第5章 (真花)
第31話 いつもと違う日
高校を卒業したあと、デザイン系の専門学校に入学するために上京した。と言うとカッコいいんだけど入試にはデッサンもポートフォリオもなくて願書だけ。才能は関係なし。感じよくやる気を見せれば、つまりポジティブになれれば合格する程度の学校だった。
そこに飽きもせず三年間も通ったのは都会が面白かったからで、飲んで騒いで男の子と遊んで、それこそ取っかえ引っ変え、我ながらあんなにバカなことを懲りずによく続けていたものだと思う。
卒業してしまうと、もちろんすぐに就職先が決まったりなんかしないで、親からの帰郷を促す電話にネイルを塗りながら適当に答えてぶらぶら帰らずしがみついていた。
それでもお金はなんとかしなくちゃいけないわけで、行きつけの居酒屋で雇ってもらってた時、なっちゃんと知り合った。
その頃のなっちゃんは夢を目の前にしてキラキラしていた。酔うと、自分の夢を呂律の回らない口でのろのろ喋った。絡み酒だ。
わたしはそれを面白がって、客のいなくなった店内の適当な席に座って聞いていた。するとある日なっちゃんが「真花ちゃん!!」とわたしの両手を握りしめて閃いたという顔をした。あらら、このひと、すっかり酔っちゃってるよ……とその据わった目を見ていた。こっちだって酔っ払いだった。
「真花ちゃん、わたしの夢を手伝ってよ! それがいいって神様も言ってるし。一緒にわたしとお店、やらない? 真花ちゃんはデザイン系なんでしょう? センスの問われる職業だからそれはすごく助かるし、なにより真花ちゃんとは気心が知れてるもん。わたしには真花ちゃんしか考えられない……」
熱弁をふるったあと、なっちゃんは酔いつぶれてしまった。わたしは店長と片付けをして、それからなっちゃんを送っていった。大人しい酔っ払いで、ちゃんと自宅を教えてくれて、ちゃんと部屋までたどり着いた。
そうしてわたしはなっちゃんの店でアクセサリーを売るようになった。
キラキラ光る一粒一粒の貴石たちはわたしの人生には眩しすぎる。
ひとりの部屋に帰ったあと、その古いワンルームのマンションでピアニッシモの、煙草とは呼べないほどタールの少ない細い煙草に火をつける。窓を開けるとむっとする湿った風が部屋に入って煙を一瞬で撒き散らした。
瑛太は禁煙に成功してしまって、せっかく教え込んだタバコをすっかりやめてしまった。だから部屋に煙の臭いを残すわけにいかない。瑛太はわたしも禁煙してると信じてるし。
カバンの中にこっそり隠してる携帯灰皿を取り出して灰を落とす。
すーはー。
メンソールが今日起こった出来事を軽い煙に乗せてすうっと霧散していく。ややこしいことや、面倒なこと。
もう一年付き合っている瑛太はまだ大学の三年生だ。正直、わたしのなにが良くて付き合っているのかわからない。なっちゃんと同じで、飲んでいる時に知り合って意気投合した。……意気投合? そんなものはしてない気もする。ともかく彼はまだまだ年下で、普段は飄々として、何事にも頓着して見せない。でもどこかで『三年後』にやってくる未曾有の大災害のことを見つめている。
まだ若いからかもしれない。
いや、わたしよりずっとまともに育ってきたからだ。瑛太は一見、女の子にやさしくてモテるタイプだ。実際、何人もの女の子と寝たみたいだけどわたしは同じようなものなのでそれにはなにも言えない。
ただ、違うんだ。わたしとは決定的になにかが違う。
こんな世の中に諦めしか持たないわたしと、瑛太は違う。彼は残り三年しかない未来に希望を見つけようとしている。本人にその自覚はないのかもしれない。でも、わたしにはわかる。そしてわたしは彼の希望に跨って乗っかっている。知らない風景が見られるかもしれないと思って。
タバコを消してベッドに横になる。長いスカートがだらしなく膝上までめくれ上がる。でもここに瑛太はいないし、ひとり。今日はひとり。
雨が降りそうな匂いがする。
窓を閉めて一応、消臭スプレーを部屋に撒く。――この生活、いつまで続くかな。
ピンポーンとちょうどよくお誂え向きにチャイムが鳴る。あわててタバコをカバンに放る。
長くて量のある重い髪がボサボサに乱れていないか気にしながら、はーい、と答える。
「あー、俺」
カメラには視線が定まらない瑛太の姿が映っていた。あわてる。部屋の鍵を開ける。鍵は渡してあるけどこういう時に勝手に入ってこないところが、よく躾られている。挙動がおかしな小型犬のようだ。
「なにしたの、こんな時間に」
「今日、泊まってもいい?」
「いいけど……。変なの」
「変なんだよ」
瑛太は落ち着かない様子で安いソファに腰を下ろした。わたしは冷蔵庫からよく冷えた缶ビールを二本、テーブルに載せた。昨日、少し齧ったミックスナッツの袋をぶら下げて。
「なにが変なの?」
「笑わない?」
「笑わないよ」
普段、物事はクールにこなしていく彼が打ちのめされたように項垂れている。かわいそうになって缶ビールで冷えた指先で後頭部をそっと撫でた。
「真花は後悔してる恋愛ってない?」
「――どうしたの? なにかあった?」
「おかしなこと言ってるかな」
「女の子のあしらいなんてお得意なのかと思ってた」
そんなことないよ、と彼はビールを開けた。なにかを忘れようと、ヤケになったようにごくごく液体を体にしまった。
「後悔してる恋愛? そんなのあるに決まってるよ。フラれた恋愛はそっち組。でもいまは充実してるからどうでもいい」
「かもな。動揺する方が確かにおかしい。……昔、好きな女がいてさ、わりと長く付き合ったのに小さいことで上手く噛み合わなくなって別れたんだ」
「なるほど、後悔しそう」
「そう、後悔してる。でも確かにそんなことに揺れるなんてバカみたいだ。後悔させないくらい真花をしあわせにすればいい。うん、そうだ」
ぐっと首が伸びてきて首筋にキスされる。それが少しやりすぎで痕が残りそうな具合になって、腕で彼を引き剥がす。
特に抵抗されるわけじゃなく、彼はもうピスタチオの殻を剥いている。なにを考えてるのかわからない。もっとも賢い人の考えてることはいつだってわからないことばかりだ。
テレビをつけた瑛太は若い芸人の寒いやり取りに、ははは、と冷たく笑った。そして振り向きながら「ビールもう一本いい?」と言った。
ビールはのどごしとはよく言うものの、のどごしもなにも関係なく流し込むように飲んで、もう三本だ。買い置きは十分にあるから、その点では困らないけど。
真花、と言ってふざけたようにわたしを押し倒す。実際、彼は笑っていた。見たこともないような表情で、バカにするみたいに。
「瑛太、ちょっとやめて」
「なんで? 生理終わったばかりじゃん」
「気分じゃない! そう、気分じゃない時だってあるよ」
わたしの上に覆いかぶさったまま、目と目を合わせて瑛太は呟いた。
「……気分じゃない、か」
のそり、と立ち上がると「帰るわ」と言って靴を履き始める。「待って」と一応声に出したけど、なんか今日は変な日だ。昔の女の話なんていままでしたことなかったのに。
「ごちそーさん」
バタン、とドアは閉まった。ご丁寧に外から鍵をかけてくれたみたいだった。
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