第27話 世界が終わればいいのに

 目には青葉。

 五月晴れというには立派すぎるくらいの熱気が、太陽から降り注ぐ。

 日差しを避けるように街路樹とアーケードに沿って歩く。繋いだ手が汗ばむ。

 色白の美波が日に焼けないか、気になってしまう。本人は何も気にならないようで、暢気に手のひらを太陽に掲げていた。


「この間、個人面談があったの」

「うん、うちもそろそろだな」

「わたし――エスカレーターで附属の女子短に上がろうと思ってるんだ。先生は外部の四大を勧めてくれたんだけど。どう思う?」

 彼女の求めるところがわからなかった。

 元々、附属に進みたいというのは聞いていたし、残り時間を学生として過ごしたいかどうかは個人の考え方次第だと俺は簡単に考えていた。

 美波が早く社会に出たいと言うならそれを否定する気はなかった。


「残り時間をどういう風に過ごすのかっていう選択は個人の自由だよ。誰かの意見に左右されるものでもないし、少なくとも俺は美波の意見を尊重してる」

 美波はなぜかぐっと押し黙った。どこか一点を集中して見ているような、それでいてどこも見ていないような不思議な横顔だった。

「迷ってるの?」

「······決心がつかないの」

「志望校を最終的に決めるまで、まだ時間はあるし、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃないかな。他の大学の見学に行くなら一緒に行くよ」

「······そうだね」

 彼女の体の距離感が近くなる。何にそれほどの不安を抱いてるのか、わかりかねる。彼女を迷わせる何かがあるはずだ。

 瞳が潤んで揺れている。なんとかしてやりたいけど方法がわからなくて、とりあえず強く抱きしめた。


「瑛太はもう決めた? 迷ってたじゃない?」

「あー、めんどくさいよな?」

「バドの強いとことか?」

「それはないかな。俺、そんなに強くないし。それより······恥ずかしいんだけど宇宙のこと、いまさら勉強したいなって思い始めてる」

「そうなの? 難しくてわたしには無理そう」

「物理使うからさァ、そういうとこで入れそうなとこあるといいんだけど」

「夢があるっていいね」

「夢とか恥ずかしいだろう」


 この時笑っていた俺は、美波が一体何を悩んでいるのか本当にまったくわかっていなかったんだ。

 彼女の気持ちをよく考えてやれば解けたかもしれないのに、自分の進路まで軽く考えていた。


 世間の風潮として、学生がどんな進路を選択してもそれを笑う人はいなかった。たった一度きりの人生。そして続くこともない。バカげた進路に見えたって、本人さえ良ければそれでいいという見方だった。

 だから俺も、あまり熱心に勉強をしてきたわけでもないのにここに来て『宇宙物理学』なんてものを口にすることができる。自分を殺すことになる宇宙の仕組みを詳しく学びたくなったのは、自分でも驚く心境の変化だった。

 自分はもっと無難な道を行くものだと思っていたからだ。

 美波と出会ったことが引き金なのかはわからない。けれど彼女が俺を精神的に前に押し進めてくれているには違いなかった。


 どちらにしても半年後には俺たちは高校生じゃなくなる。それだけは確かだった。


 青葉がすっかり木立を覆うようになった頃から美波はあんまり積極的に喋らなくなった。でも元々内向的な彼女のことだからきっと心に悩みを抱えているんだろうと、相談してくるかもしれないと構えていた。

 一向に何も言わない。

「どうしたの?」と訊ねても「ごめん、考え事しちゃった」。

 その『考え事』の中身がわからない。美波が言ってくれないとわからない。俺は痺れを切らした。


「最近ずっと何を考えてるの?」

「え、普通のこと。例えば進路のこととか――」

 色素の薄い髪が、初夏の眩しい日差しにオレンジ色に透ける。逆光。細かい表情が見えない。

「進路、まだ迷ってるんだ。お母さんたちはなんて?」

「別に、みんなと一緒。すきなところに行きなさいって。悔いのないようにって」

「確かに一般的だな。でもわかるような気がする。俺が言うのもおかしいけど、美波のご両親は美波にもう何も押し付けたりしないだろう」

 そう、小学校卒業までおばあちゃんに美波を預けていた分、無理は言えないはずだ。そもそもご両親共にやさしくて理解のありそうな人たちだ。


「じゃあ何を悩んでるの? 希望するところは決まってて、誰も反対する人はいないのに――」

 斜め四十五度。たぶんそれくらい。

 美波は隣を歩く俺の顔を見上げた。相変わらず表情が読めない。

「反対してほしい、って言ったらおかしいかな?」

「············」

 よくわからなかった。希望する進学先を反対されたいとはどういうことなんだろう? 自分に置き換えてみてもよくわからない。そうだ、反対されるより、俺の進路を反対する方がよっぽどあることだと思えた。

「わたし、五年も六年もいらない。今ここで世界が終わっちゃってもいい。瑛太と一緒にいられる今、世界が終わればいいのに」


 見たことのない剣幕で一気にまくし立てると、美波は走り出した。

 一瞬出遅れた。

 言われたことがよくわからなかった。「おい」と差し伸べた右手が行き場を失う。

 彼女にこんなに情熱的な一面があるとは知らなかった。いつも『箱入り』で大人しい。自分の意見を歯切れ良く言えない――そう、本当に思ってることを歯切れ良く言えない。どうして気づかなかったんだろう?

「美波!」

 運動部なんだろう? もっと一生懸命走れよ。足、動け――!

「ごめんなさい、バカみたいな縁起の悪いこと言っちゃって。まだまだ人は生きる時間を大切に持ってるのに、『死にたい』だなんて」

「そんなことどうだっていいよ。俺とお前だけの話だよ」


 細い髪が涙で一筋、顔に張り付いていた。大粒の涙がぽろぽろと絶えることなくこぼれ落ちた。

「違うの、死んじゃいたいわけじゃないの、決して。ああ、どうしてこんなこと言っちゃったんだろう?」

「落ち着けって」

 美波は肩で息をしていた。とても落ち着いて喋れそうにない。

 感受性が強いというのはこういうことを言うんだろうか? 美波といるとこういうことが多い。

 しばらくして落ち着いてきた呼吸に、彼女はまだ泣き顔だった。


「進学して会えない時間が増えるのが嫌なの」

 それにはすぐに答えられなかった。元々、答えのリストに入っていなかったからだ。

 俺は普通に進学して、四年間大学に通って、就職をする。――時間的に仕事を覚える頃がタイムリミットだろう。この星はなくなる。でもジタバタせず、普通に人生を送れる、そう考えていた。

 でもどうやら美波は違うらしい。難しいことはわからないが、進学したくないようだ。代わりに何をするつもりなんだろう?


「わかってる。ただの考え過ぎ。進学したって今までみたいに都合を合わせて会えばいいんだもん。わたしたぶん、また一年経ったからナーバスになってるんだと思う」

 そうなの、と問うと、そうなの、と返ってきた。涙は止まって、鼻の頭が真っ赤になっている。後ろ向いてて、と言って彼女は鼻をかんだ。

「同じ大学に行けばいいのに――」

 ポロッとそんな言葉が口からこぼれた。

 美波が信じられないという顔をして俺の方を見た。

「瑛太と同じ大学に入れる自信が無いよ」

「関係ないよ」

「そんなの非現実的だと思うし、それに――」

「それに?」

 なんでもない、と彼女は口を噤んだ。

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