第35話 より良い別れ話
「ふぅん、瑛太くんにそんな情熱的なところ、あったんだ」
「すっごい態度悪い。いいじゃん、別れた女だって友だちになれるよ」
「それができないひとも世の中にはいるんだよ」
なっちゃんはお昼休憩から戻るとやはり止まない雨の中、彼女はわたしたちのお茶会に混じった。
「わたしが悪いんです。瑛太、怒っても当然」
「美波ちゃんの前では怒ることもあったの?」
「······いえ、そういうのは。いつも前向きでわたしをぐんぐん引っ張ってくれました」
「おおー、なんかいい男みたい」
なっちゃんはけたけた笑った。そもそもなっちゃんは年齢が凸凹のわたしたちの仲を外から観察するように眺めていた。この恋が成立するのかどうか、見極めようとしているように。
『お似合いのふたり』というわけじゃないことはわかっていたけれど、わたしにはその視線が痛かった。「すきだ」という気持ちが背骨をギリギリ締めつけるようにわたしを苦しめた。
いつ退場してもおかしくないわたしの前に現れた彼女。この座席は黙って譲れない。そこまでお人好しじゃない。
ただ『思い出』を少しだけプレゼントしてあげよう。世界の終わりに思い残しがないように。それくらいの余裕はわたしにだってあるはずだ。
「それでどこから来たの?」
「K市から新幹線で」
「どれくらいかかったの?」
「三時間半くらいかな」
「旅行だね」
「旅行でしょう? 田舎育ちだから」
美波ちゃんは恥ずかしそうに下を向いてしまった。あの男にそこまでさせる力があるとは。
「お金もずいぶんかかったでしょう?」
「はい、でもあのわたしも一応社会人ですから」
「見えないよねぇ? 若く見えるってうらやましい!」
「子供っぽいだけですから」
彼女は少し困った顔をして苦笑した。白い肌にはいくつかそばかすが浮いていた。そばかすが目立つくらい白いということだ。
「今日は少し早く帰ってもいいわよ」
「なっちゃん、神」
「だって美波ちゃん、疲れてるでしょう? 中途半端な旅行で」
閉店後、わたしと美波は並んで傘を開いた。まったくよく降る雨だ。最近はもう足元はレインブーツだ。
「泊まるのに必要なもの、買っていく?」
「特にないです。洗濯機をお借りしてもいいですか?」
「もちろん。洗剤も柔軟剤もすきなだけ使って」
美波はにこりと笑顔で答えた。まるで天使の微笑みだ。女だって惹き付けられる。
「真花さんは、瑛太のどんなところがすきですか?」
「道端で聞く?」
「気になるより先に聞いちゃおうと思って」
くすり、と思わず笑ってしまった。なんだか女子高生だった時のような気持ちになる。まだ男の子と遊んだりしなくて、自分のことで精一杯だったあの頃。
「そうだなァ。顔がかわいくて女の扱いに慣れてるところ。引く時は引くってちゃんと知ってるところ」
「やっぱり大人視点は違うな」
「美波の思う瑛太は違うの?」
美波は恥ずかしそうに下を向いた。頬を赤く染めてるはずだ。それでも口元がうれしそうにしてる。瑛太の話をするのがうれしいんだろう。
「わたしは瑛太のやさしいところがすき。繊細で純粋で、それでいて自分のことをよくわかってなくて誤解してる。――でも、もう終わってしまったのかもしれないけど、出会ったのはきっと運命だったって信じてて。なんかわたしだけ一方的にしつこく追いかけ回して真花さんにも申し訳ないです。だから、できるだけこの数日で、この恋が終わったことをよく確認しないと、ね」
寂しそうに笑うのはこの子には似合わない。
でも悪いけどそうしてもらわないと困る。わたしにとっても彼は最後の男なんだ。――なぁんて普段は絶対考えないようにしてることが心の中にするりと落ちてきてしまって焦る。
そんなことない。
万が一、アイツがいなくなっても代わりはいくらでもいるもの。美波の波長に釣られてるだけに違いない。
わたしの安アパートまでは十分もあれば着いてしまった。雨がちょうど小降りになったからだ。
「きれいになんかしてないわよ」
鍵を開けながらわたしは言った。
「どうぞお構いなく。押しかけてるのはわたしなので」
美波はドアを潜ると、玄関で上品にヒールを脱いだ。よく見るとその白い靴には小さな傷がついていた。その傷は彼女の純粋さにそぐわないような、不思議な感じがした。
「シャワー浴びていいわよ。適当だけど夕飯作ってあげる」
「あ、そんなにしていただくわけには」
「千円もらうからね、その分よ」
さぁ、何を作ろうかなと考える。雨ばかりでパッとしないし、湿気はもわっとしてるし。
瑛太と食べようと思ってたガパオライスの素を使うことにする。じゃあまずご飯を炊かないと。
シャワーの音は外の静かな雨音を消した。自分の部屋で綺麗な女の子がシャワーを浴びているなんて不思議な気分だった。
とりあえずビールを出してソファに沈み込む。何となく手持ち無沙汰でナッツを探すけれど、買い置きはもう無かった。
と、LINEが入る。相手はわかってる。
『面倒なことになってごめん』
『謝るくらいならひとりでなんとかしなよ』
『まったくだ。反論の余地がない』
少しの間。
ビールを傾ける。
何を思ってる?
『あのさ、美波と話したいんだけど、どうしたらいいかな?』
ほら、やっぱり。
これを予想してわたしは何で彼女をこの街に引き留めてしまったんだろう?
『シャワー浴びてるよ。明日にしたら? 学校は何とかなるんでしょう?』
『まぁ、なると言えば。じゃあそうするよ。ありがとう、真花』
話したい、か。何を話すんだろう? より良い別れ話? んなアホな。
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