第23話 もしも八十年

 風が吹いた様子もないのに、大きな枯葉が舗道に落ちている。季節は順に巡る。暑いばかりの十月は異常気象と呼ばれ、夏と一緒にようやく去っていった。

 秋というにはもう最中の十一月。足早に街路樹も秋色を纏い、冬へと衣装を脱ぎ捨てる。

 街をぶらりとふたりで歩く。ちょっと前までショーウィンドウはみんな毒々しいハロウィン一色だったのに、すっかり街はクリスマスだ。


「中央公園、今年もイルミネーションやるって。美波、行ったことある?」

「あんまり夜は出かけたことがなくて」

「よかった。じゃあ美波の『初めて』を共有できるね」

 きょとん、とした顔をして美波は俺を見た。俺は笑った。

「寒いから来たくないとか?」

「連れて来てくれるの?」

「もし美波が望むなら」

 もう、と美波は頬を膨らませた。滅多に見られない表情だ。

「意地悪。わたしがどれくらい見たいか、本当は魔法使いみたいに全部知ってるのに!」

「それは言い過ぎかな。でもすきなんじゃないかなって思ったんだよ」

「女の子はみんなすきだよ」

「かもね」


 くすくす、と笑い声がふたりから漏れる。あと何回見られるかわからないクリスマスのイルミネーション、一度だって見逃せない。そうして毎年ふたりで訪れて、短いかもしれないけどふたりの『歴史』を作る。

 ······なんて少しセンチメンタルだろうか? 思い出を重ねて、重ねて圧縮する。

「今年は何もかも忘れられなくなっちゃう。······彼氏のいるクリスマスなんて初めてだし」

「初めて、大歓迎。忘れないで、どんな小さなことでも」

「そうだね。――うん、そうだね」

 チラッと美波は目を逸らした。そうだ、俺は『初めて』じゃないんだから、美波としては面白くないかもしれない。さっきまでのパッとした笑顔が消えてしまった。


「······もうすぐクリスマスが来るね」

「そうだね」

「クリスマスって、どういうことするの?」

「え? 人によりけりじゃないかな?」

 彼女は難しい顔をして俯いた。本人が知らないうちにまた枯葉を踏んでいる。

「今までの人とは?」

「――え? なんかしたかな。ああ、プレゼントの交換はした。あとは記念写真撮らされて、ふたりでケーキ······」

「わかったからもういい」

 明らかに不機嫌だった。やってしまった。だって聞いてくるから。

 そんなに上手くやり過ごせるようなスキルはない。

 仕方なく、とりあえず繋いでいた手をギュッと握る。大切だって気持ちを込めて。こういうのは気持ちの問題でもある。


「俺も、気持ちは『初めて』だから。美波はどう思ってるかわからないけど、美波との出来事はほかの人と過ごしたのとは違うから。美波がこんなことしたらどんな顔をするのかなって、いつもすごいドキドキする。怖いくらい」

「怖い?」

「怒らせたくないからね。嫌われる原因になる」

 繋いでいた手がするりと腕に巻きついて、いい感じのふたりになる。美波は俺の肩の辺りに届かないところに頭をコツンとぶつけた。最悪の事態は免れたようだ。

「怒ってないの。これはたぶん嫉妬。わたしじゃない誰かと過ごしたクリスマスを自分のものにしたかっただけ。六、七年······? とかじゃなくて八十年くらい一緒にクリスマスできたらいいのに」


 それは俺たちには許されていない。

 いや、もしかしたら明日の朝、テレビが一斉に「小惑星の軌道が逸れました」と告げるかもしれない。でも······諦めの中で育った俺たち世代はそんな夢は見られない。

 八十年、か。考えられない膨大な時間だ――。もしもそんなに長い時間生きられるとするなら、季節の移り変わりも、花の香りも、愛する人の笑顔も心に焼き付けて生きていくんだが。

 許されないことにやはり諦めを感じる。腹立ちを抑えるように、強く。


「どうしたの? 顔色悪いよ」

 下から顔を覗き込まれて初めて、自分が深く自分に潜っていたことに気づいた。こんなことばかり考えてちゃダメだ。

「気のせいだよ。それより美波の憧れのクリスマスについて教えてほしいな」

「憧れ? えーっと、こんなことが自分に起きると思わなかったから考えてなかったというのが実の所で。瑛太にプレゼントあげたいな、と思ってる」

「自分ももらえるから?」

「なんでそんなに意地悪ばかり言うの? もうッ!」

 いじけた顔を指でつつく。振り向いたところを捕まえておでこに軽いキスをする。

「狡い!」

「何が?」

「ご機嫌取りのキスなんて、こんな路上で」

「したい時にしただけだよ。膨らんだ美波がかわいいのが悪い」

「んー!」

 もういいよ、と美波が言った頃には目的地だった中央公園に着いて、美波は「どの辺がイルミネーションやるところなのかな? 楽しみ」なんて言ってすっかり笑顔になった。


 日差しが出ているうちはまだ少し暖かい。ブラブラするのは学生の基本だ。

 普段は部活があるから今日みたいにぽっかり空いた練習のない日を大事にしなくちゃいけない。

 それには時間をかけてたっぷり一緒にいるのがいちばんだ。美波の横顔もそう言ってる。

 喉乾いたね、と、自販機でホットのカフェオレを買う。「一本でいいよね」と言うと美波はうん、と小さく頷いた。付き合い始めて三ヶ月経っても恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。

 ベンチに座る美波にキャップを弛めて、はい、と渡す。わたしが後でいいよ、と想定内の台詞を美波は口にする。いいんだよ、とぐいとペットボトルを押し付ける。

「温かい。でもまだちょっと熱いから冷ましていい?」

「じゃあ先に俺が飲むよ」

 はい、とコーヒーを受け取る。

 キャップを外して口を付けるのを美波は隣でじっと見ている。


「何?」

「······間接キスだなぁって思って」

 周りに人は丁度よくいなかった。肩に腕を回して、ゆっくり、勿体つけるように唇を近づける。

 瞳を閉じた美波の長いまつ毛は、午後のやさしい光の中で影を落とさない。キメの細かい素肌。最近リップを乾燥し始めて塗り始めたらしい。艶のある唇までもうすぐだ。

 ――奪った。

 誰も見ていないからゆっくり、美波が抵抗するのを観念するまで丁寧にキスをする。動きが、こちらのそれに合うようになる。そうしてふたりでひとりになったような気持ちになって、キスは終わる。


「もしも八十年こんなことがあったら、わたし、きっとキスだけで死んじゃう」

 真っ赤な顔をして美波はそう言葉を発した。

 それはなんと言うか俺のツボに見事にヒットして、じゃあこれから隙あらばキスをしてみたいという気にさせる。

 やだ、笑わないでよ、という美波が本当にかわいくてまた奪ってしまいたくなったのは隠しておくことにした。――怖がられたらいけないから。


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