第32話 夢を渡る

 瑛太が訪ねてきた翌日も、そのまた翌日もやっぱり雨だった。その次の日も、また次の日も。シーズンとはいえ、雨が多すぎる。かわいらしくない重さの雨粒が大量に降ってくる。


 雨のせいでお客が来ない。

 こんな雨の日にはドリームキャッチャーがよく売れそうなものなのに。それはアメリカのネイティブから伝わった飾りで、蜘蛛の巣のようなものの下に鳥の羽などがカラフルにぶら下がっている。悪夢を捕まえてくれるというおまじないだ。続く雨の音でエフブンノイチゆらぎどころか、寝不足になりそうだ。


「俺、今日、これ買っていこうかな」

「ここのとこ、確かによく眠れてないみたいだけど学校行かなくていいの? 単位、落とすよ」

「単位かァ」

 瑛太がここに入り浸るようになって三日目だ。雨と一緒に彼は店にやってくる。

「どうしたの? 悪い夢でも見るの? ……この間ははねつけちゃったけど、うちに来てもいいんだよ。一緒に寝てあげる」

 うーん、と言って彼は指先でドリームキャッチャーを弄っていた。おまじないの類は信じないと言っていたのにどうしたんだろう?

 ――誰かが彼を変えた?

 そう考えた瞬間、心臓がドキッとすごい音を立てた。不整脈かしら、と心配になる。


 ここ数日の彼の横顔は少年のように見える。手の届かないものに手を伸ばしているような、そんな印象。切なそうな瞳を、時々する。それはひどく魅力的にわたしの目に映った。

「わかった。この前言ってた女の子のことでしょ?」

 それはないか。女のことで引きずるようなタイプには見えない。この前突っ返した時のように、こちらが拒絶すれば引くタイプだ。扱いが上手い。引かれると追いたくなるのが人というものだ。

「……恋ってさ、本当にあるものかな?」

「なに言ってんの? わたしたち、真っ只中じゃない」

「俺にとって今まで、恋っていうのは通過点でしかなかった。通り過ぎるだけのもの。真花だって俺と付き合う前はそうだったんじゃないの?」

「通過点か。確かに振り返ってみれば、ね。それで、わたしとあなたの仲もそろそろ通過点になるってことかな」

「したいの?」

「まさか。若い男の子と付き合うなんて、この先もうないもの」

「なんだよそれ」

 彼はカバンを持って「帰る」と一言いった。わたしは「またね」となに食わぬ顔で返した。


 ……ドライな関係でいたい。瑛太のことは好きだけど、それでずっぽりハマっちゃって泣くのは嫌だ。辛いのは嫌だし、もしそうなってもきっと替えはいる。重苦しい女になりたくない。


 買い付けに出ているなっちゃんのいない店内で、ひとり、コーヒーを淹れる。

 カランカラン、とカップにちょうどコーヒーがいっぱいになった時、客が来た。

 急いでよそ行きの笑顔を作って「いらっしゃい」と迎える。

 その女の子はしっとり濡れた白いスカートと、ウェーブの効いた髪をしていた。高校生くらいだろうか? 目が合うとぺこりと挨拶をした。

 まだ静かな店内で品物を見るには恥ずかしい年頃なのかもしれないと思い、なるべくそっちには気を使わない素振りでコーヒーを飲む。女の子はゆっくり、ひとつひとつの品物に手を触れて吟味しているように見えた。


 と、その子の手があるもののところで止まって、わたしはカップを置いた。

「ドリームキャッチャーって言うのよ。アメリカのネイティブのお守りでね」

「はい」

「悪い夢を捕まえてくれるの」

 吸い込まれるように彼女はドリームキャッチャーを見つめていた。買おうかどうしようか迷ってるのかな、と思う。さっきまでの瑛太の姿が重なる。大きさもデザインも違うものの中で、ふたりは同じものに手を伸ばした。愛おしそうに指先で触れるように。


「夢って、困りものですよね」

 瞬間、そう言った少女の横顔がひどく大人びて見える。再び見ると、やはりふんわりとした少女独特の姿が重なった。

「夢の中で誰かに会う時、その誰かは夢を渡ってくるんだそうです」

「素敵ね。すきな人が夢を渡って会いに来てくれたらすごくハッピーじゃない」

「……一概にはそうは言えないかも。だってすきな人でも、会えば辛い時があるんです」

「そっか。そうだね。わたしも今でも忘れられない元彼の夢見ちゃうと、ちょっと混乱するもん」

「ですよね。すきな人なのに夢に出てこないで、なんておかしいかもしれないけど。だから、逆にわたしも彼のところにふらっと夢を渡らないようにお守りになってくれるかな?」


 ふっと彼女はさみしそうに笑った。

 この子は少女なんかじゃない。『大人の恋愛』っていうものをしっかり知っている。恋の苦さを知っている。

「これください」

 クラフト紙で作った紙袋に入れて、店名の入った赤いシールで封をした。

「いい夢が見られるといいわね」

 彼女はそれに答えなかった。そっとカバンに袋をしまうと小さく頭を下げて雨の中に去っていった。


 換気扇の下で煙草に火をつけた。湿った味。この恋もここまでかもしれないと、なんの根拠もない思いが胸をよぎる。誰もいなくなった店内で煙をくゆらせた。

 そもそも、瑛太の夢なんか見たことがあったかな? 無意識のうちならあるかもしれない。夢は記憶の整理だと言う。そもそも、ふたりで出かけたことがあったっけ? 映画くらいは行ったけど。

 会話をして、同じ空間にいて、心地いい。わたしたちの恋の形。

 夢を渡ったりどちらもしない。だっていつでも会えるんだもん。少し離れても不安になったりしない。呼べば会える。触れ合える。


 ――瑛太は誰かの夢を渡るのかな? そう言えばむかしの女がどうとか言っていた。

 あと三年の間にわたしは瑛太の通過点になるのかもしれない、もしかすると。通過してどこに行くんだろう?

 わたしはその時、どうするのかな? また別の男のものになるのかな?

 ……めんどくさい。そんなこと、今まで考えたことがない。そうなんだ、恋なんてひとつの通過点でしかない。瑛太の次の点が見つかるだろう。

 瑛太の次の。

 不意に煙が目に染みた。

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