第24話 ふたりのクリスマス・イヴ
クリスマスが冬の街にやって来る。
ただし、年末のカウントダウンはどこにも飾られない。カウントダウンは死への一方通行だからだ。
街中に楽しげな音楽が流れ、人々はみなどこかへ流されてゆく。
軽快な音に軽快な足並み。
手にはそれぞれ大切な人へのプレゼントが持たれているのかと思うと、ほっこりしあわせな気持ちになる。
手を繋いで隣を歩く美波が、落ち着きなく視線を動かしている。見るものすべて、新しいもののようだ。
「どう?」
「びっくりしてる。こんなにたくさんの人が街に出て来るんだね」
目を真ん丸くして、道行くカップルや通り過ぎるショーウィンドウを見ている。どこからそんなに新鮮な驚きがやって来るのやら。
「クリスマスはいつも何してるの?」
「いつもは家族でクリスマスなの。お父さんがお母さんにプロポーズしたって記念のお店で三人でお食事をいただくの。ターキーとブッシュ・ド・ノエルが必ず出るの。いつもタクシーだからこんな風に街中を歩いたことはなかった。お父さんもお母さんも人混みがすきじゃないの」
「だから美波は行ったことのないところが多いってわけ?」
「だからかどうかはわからないけど――。人混みを避けて暮らしてきただけ」
「じゃあ通学電車には驚いたんじゃない? よくあの学校を許してもらえたね。もっと近いところもあるのに」
「電車は三年目の今でもドキドキするよ。学校はほんとに不思議。わたしが志望したわけでもないの。強いて言えば中学の先生が推してくれたかな。わたしがいつもひとりぼっちだったの見てたんじゃないかな、思えば」
ちょっと話すだけで知らない話がどんどん溢れてくる。いつまで経っても美波は不思議だ。
それにしても毎年、高級レストランてどうなってるんだ!? 庶民には考えられない。見た目は庶民的に見えたのに、実は、だったんだろうか?
確かに出てきたティーカップがすごく高そうで緊張したけど、どこの家にでもあるお客様用のものなのかと思った。花が大きく飾ってあったのもあまり重く考えてなかった。
美波と付き合ってるということは本当に責任重大なのかもしれない。
「ねぇ、みんなどこに行くのかなぁ?」
「さぁ、プレゼント探しに行くのかもね」
「先に用意しておかないの!?」
「本人に選んでもらう場合もあるでしょう」
「······思いつかなかった」
いきなり声がトーンダウンして、足取りが重くなる。その場に立ち止まって肩から提げた大きめの紙袋をこちらに渡してきた。
「捨てちゃって」
「おい、なんだよこんなところで」
「捨てちゃって。ほんとにセンスないの。もらった人が迷惑でしかないものを持ってきちゃったの。そこのゴミ箱に······」
美波はそれを持って大きなゴミ箱に突進して行った。俺は「待てよ」と言って強情な彼女の腕を引き、なんとか収まってもらった。
「とにかく一度見せて? お願いだから」
「見られたら恥ずかしくて死んじゃう! もう、昨日までのわたし、何を考えてこれでいいと思ってたんだろう?」
街にはまだリンリンリンと軽やかな音が響いていた。目を真っ赤にしてるのは美波くらいだ。そうしてその原因は、たぶん俺だ。
空いているベンチもちょうど空席のある店もなかなかないままふたり、歩いた。
サンタのどんちゃん騒ぎみたいなクリスマスのはずなのに、隣には泣いている彼女。一向に舞台は展開しそうにない。
そんなつもりじゃなかったのに、ふたりとも手を繋いだまま無口で、ちっとも
事前にきちんと調査をして、タクシーでレストランに向かうべきだったのか······。
「あの」
来た!
「クリスマスだから暖かいプレゼントがいいと思ったの。いつも部活で体動かしてるから止まってる時は冷えるんじゃないかなと勝手に思って」
逃がさないようにギュッと手を繋ぐ。言葉はもう堰を切ったようにこぼれ落ちてくる。あとは待つだけだった。
「それでね」
手を引かれて道の脇に寄る。紙袋の中からラッピングされた何か大きなものが出てくる。赤いリボン、銀色の袋に入っている。まったくクリスマスらしい。どこにも問題がなかった。
「開けてみて······」
少し躊躇われたけど、彼女を泣かせたものの正体を暴く。リボンを解いて、袋を――。
中にはふわふわしたものが――。
「これ!?」
「お父さん以外の男の人にプレゼントするの初めてだからすごく迷ったんだけどね、ショールなの。寒い日に肩にかけても膝にかけてもいいかなって。勉強する時、冷えるでしょう? で、わたし、おばあちゃんから手編みの免許皆伝をもらっててちょっと自信があったから······それがもう恥ずかしい」
「手編みなの?」
「一応、軽くて暖かい毛糸と編地を選んだつもりなんだけど。でもこんなもの贈る人いないって、今日ここに来てよくわかったの。あのデパートの中にはもっと素敵なショールがたくさん売ってるもの」
バカだな、と俺は彼女を抱きしめた。カスタードのような甘い香りがふわっと一面に漂った。
「すごくうれしい」
「いいんだよ、無理しなくて。奥寺くんたちに見栄張れるプレゼントじゃなくてごめん」
「なんてこと言うんだよ? 世界に一つしかない、俺専用のプレゼントなんだ。広げてみてもいい?」
「ちょっとだけだよ」
免許皆伝なだけあって、どこかで売っていてもおかしくないくらい真っ直ぐに編まれていた。ところどころに縄模様が入り、アイボリーから焦げ茶のツートーンがまるでアイスクリームのクッキーアンドクリームみたいだった。
「うれしい、ほんとにうれしい。こんなのもらったことないよ。こんなに心のこもったもの」
「······嘘でもうれしい。気に入らなかったら解いて毛糸に戻してもいいんだよ」
「そんなことしないよ。大切にする」
そのショールはその後、どこにいても冬は俺と一緒だった。ちょっと外に出る時に巻いて出ることもあったくらいだ。
「さあ、機嫌を直して。そろそろ早いけど予約の時間なんだ。この時間しか取れなかったから文句言わないで」
力の入ってなかった美波の腕をぐいと引いて、また街に繰り出した。今度は俺たちも喧騒と音楽に乗って歩き出す。
「ちょっと裏に入ったところなんだよ。人があまり歩いてないところだから寒いところ歩くよ」
打って変わったような静けさが一本通りを挟んだだけで街を包んで、落とした言葉は吐く息になって空気に溶けそうだった。
「ここだよ」
チリン、とドアベルが鳴る。こじんまりとしたビストロ。
「予約した高槻です」
夫婦ふたりでやっているというその店はアットホームに暖かく俺たちを迎えてくれた。座席は窓側、少しずつイルミネーションの点灯するビルが見える。
「こういうところはどう?」
「どうって」
メニュー表が渡されるけど今日はクリスマス限定メニューのみの取り扱い。グラスに水がボトルから注がれて、最後のケーキまでがコース。
「高いんじゃないの? 割り勘だよね、いつも決めてるでしょう? わたしの分は自分で払うから」
「これはクリスマスプレゼントだよ。食べたらなくなるけど『思い出』は残る」
「すごくうれしいんだけど、なんだか申し訳ないみたい」
「街ゆく人たちもどこかでディナーする時間だよ」
それ以上、美波は何も言わなかった。出てくる料理を待つワクワクした気持ちでいっぱいになってくれたようだった。
窓の外はどんどん暮れてきて、代わりにイルミネーションがこの祭りを終わらせないように街を輝かせる。
俺たちは出てくる家庭的な料理、例えばパイ包みのシチューなんかを食べながら、たわいもない話をした。知り合ってからうれしかったこと、楽しかったこと、してみたいこと、これから先のこと――すべてが希望に溢れ、喜びに満ちていた。
「あ、これ」
「何?」
「久美ちゃんのおみやげ。彼氏とテーマパークに行ったんだって。ペアのストラップだって言ってた。『いつも美波がお世話になっているお礼です』って言えって」
とそこまで言って彼女は膨れた。包みを開いてみると、確かにふたつ重ねるとシンボルキャラクターがキスをする形になっていた。
「どこにつけよう」
「スマホかな」
「お互いのスマホにつけたらいつでも繋がってるみたいだね」
ふふ、とテーブルにもたれて少し距離の近くなった美波は笑った。そこで俺は新たな演出を試みることにした。
「目を瞑って」
小さい手のひらを「ちょうだい」の形にして固定した。彼女は手のひらを閉じてしまいたいようで指先が震えていた。
「これがプレゼント」
小さい箱が本当のプレゼント。
美波は恐る恐る目を開くと、俺の方に小箱を見せてきた。
「いいの?」
「開けてごらんよ」と言ったけど心臓はバクバク鳴っていた。すきな人にプレゼントを贈るのがこんなに大変なことだなんて今まで考えたことがなかった。
女の子の欲しがるものは大抵同じ。しかも上手におねだりしてくる。自分は買ってあげるだけ。今まではそうだった。けど今年はブランド名で釣れる相手じゃない。
「うわー、こんなに綺麗なものもらえないよ」
そこにはキュービックジルコニアが一粒だけついたネックレスが入っていた。チェーンだってプラチナ仕上げ。決してプラチナじゃない。
「純粋なもの。飾り気はないけどね。美波に似合うんじゃないかと思って。······というより探すのすごく難しくてシンプルなものになっちゃったんだ」
「うれしい。揺れて、すごく綺麗」
テーブルの上の灯りの下でその透明な石はキラキラと揺らめいて見えた。これでよかったのか自信はなかったけど、気に入ってもらえただけでも上々だ。
「わたし、一生大切にする」
その一生が例え短くても、一生には違いないのだ。
――俺は美波を一生大切にする。
言葉には出さなかったけど胸に刻んだ。
聖なるクリスマス・イヴの夜。ふたりきり、初めての。
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