第29話  胸元

 白いシャツに手を通す。白はすきな色だ。純粋さの表れだ。

 そのラウンドネックの襟元に揺れるように瑛太にもらったプレゼントを着ける。閉めてあるカーテンの隙間から差し込む悪戯な日差しにキラキラと輝く。わたしもこんな風に無邪気に輝いていられたらなぁと思う。

 いってきまぁす、と誰もいない家に声をかけて外に出る。


 日差しは日々その力を増して、ちょっと気を抜くと日焼けをしてしまう。田舎育ちのわたしはそれでもあまり気にしないんだけど、外を歩いて半袖の線のところで肌が赤と白に分かれていると瑛太が気にする。

 どうせすぐ白くなるんだよ、と言ってもダメだ。

 今日はスプレータイプの日焼け止めを念入りにつけてきた。これで瑛太が驚かないで済むと思う。


 瑛太はいつでもわたしの駅まで迎えに来てくれる。定期で改札をくぐると、難しい顔をしてスマホを見ていた彼は顔を上げた。

 大会を前にして貴重な休み、彼の髪は少し短くなっていた。大人っぽく見えて視線を逸らす。


「暑いよな、涼しいところが良くない?」

「そんなの決まってるよ」

「あんまり歩いて疲れちゃうと練習に響くしなァ、映画でも行く?」

 わたしはけたけた笑ってしまった。

 映画はわたしたちの果たされなかった初めてのデートコースで、未だに一緒に行ったことがなかったからだ。

「涼しくて寝てられる」

「確かにそうかもしれないけど隣で寝られる方の身にもなって」

 とりあえずその辺でお茶しながら考えるか、ということになる。

 瑛太は冷たいカフェモカ、わたしのコーヒーにはうずたかくソフトクリームが乗っていた。

「やだ、ソフトクリームは鬼門だって知ってるのに」

「大丈夫だよ、今日はスプーン付き」

 言われてみると細長いプラスチックのスプーンが添えられていた。ああ今日はあの日のことばかり思い出す。きっと同じくらい暑いからだ。


「そう言えば······去年の夏前に付き合ってた女の子ってどんな子だった?」

 瑛太は飲んでいたカップをトレイに戻した。カタン、と堅い音がした。

「そんなの時効だろ?」

「思い出しちゃったんだもん」

「その時に聞けよ」

 それはそうだ。でもあの時はどんな事があっても付き合ってもらうことで頭がいっぱいで、そんな女の子のことに構っていられなかった。

「――言わないとまた気にするといけないから言うけど、同じバド部の子。美波と全然違うタイプ。向こうから告ってきた。髪はショートでストレートだし、運動部だから色も黒いし、声もでかい」

「······そう」

「納得した?」

「納得したというか、瑛太ってストライクゾーン広いなっていうか、わたしが規格外なのかなって思った」

 足を組んだ姿勢で、膝の上に頬杖をついて斜めに彼はわたしを見た。

「あのさ、美波はなんでも規格外だよ。似たひとなんてきっといない。美波は世界中どこを探しても美波しかいないんだよ」

 そっと長い手が伸びてきて、やっと汗の収まった額の前髪を上にかき上げた。冷たいグラスを握っていた彼の手が冷たくて気持ちいい。もっと、頬や首筋まで触れてほしい。


 そんなわたしの思いを知らないまま、その腕は来た時と同じようにさっと持ち主の元へ帰っていった。

 物足りなさは胸を苦しくした。

 付き合ってもうすぐ一年になる。まだキスまでだった。わたしの子供っぽい体型ではそそられないのかもしれない、とそれもひとつの悩みだった。


「プラネタリウム行こうか?」

 プラネタリウムは今では忌み嫌われた場所だった。そこの特別番組は常に今回の小惑星衝突のメカニズムについてやっていたし、誰しもが宇宙より地球のことを考えていたかったからだ。

「涼しそうだね」

 わたしたちは通常上映の回を見ることにした。星空散歩。今晩の星空の姿をドームのスクリーンに投影してくれる。

 星座はすっかり夏の大三角の話で、織姫と彦星の切ない話をおばあちゃんが寝る前にしてくれたのを思い出す。七月七日はだからふたりの逢い引きのために早く寝なくちゃね、とおばあちゃんは笑った。


 暗闇の中静かな声がスクリーンの説明をしてくれる。瑛太はすっかり夢の中で、これで宇宙物理学なんて学べるのかしらという気にさせられる。

 わたしたちももう少ししたらきっと織姫と彦星だ。でもかささぎは天の川に橋を渡してくれたりしないし、お互い新しい世界を味わっていることだろう。


 悪い予感ほどよく当たる。

 瑛太は大学で運命のひとに出会う。必ずだ。あの、夢に出てきたひと。

 だからひとりにしたらいけないってわかってるのに、自分の考えを曲げられない。


 ぐるっと三六五度のドームに振るはずのない雨が降った。視野が曇る。

 手のひらに雫が落ちる。

 わたしは何を予見しているんだろう?

 自由に、もっと自由に、出逢った頃のようにどうしてできないんだろう?

 どうやって悲しみを止めたらいいんだろう?


「ごめん、寝ちゃった!?」

「それはもう」

「やべー、いびきとか大丈夫だった?」

「大丈夫」

 まいったな、と彼は恐縮しまくり、見ていて気の毒なくらいだった。

「ごめんな、美波がいちばん嫌な思いしたよな?」

「大丈夫、ひとは少なかったし、ほかにも寝てるひといたもの」

 プラネタリウムを下りてきた階段の途中でキスをする。これは、ごめんなさいのキスなのかな、と考える。

 今日着てきた襟ぐりの広いブラウスもなんの効果もなく、ぐるりと一周巡ったキスはそこで終わった。

 まさかそんなことに不満を感じてるなんて思ってもみないんだろうな。わたしだって天使なんかじゃないのに。



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