第34話 ごめん、変わっちゃって
瑛太はやっと学校に行った。
入れ違うように女の子が店の前で戸惑い顔で立ち止まっていた。街はいつも通りで、カラフルな服を着たひとたちが彼女を追い越していく。一見、彼女は学校見学に来た高校生みたいだった。紺色の薄い布地のスカート。白いブラウス。高校生どころか中学の制服を思い出す。ダサい、紺色のスカート。
その子は大学の方を長いこと見ていた。
いつも通り客のない店内から、見つめる。
と、まるでわたしの心を見透かしたかのようにその子がくるりと振り向いた。
――誰だ、中学生だなんて言ったのは。ふわっと揺れる肩までの髪は染めたことなど一度もないようで、かと言って黒ではなく、元々色素の薄いタイプのようだ。白い肌。茶色い瞳。上品なピンクの口紅。
「あ」
ぺこり、と少女はわたしに向かって確かに頭を下げた。あの、ドリームキャッチャーの子だ。
なぜだろう、わたしは走っていってあわてて店のドアを開けた。
「ねえ、予定がないなら寄っていかない?」
嘘、嘘。どうして恋敵(仮)とお友だちにならなきゃいけないのよ。
いや、まだ客と店員だけども。
「いいんですか? 助かります」
彼女は昨日と同じバッグを持って店に入ってきた。バッグは床に置かれる時、コトンと軽い音を立てた。荷物は少ないらしい。
「お茶でも飲むー? コーヒーの方がすきかな?」
「できたら紅茶で」
「運がいいね。店長がスリランカでこの前、買い付けてきたのがあるよ」
なっちゃんは『店長』という立場を活用して『買い付け』にすぐ飛んでいってしまう。ほとんどがアジアだ。わたしには興味が無いベトナムやインドネシアやらチベットやらにふらっと旅に出る。『買い付け』という名の旅行。
「このお茶、香りが強くて美味しいですね」
「店長も言ってた。ダージリンみたいにお上品じゃなくて、ぐっと来るのがいいんだって」
「ぐっと来る?」
「押しが強いってことじゃないの?」
紅茶のことはよくわからない。守備範囲外だ。
得意なのはお酒とタバコ。クズだな。
「学校見学に来てるの?」
「あ、いえ、そういうのではなくて……その、そういうのってことにすればよかったかも。ちょっと、この街に興味があったというか」
「大学以外、なにもないよ」
「そうですか……。わたしはむかし、ここに来る機会を失っちゃって」
女の子は悲しそうな顔をした。長いまつ毛がうつむいて、しっとりしている。
大学に落ちたのか、通えない事情があったのか。まだ『過去』なんて背負うには早すぎる歳に見えるのに。
「わたし、真花っていうの。真実の『真』に、普通の『花』。ここのしがない店員よ。あなたは?」
「わたしは美波です。美しい波って書くんですけど、夏生まれだけど育ちは全然海とは関係ないんです。いまは短大出て無職です。まだ誕生日前なのでハタチです」
「ハタチ? ごめん、てっきり高校生かと」
「いいんです。慣れてます。ぽけーっとしてるからですよね」
ふふっと微笑んで彼女はティーカッブに口をつけた。その一連の動作は流れるようで、まるでテレビのドラマを見ているようだった。つまり、ここに本物の『お嬢様』がいた。
「どうしてこの街なの?」
「心残りがあるから」
「ふうん」
あんまり突っ込んだことを聞いたらまずいんじゃないかと心のどこかが言った。でも残りの方は好奇心が勝って、根掘り葉掘り聞きたがった。
「それってさ、ドリームキャッチャーのこと? 昨日はどこに泊まったの?」
「昨日は、······駅前のビジネスホテルです。どういうところに泊まるのが適当かわからなくて」
「適当も何もないでしょう? お金が足りるところよ。この辺に友だちいないの?」
「……自分の街の中で生きてきたので。そうですね、意気込んで出てきたけどお金のことを考えると何日もいられないや」
彼女はわたしの目をあまり見ない。表情が読めない。だからもっと知りたくなる。
「ねえ! ここに住むわけじゃないなら、数日うちに来れば? 狭いけどタダ。……そうだな、タダより高いものはないって言うから、一泊千円。あ、高いかな?」
「いえ! 高くないです! ……でも本当にいいんですか? わたしきっと迷惑かけますよ」
あの時、『わたしきっと迷惑かけますよ』という言葉の意味を吟味すればよかったんだ。でもそう思うのは、いまだから。あの時は「いいことをした」と自分を褒めたい気持ちでいっぱいだった。
「じゃあ決まりね、美波」
いきなりの呼び捨てに彼女は驚いたようだった。あまりフランクな人間関係に慣れていないのかもしれない。
彼女はお茶を飲むと、お店の中を物色し始めた。インド綿の派手なワンピースや、インドネシアの猫の置物、ローズクォーツの説明を読んで妙に神妙な顔つきになり、ドリームキャッチャーのところへ行った。
「あのドリームキャッチャー、使ってみた?」
「ええ」
「効くの?」
彼女は商品のドリームキャッチャーを指で弄んだ。そして曖昧な笑顔を作った。
「あまり効果はなかったんです。今朝も……」
「怖い夢?」
「ううん。見ちゃいけない夢」
「『見ちゃいけない夢』なんて、そんなのあるの?」
彼女はカップの中の紅茶に映る自分を見ているようだった。そしてそっとそれを両手で包んだ。
わたしの目を見て、聞き間違いのないようにはっきりそう言った。
「真花さんはスピリチュアルなものって信じますか?」
「まあ、職業柄、くらいは? UFOとかUMAまでは責任取れないわよ」
くすくすっと無垢な笑顔を覗かせる。なぜかわたしはほっとする。
「美波は信じてるの?」
「……目の前にあったんです。幼い時から。だから否定できないっていうか、そういうとこ、他人とズレてるよなあって思うんですけどね」
『ズレてるよなあ』と言った時の口調が瑛太そっくりな気がして、そんなわけないと訂正する。
その時カランカランと音がして扉が開き、瑛太がドアの外で傘についた雨の雫をバサバサッと落とした。
唾を飲む。美波はというと完全に腰が引けていた。――美波は瑛太を知ってる!
「悪いんだけどタオルある? あ、ごめん、お客さん······」
「ごめん!」
美波は突然席を立った。強ばった顔をしている。
瑛太は傘立てに乱暴に傘を突っ込んだ。最近、立て続けに見たことのない彼を見る。
「こういうのはなしだろ? わかってたんだろう?」
美波はかわいそうなくらい小さくなって頷いた。わたしにはわからないけど彼らにはわかる話があるらしい。
BGMのオルゴールのメロディが雨音に溶けていく······。
「真花さん、楽しかった。さっきの話は忘れてください。わたし、帰ります。瑛太、本当にごめんなさい。諦めきれなかったの、もう二度と会えないと思うと······」
「ちょっと!」
この店に招き入れたのはわたしだ。責任持って引き止めたい。
じゃあ、と小柄な彼女はバッグを持ち上げて立ち上がった。ものすごく不憫だった。瑛太は何も言わないし、これが今生の――来世があるかわからないわたしたちの別れなのかと思うと頭がパニクった。
さっきまでののんびりした彼女からは考えられないキビキビとした動きで店の外へ出ようと傘を持った。
「美波!」
美波は振り向いて、瑛太の顔を見た。両頬が涙で濡れている。それはそうだ、あまりに当たりがキツすぎる。
瑛太は彼女のところまで歩いて行って目の前で立ち止まると彼女の前髪をかき上げた。つぶらな瞳が瑛太の顔を捉える。
――そのままふたりは抱き合う方が自然なことのように思えた。でもそうはならなかった。
「俺、まだ再会に動揺してる。ごめん、上手く受け止められなくて。本当は話さなくちゃいけないことがたくさんあるのは俺の方なんだよな? 美波······ごめん、変わっちゃって」
彼女はハンカチを出すと涙を拭いた。アイライナーが滲んで目元に暗い影を落としていた。
「それがわかってたから、あの時別れたの。離れていてもそれまでと同じような気持ちでいられるなんて幻想だよ。真花さんに会ったのは偶然だけど、瑛太のすきな人に会えてよかった」
今度こそ瑛太は彼女を軽く抱き寄せた。嫉妬が渦を巻く。――でも、今生で最後かもしれないから。
「瑛太、美波はうちで二、三日預かることにしたから安心していいよ。その間にふたりの間にあるわだかまりを解消しなよ。納得しきれなかった何かを解決したら?」
瑛太は美波の瞳を覗き込むように見つめた。美波は瑛太の瞳をやはり同様に深く見つめた。ふたりにしかわからない何かが間に通ってるようで怖くなる。
「真花、それでいいの?」
「きっぱり別れてくれた方が助かるでしょ?」
「······そっか」
狂ったような量の雨音が聞こえてきた。お陰で店の中の音は何ひとつ聞こえなかった。美波は小首を傾げて瑛太を切なそうに見上げると、なにかを口にした。
それはとても聞きたかったけど、たぶん、絶対聞いたらダメなやつだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます