第33話 混沌の中に正しさを
「あー、もうやだ! やってられん!」
なっちゃんが「まぁまぁ落ち着きなよ」と言う。落ち着きたいのはやまやまなんだけど、人生ってどうして凸凹なんだろう。
お店の中をぐるぐる回る。立ち止まっていられないほどイライラしてる。別に生理前じゃない。
運がいい時と悪い時がある。
運がいい人と悪い人がいる。
別に人生のすべてが『運』で決まってるわけじゃないけどさぁ。
「『運』を売り物にして商売してんのにねぇ」
「わたしは信じないよ、『運』なんてさ」
ハーブティーとローズマリーのクッキーを出しながらなっちゃんがおかしそうに笑う。
「わたし、知ってるんだ。真花、水晶をお守りに持ってるでしょう?」
「え、俺知らなかった」
「うっさい。あんな石ひとつで生活が良くなるはずがないのよ。なにが初心者向けパワーストーンよ」
「それで真花はなんのせいでイライラしてるわけ?」
わたしとなっちゃんは目を合わせた。
これは言うべきか。
なっちゃんの目はやめておけと言っているように見えた。
だけどたった一枚のカードだし、そんなに重く感じる必要ないんじゃないかな。内容は軽くないけどさ。
「あのぉ、友達から結婚報告のハガキが来たのよ。ほかの連絡はみんなデジタルなのに、なんで結婚報告は未だにハガキなのよ! そんなもの二十世紀に置いてくればよかったのに」
レジカウンターの裏にある休憩スペースでお茶していた瑛太が立ち上がる。慰めようとしてる。ふわっとアールグレイの香りがして、わたしはやさしく抱きしめられていた。だから言いたくなかった。
わたしは瑛太がとてもすきなんだ。
「それはつまり結婚した友だちがうらやましいってこと?」
「そんな簡単なものじゃないけど……」
「真花の周りの子は次々と結婚していく。地球はあと三年しか待ってくれないからね。わかるよ、そうするの。……俺たちも結婚しちゃう?」
なぜだろう? 目の前に昨日のドリームキャッチャーの女の子が浮かぶ。わたしと瑛太の間に立っている。――たとえあの子と瑛太になにかがあったとしても、今の彼女はわたしだ。
「瑛太、まだ学生でしょ?」
そうそう、落ち着いて考えよう。ぬか喜びにならないように。
「それは関係ないんじゃないかな? 俺が卒業するのは一年半後。きっともう世界は結婚式どころじゃないよ」
「そうかもしれないけど」
瑛太はわたしを軽く抱きしめて額にキスをする。そういうことが年下のくせに滑らかにできることにムカつく。どんな女性関係を経てきたのか考えてしまう。
「俺は大学辞めて働くよ。真花はすきなだけここで働くといいよ。でも毎月かかる費用は俺が」
そこでなっちゃんが立ち上がってわざとらしく大きな拍手を二回ならした。
「瑛太くん、それじゃ上出来すぎ。逆に嘘っぽい」
「そうかな? けっこう本気だけど」
「結婚する意味は?」
「真花を安心させてやれる。三年一緒にいるよって約束でしょう、つまり」
ぐさりとなにかが胸に突き刺さる。残酷ななにか。
わたしたちはそんな約束、或いは拘束がなければ一緒にいられないってこと? ――そうかもしれない。関係性はいつもグラグラ。
別に瑛太がフラフラしてると思わない。でもどうしてか不安を拭いされない。このまま結婚しちゃおうかな。勢いが必要なのかもしれない。
「ほかにすきな女の子はいない?」
瑛太は目をぱちくりさせた。それはそんな質問が来るとは思わなかったからかもしれない。そうでなければ……。
「いないよ。なに言ってんの? 真花ひとりじゃん」
「大学にかわいい子がいるとかさぁ」
「なんだ。見えない誰かに嫉妬してんのか。大丈夫、真花だけだよ」
ギュッと抱きしめ返す。胸に顔を埋める。瑛太の白いTシャツにファンデがつくかもしれない。厚塗りなのがバレちゃう。
「結婚なんて考えなくていいから、とりあえず学校に行きなさい」
「なんだよ急にお姉ちゃんみたいなことを」
なっちゃんがクスクス笑っている。
しっかりしてても所詮年下。まだ学生。そこを忘れちゃいけない。
同窓会に行ったら、瑛太ほど若い男とつき合ってる子はいないだろう。なにしろわたしは秋に二十五になるから、実は四つも歳が離れてる。
真花はまだ結婚しないの? と相手が聞いてきても問題ない。うん、だって相手がまだ学生だからね。二十一なの。
マウントはわたしが取れる。
……くだらない。恋愛に人生のマウントを取ろうなんて、わたし、ほんとバカだな。違うか、恋愛くらいしか他人に自慢できることがないんだ。
寝た男の数とか? 笑える。飲んで、遊んで、気が向けば寝た男の数で争ってどうすんだっての。
そんなものより眩しいもの――それは瑛太だ。若いからなのかもしれない。瑛太はいつも真っ直ぐ前を見ている。そしてわたしは彼の手首を握って離さない。そしたら、間違えることのない正しい場所へ連れて行ってもらえるような気がするから。
でもそれは秘密。変なプレッシャーはかけたくない。
わたしはただ、世界が終わるまでにせめて一度だけでもきらめく正しい世界が見たいだけ。こんなに混沌に満ちている世の中に、正しさを――。
「真花?」
「サボり魔。学校に行けっつーんだよ」
蹴りを軽く入れると瑛太は「なにすんだよ」と言った。
それでも、わたしから離れないでいてくれる。冗談の向こう側がわたしたちの間にはある。確かに結ばれているのを感じる。
だから店から蹴り出した。
天気は曇り。
降ってない日くらい行くべきだ。なにしろこの店は大学前の通りから一本入ったところなんだから。
いっぱい知らない経験、してくればいい。
夜はまた甘やかしてあげるから。
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