろう。美波にとってはたぶん、どんなに悩んでも遠距離恋愛は考えられなかった。浮かれてる瑛太を見てたら尚更。
あの男は美波の希望を尊重してあげなかったのかしら? 女に慣れてるくせに、そういうところ、おざなり。
美波が絶対ついてくると思ってたなんて、バカみたい。『絶対』なんてない。
「瑛太、ここに来てから初めての彼女、わたしじゃないよ。女関係派手な方じゃない。ま、わたしは他人のこと言えないから気にしないけど」
「わかってます。瑛太、モテるから。ヤキモチだけでずいぶんすり減ると思う。あの、ふたりだけだった時間が奇跡だったんだと思います。お互いがお互いしか見えなくて」
「いいわねー、そういう信頼? わたしと瑛太の間にはたぶん無いわ」
「やだな真花さん、それでもいまの彼女は真花さんじゃないですか? 付き合ってる間は浮気しませんよ、瑛太」
「そうかなー、ふぅん、そう? 田舎から元カノが追いかけてくるくらいなのに?」
「······ごめんなさい」
美波の表情が固くなった。
別にいじめたいわけじゃない。美波の言う通り、瑛太はたぶんわたしを捨てないだろう。だっていまの彼女だから。だからふんぞり返って様子を見てればいいってことはわかってる。わかってるけど。
カラカラン、と少し乱暴にドアベルが鳴った。わたしたちはちょうど食事を終えて次に来る客を待っていたところだった。
「早かったじゃない」
「教授が休んで出席レポートだけ出てきたから」
「お疲れ様」
美波は緊張した面持ちで店の奥にいた。
なっちゃんが「お茶淹れるわね」と言った。
瑛太はいまにも美波に食ってかかりそうな気配だった。聞きたいことでいっぱいのようだった。
「美波、家はどうした? 二泊もしたらご両親、心配するだろう? 東京に行くって言ってないんだろう?」
美波は瑛太と目を合わせて、正面から彼を見据えた。話しながら彼の目の前までやって来た。
「家のことは、いいの」
「良くないだろう? 最優先事項じゃないか」
「いいの。わたし言ったの。『いい子はもう辞めます』って。瑛太と別れたことをいつまでも後悔したまま、あそこにはいられなくなっちゃったの。もう限界だったの」
「だったらどうしてあの時――」
「三年も前だよ。子供だった。まさかこんなに結ばれたものが解けないなんて思わないじゃない? 一度結ばれたものの固さを、わかってなかった」
瑛太はため息を大きくついた。
まるで邪魔なものはすべて吹き飛ばしてしまいそうなため息だった。邪魔なものについては考えないことにした。
「ごめんよ、美波。俺、お前が思ってるような男じゃない。美波をずっと想ってなんていられなくて、ほかの女の子と付き合って、さみしいのを埋めて。もう美波にはそぐわないよ」
「最初からそうだったじゃない。女の子との噂があって。そんなのわたし、気にしない。家もお寺も捨てる。瑛太だけいてくれれば······最初に瑛太が言ってくれた通り······ふたりでいられればなにもいらないよ」
ガンッ、と結構な音で椅子を蹴飛ばした。椅子は倒れそうによろけたけれど気持ちよく倒れてはくれなかった。だからその分、大きな声を出さなくちゃならなくなった。
「ねぇ、なんなの、あんたたち? いまの彼女がいるから別れないってだけなの? わたしが別れればいいわけ?」
「真花さん、そんなことは」
「綺麗事言わないでよ! わたしは別れないわよ! バカな女だと思ってくれていいから」
なっちゃんがポットを持って「真花、そこまでにしておきな」と言った。
「少しふたりだけにしてあげなよ。間で真花が怒ってたら話にならないじゃない? 瑛太くんだって一度も真花と別れるなんて言ってないんだから少しは大人の余裕、見せてみたら?」
「······ないよ、そんなの。でも確かにわたしがいたら話は進みそうにないね」
瑛太はわたしの顔を見てひとつ頷いて、美波を呼んで店の外に出て行った。外は雨だというのに······。
「泣いてんの?」
「なっちゃんにはわかんないってば。あのふたりはねぇ」
「元カレ元カノでしょ?」
「違う······。まだ繋がってるんだよ」
考え過ぎ、となっちゃんは言った。
わたしは深刻だった。水晶でもローズクォーツでもいいから助けてほしかった。
――神様ごめんなさい。いままで信じてこなくて。
こんなわたしでも神様は少しは慈悲を与えてくれないかしら? わたしから瑛太を取ったらなにも残らない。瑛太はわたしのたったひとつの勲章だから。
美波は名前の通り、瑛太を高波でやさしく攫ってしまうに違いない。
神様お願い。どうかひとつだけ、願いを叶えて。
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